odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

岡田鯱彦「樹海の殺人」(別冊幻影城) 富士山麓の物理学研究所で起こる連続殺人事件。実直で真面目な作風で、トルストイや島崎藤村や志賀直哉が犯罪小説を書いている感じ

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 富士山麓の樹海に近い村に構えた私設の物理学研究所。もと神職の中年男性・坂巻久が3年前に設立した。一人娘の久美子に、研究員である須藤と玉川、中学を卒業したばかりの書生・渋谷に小山田爺やが住み込んでいる。久しぶりに坂巻の旧友・田島T大学物理学教授が訪問した。二人は学生時代からの親友。卒業間際に、この樹海のある村で、ひとりの女性を取り合った。そのときは坂巻が勝って結婚し、一人娘・久美子を産んだものの3年前に急逝していた。
 さて、坂巻のデータ録りを田島が手伝っている最中、実験室が突然爆発。田島は即死し、いあわせた久美子は九死に一生を得た。それから、研究所近辺では不可解な事件が続く。須藤が樹海の中で刺殺され、久美子が風穴に落とされ、新しい神職になった杉田の妻が殺され、玉川が近くの沼で溺死している。なんともせわしなく事件が相次ぐ。
 1957年初出の長編。なんともおざなりなサマリーになってしまったが、事件らしい事件はこれくらいしか起こらない。おそらく原稿用紙700-900枚くらいの大作なのではあるが、メモするべきことはこれくらいなのだ。では、何にページを費やしているかというと、それぞれの事件のさいに、およそ10人の登場人物がどこでなにをしていたかを克明に描いていること。なので、同じ時間をいったりきたりしながら、こいつはここでこういうことをしていて、こういうことを考えていたという記述が続く。「薫大将と匂の宮」では文学では写実が大事と力説していたが、その実践がこの大作になるわけか。キャラクターが際立っているとか、エキセントリックな行動や反応を示すとか、何か興味を引くものがあればこの方法でもかまわないのだが、ごく普通の平凡な人間がルーティンの生活をするものなので、とても退屈。19世紀の自然主義リアリズム文学で探偵小説をやっているみたい(自分の読んだ範囲でいうと、トルストイ島崎藤村志賀直哉が犯罪小説を書いている感じ)。
 ヴァン=ダイン「グリーン家殺人事件」はこの国の長編探偵小説の規範になったが、形式だけを持ち込むと、私小説が盛んだった時期にはこの小説のようになってしまう(浜尾四郎「殺人鬼」や木々高太郎甲賀三郎なども同じような欠点をもっていた)。それでいて、ときに文体は仰々しく大げさになり、恐怖や不安、陰謀やほくそえみ、疑惑と思い込みなどを紋切り型で表現する。
 1953年の「ポケットミステリー」、1957年の「エラリイ・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の刊行でスタイリッシュでモダンな海外ミステリーが市場にでてきた。1957年から翌年に松本清張「点と線」が連載された。それらを読んだ読者は、この本邦作はおどろおどろしくて読むに堪えなくなったのではないかしら。すっきりした文体と草紙趣味を廃した「大人の物語」に読者が向かったのも理解できる。
 著者は1949年から1962年まで活動していて、一時中断。1973年に復活したが、1976年で沈黙。1993年に87歳で没。実直で真面目な作風だけど、物語のふくらみや人物の簡潔な描写のできなかった人。マチズモや父権主義の強い一方で、童女や乙女には過剰なロマティシズムを持つ。香山滋や蒼井雄、高木彬光らに似ている。今日読むのはとても困難。この大作も戦前に書かれていれば、「大傑作」になったはず。残念。

 

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(ひとつだけほめておこう。玉川殺害の際に、彼が呼び出されたメモに「ふう公」と書かれていて、何を指しているのかわからないという謎があった。この解決がスマート。なるほど、あれをあの30年前に使っていましたか。)

