odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-1 1970年に始まった夜間公開自主講座の記録。日本は公害が起こりにくい国土なのに公害列島になったのは国家と企業と大学の無責任のせい。

  1970年10月12日に東大工学部の講堂で、夜間公開自主講座が日本初で開かれる。主催は工学部助手の宇井純。その前に水俣病の調査をして、1963年にメチル水銀が原因であることを突き止めた。しかし公開しなかった。1965年に新潟水俣病発生。そのときに被害者の弁護団に加わる。その結果、東大内では講義をすることができなくなった(助手のままにされ昇進しなかった)が、各地から講演依頼が来るようになり、むしろ公開で市民向けの連続講義をして主催者の調査や意見を公表することにした。自主講座は例えば羽仁五郎(「都市の論理」など)が先にやっているが、助手がやるのは珍しい(この後東大では1980年代初めまであった)。
 この自主講座の特長は、立身出世に関係ない学問・市民のための学問を目指すこと。大学の講義が立身出世のための職業訓練や肩書取得にあり、政府や企業の側に立っていることを批判する意図もある。なにしろ、主催者が各地の公害被害地を訪れるときに聞くのは、大学の教授や研究者が政府や企業の側に立ち、公害はないと市民を抑圧するような発言や発表をする例が多数あったこと。
 以上は「はじめに」で述べられたことのまとめ。補足すると、戦後の経済成長で日本は重工業化を推進。生産効率を優先したので、廃液・排ガス・廃棄物などの処理には一切金をかけなかった(工場を誘致した自治体も住民の苦情を無視)。その結果、全国各地で公害が発生。煤煙、スモッグ、ヘドロ、水質汚染、土壌汚染、農水産物の汚染など。日本に住むにはガスマスクが必需などと言われたものだった。公害被害者の救済と環境回復、汚染物質の工場内処理などを求める住民運動が起きた。そこで上にのべたような「学問の府」が権力に迎合する例が多数起きた。おりからの大学紛争でも、教授や知識人の権力迎合と市民抑圧の事例が起きる。教授や知識人への不信があり、学問の在り方を変えようという動きがあった。自主講座はその例。ロックアウト中の大学では、学生による自主講座があったというが、あまり長続きしなかったという。こういう地道な運動ではリーダーがしっかりしていることと、学問の訓練を受けている人がいることが重要なのだろう。

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はじめに ・・・ 通常は総論から各論になるが、ここでは個々の事実から共通の問題を引き出すやり方をとる。各論から総論へという流れで。(これは市民運動や社会運動などでみられる例。目前にある個々の事案に対応しながら、普遍的・一般的な認識を持とうとする。「現場」を大事にするとこうなる。) (発生した)公害を解決する技術はあまりないが、公害を発生しないようにする技術はすでにあり使っていなかったのが被害を拡大した。
一般的状況 ・・・ 日本は公害が起こりにくい国。自然条件では、四方が海、潮の干満(があって流れ出てしまう)、大きい降雨量と短い滞留時間(以上へ海に拡散して希釈されるということ)、風(かぜ)。社会条件では国境がなく国際紛争になりにくい(逆に国際紛争の経験が少ないことが自閉的自足的になる理由か)。しかし発生したのは
(1)高度経済成長の理由(廃棄物処理の投資をしないですんだので、低投資と低原価で競争力をつけた)
(2)政治と企業が癒着(これは戦前の翼賛体制で上からの企業編成で強化されたのだろう)
(3)人権意識と自治意識の弱さ(公害被害者を救済するのではなく差別する。自治体の合併によって自治意識が低くなり、企業活動を監視し抗議する力が弱くなった。自治意識の強い保守的なところでは、意外と公害を出しにくい。)
(4)科学技術の遅れと怠慢(科学技術の専門家が公害加害者を代弁し、問題の責任所在をあいまいにし、まともに研究している人、被害者の側に立つ研究者を圧迫する。企業や国家の雇人であって自分の仕事に責任をもたず、現場にいかず、つじつまがあわなくても気に留めない/気づかない。これは効率優先の技術や思想、教育に原因がある。)
などが考えられる。