渋澤龍彦「黒魔術の手帖」(河出文庫) 1960年代の悪魔学は神学論争を無視して、ミソジニーまみれ。

 日本の悪魔学の始まりは本書をみると日夏耿之介。そのあと、入獄中か出獄後の埴谷雄高が独学で勉強したらしい。その次が、本書の著者になる。と見立ててみた。本書は1960-61年に連載されたエッセイを収録したもの。おりしも日米安保で世情騒然としているころ、このような俗世に背を向けて、古書と観念の中に入り込むという蛮勇。
 内容は以下。
ヤコブスの豚、カバラ的宇宙、薔薇十字の象徴、夜行妖鬼篇、古代カルタの謎、サバト幻景、黒ミサ玄義、自然魔法もろもろ、星位と予言、ホムンクルス誕生、蝋人形の呪い、ジル・ド・レエ侯の肖像(聖女と青髯男爵、水銀伝説の城、地獄譜、幼児殺戮者)
 1960年代初頭に悪魔学を書くには、参考書は洋書にほぼ限られるとなると、この広範な書物の収集と読み込みはすさまじいものがある。著者30代初頭の仕事となると、早熟ぶりと書物収集熱には驚くばかり。もちろん21世紀にはいると、類書もあるし、参考文献の翻訳もある。様々な情報にアクセスしやすくなった目でみれば、ここには不備や漏れがある。
 そういうことを差し引いても、前回20代初頭での読書でも、今回の老齢の読書でも、気持ちは高ぶらない。かつては著者の本はあと数冊読んで追いかけるのをやめた。その理由を考えてみると
悪魔学を紹介するのは、おそらく近代の合理主義や理性に対する批判の意図があるのだろう。そうではあっても、著者の入手した情報を枚挙しているだけ。かつてこんな事件があった、こんな人物がいたという紹介に終始して、奥行きが乏しい。たとえば、ここにはノストラダムスがでてくるが、本書の少し前に書かれた渡辺一夫「フランス・ルネサンスの人々」(岩波文庫)1947年のほうが詳しい。それに下記のような通史とリンクしない。
鯖田豊之「世界の歴史09 ヨーロッパ中世」(河出文庫)
会田雄二「世界の歴史12 ルネサンス」(河出文庫)
悪魔学(に占星術錬金術、さらには西洋神秘思想)は、西洋のオーソドックスから外れる異端の考え。ひとくくりにはできないさまざまな思想が流れている。でも本書では神学論争を抜きにした。サバトや黒ミサの「儀式」を詳細に書くが、オーソドックスとの対立点は書かない。そこはエマニュエル・スウェデンボルグ「霊界からの手記」(リュウ・ブックス)の訳者と同じ。表層の情報に戯れることに熱心で、思想や社会の違いを気にしない。批判機能が働かないオタク的な心情の書き物なんだよね。それが奥行きの乏しさの理由。
(西洋の異端を知るのなら、 ウンベルト・エーコ「薔薇の名前 上下」(東京創元社)のほうがいいかな。他に読んだのもあわせる(たとえば、森島恒雄「魔女狩り岩波新書、ジュール・ミシュレ「魔女 上下」岩波文庫)と、ここに登場する悪魔学のかなりは宗教裁判所が異端審問をするマニュアルを作ってから生まれたという印象がある。サバトや黒ミサが中世にあったとは思えず、異端審問者の訊問や調書が作られ普及しているうちに実体があるように思われるようになったのじゃないか。悪魔学という観念ができてから遡及的に起源が作られた、という感じ。)
・それもあるけど、本書を開いた冒頭で

「精神的な高い地位に女が向かないのは道理であろう。ちょうど音楽の演奏家には女が多いけれども、作曲者には極めて少ないという事情に似ている(P11)」

という文章を読まされて、気持ちが萎えた。なるほどキリスト教や異端に女性蔑視の思想があるというのは了解。それは歴史的事実である。でも現在のことでこういうミソジニーがでてくるようでは。あるいは「男色」に関する偏見の助長もそう。1960年代のこの国では社会の性差別に力は強かったのはわかるけど、ここまで強く書かれると。
 ほかの本を読んで著者に熱狂しなかったのは、このあたりにあるのだろうなあ。それはほかのオカルト本の大多数と同じ特徴なので、本書のカテゴリーは「トンデモ」にした。あまたいるオカルト本の著者よりもずぬけて知識はあるけど、それだけというのが俺の評価。もう著者の本は読まない。

 

    

久生十蘭 INDEX

2019/08/06 久生十蘭「ノンシャラン道中記」(青空文庫) 1934年
2011/06/03 久生十蘭「ジゴマ」(中公文庫) 1937年
2019/07/29 久生十蘭「日本探偵小説全集 8」(創元推理文庫)「湖畔」「昆虫図」「ハムレット」他 1937年
2019/08/05 久生十蘭「魔都」(青空文庫)-1 1937年
2019/08/02 久生十蘭「魔都」(青空文庫)-2 1937年
2019/07/26 久生十蘭「日本探偵小説全集 8」(創元推理文庫)  顎十郎捕物帖-1 1939年
2019/07/25 久生十蘭「日本探偵小説全集 8」(創元推理文庫)  顎十郎捕物帖-2 1939年
2019/08/1 久生十蘭「キャラコさん」(青空文庫)-1 1939年
2019/07/30 久生十蘭「キャラコさん」(青空文庫)-2 1939年
2019/07/23 久生十蘭「平賀源内捕物帳」(朝日文庫) 1940年
2019/07/22 久生十蘭「十字街」(朝日文庫) 1951年