 

 公害を語る。たんに科学技術の問題として語るのではなく、企業と自治体の歴史、民衆運動の歴史、中央と地方の政治、中央と地方の経済など幅広い知識が動員される。それは個人的な興味で語っているのではなく、問題解決にあたる過程で企業や行政と対峙するとき、そこまで調べないと勝てず、同時に被害者や救援組織などの支持を得られないというところにある。活動することが勉強になるのだ。

 

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2019/10/07 宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-2 1970年に続く

宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-2 1970年での水俣病・新潟水俣病・足尾鉱毒事件のレポート。社会に迷惑をかける行動が社会をかえるきっかけになる。

2019/10/08 宇井純「公害原論 I」(亜紀書房)-1 1970年の続き

 

 日本の公害の歴史をまとめる。一般的状況で「自治意識の強いところでは公害がでにくい」という指摘があったが、水俣病などの公害病が発生するまで汚染されたところでは、自治が強くない。水俣市のように企業城下町として企業の恩恵を受けているところでは、被害者である漁民は企業の恩恵とは別に生計をたてているので、企業城下町の住民として認識されていない。そのために1959年にチッソの工場に漁民が乱入したとき、最初に反応したのはチッソ労働組合で、漁民の「暴力」を非難し、彼らの行動に敵対した。このあとも被害者や漁民の陳情などの行動にカウンターを仕掛け、排除し、暴力をふるったのは労組。そして市内の商店会なども敵対し、市長は警察の暴力を容認した。
 公害病は差別を誘発する。その問題を全国に公開することになったのは、この工場乱入事件だった。乱入した漁民はバッシングされ、安価な見舞金で沈黙を強要され、市民の差別を受けた。最初に抗議をあげたものが非難され排除されるのは、ほかの問題でもいっしょ。ローザ・パークス事件が典型。しかし、社会に迷惑をかける行動が社会をかえるきっかけになる。

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水俣病 ・・・ 水俣病の歴史。ただの漁村であったが、水力発電所の余剰電力を使う場所として、水俣カーバイト工場ができる。以来、化学製品を多種多様に製造。その結果、水俣市は日本窒素の企業城下町になる(市民の大半は企業の関係先になる)。1956年ころ最初の発症例。企業の医師や熊本大学医学部は有機水銀が原因であることが分かっていたが、公表されない。漁民が補償交渉と改善要求を出すが無視される。1959年11月、漁民乱入事件が起き、全国で報道。企業は見舞金を出しておしまい。1963年、ふたたび工場排水からメチル水銀が検出され、猫を使った実験で水俣病の再現に成功。この成果も公表されない。
(この過程で著者は公害の三原則を見つける。(1)起承転結。発見(起)、原因判明(承)、質より量のいい加減な反論(転)、中和・うやむや(結)。(2)第三者は加害者の立場。科学者、地元有力者などが第三者を名乗るが公害加害者を守る行動をとる。(3)補償金は双方の言い分の余剰平均になる。科学的根拠がないが、心理的に納得してしまう。)


新潟水俣病 ・・・ 1965年、新潟県水俣病類似の患者が発見される。早い時期でメチル水銀が原因であり、昭和電工の工場から排出されたものとわかる。しかし公害の起承転結と同様にうやむやにされそうになるが、患者家族が民事訴訟を開始。1968年には新潟と水俣の患者の交流が始まる。


水俣から得られる結論 ・・・ (1)ピラミッド型組織は喧嘩に勝てない。幹部を買収して分裂策動。互酬関係の強い共同体では理屈で決めるともめごとが起きる(なので喧嘩両成敗にする)→ 国や企業などの懐柔策に弱い。(2)統一と団結の組織は公害問題に役立たない(「統一と団結」など言わない方がよい)。(3)個人の努力を組織が妨害することがある。(4)孤立している者(本書では公害被害者)の連帯が重要(ネットやSNSはおろか、コピーやFAXも高価で使いにくい時代でした)。


足尾鉱毒事件 ・・・ 明治時代の公害反対運動。足尾は古川家による開拓。銅の採掘。水力発電で自前で精錬。その結果、銅やヒ素の流出、亜硫酸ガスの放出などが起きた。1894年ころから反対運動が起き、国会でも田中正造らが質疑。1897年に地元青年の陳情を官憲が弾圧。同時に谷中村を貯水池にする案が県議会で可決。1907年に谷中村の立ち退き完了。1913年田中正造死去。反対運動が壊滅。戦前は鉱毒のことをしゃべっただけで、憲兵に怒られる。戦後は廃山。
(運動について。(1)(運動の)中心はつくらない。事務をやるグループはあるといいが、組織は不要。(2)個人でもやりたい人がやりたいことをとことんまでやる。(3)自立(ここでは個人もやりたいことを続けること)の手掛かりになるのは、高校までの科学と歴史の知識。)

 

 日本の公害運動(ほかの住民運動でも)が共同体の既存組織を使って行われる場合、企業や政府の弾圧の手口は大体似ている。幹部を個別に買収して組織を分裂させる。あえて条件のわるい和解や示談をもちかけて、分断をはかる。青年のあつまりを力でつぶして逮捕者をだす。危険な組織であるとデマをながす。そういう例がどこにでもみつかる。これは政府や企業で主従関係ができていて、臣下が自発的に上の意図を組んで、組織つぶしに走る。それを受ける共同体の既存組織(漁協とか農協とか自治体とか労組など)も主従関係と互酬経済の組織なので、彼らの分断に抵抗できない。
 なので、中心をもたない、個人でもやるという人がやりたいことをするというような方法を提案する。21世紀の311以後の社会運動で、このような方法をもつ運動がでてきた。直接宇井純の提言が継承されているわけではない(おそらくほとんどの参加者は知らない)が、過去の運動を見ることによって、同じ方法を持つようになったのが面白い。自分が最初に読んだとき、世の中には統一と団結の組織をつくるという運動ばかりだった。共同体をつくるという運動の方法を自分は継承せず、宇井純の提唱するようなやり方で参加しているのは本書の記憶があったからだろう。

 

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宇井純「公害原論 II」(亜紀書房)-1 20世紀前半の公害問題。住民自治がしっかりしているところでは公害は防げる。住民自治が切り崩されると公害は蔓延する。

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 日本の公害の歴史を振り返る。歴史を振り返ると、以下のようにまとめられる。

「大正時代の公害問題に対する意識と行動の高揚が見事であるだけに、昭和年代の社会問題としての公害に対する我々の意識は、いかに低落したかに眼をおおいたくなるであろう。この間に、われわれは自然を資本に売り渡したのであった(P1)」

 民主主義や自由や権利を知らない人たちが、共同体の保持と団結に基づいて企業や政府に堂々と渡り合え、公害をなくすことができる。そのような団結を支える人がいたことと、企業や政府に頼らなくても生活できる地域経済があったことが重要。昭和になると、企業や県の力が大きくなり、人々の多数が労働者となる。すると、企業や行政に頼らないといけない人が多くなり、公害に抵抗する人が少数になる。結果、企業の利益と行政の論理が優勢になってしまう。

 

大正期における公害問題
日立煙害 ・・・ 日立鉱山の亜硫酸ガスによる煙害。久原房之介(企業)vs関右馬允(うめのじょう:山林代表)。被害者は科学的な計測と行い、企業も生産制限し毎年補償金と払うという「友好」な関係を作る。35年後に亜硫酸ガスから硫酸を作る工場ができて、煙害が解決。新田次郎「ある町の高い煙突」。


荒田川 ・・・ 岐阜に軽工業(羊毛、織機など)ができて汚水がでるようになった。下流の水利組合などが企業に抗議。自治体を巻き込んで対応。補償交渉はやらず、原因除去に特化。ときに被害者が処理方法を指定し、警察にきちんと運用しているかどうかを確認させた。金と閑のある地主が運動の中心で、各地の調査や実態調査を行い、被害者運動の横の連携ができた。住民自治がしっかりしている地域エゴイズムが働いた(全国から叩き出されてようやく企業は対策を考えるのである。しかし1970年代に日本の企業は海外に拠点を移動して日本と同じことをして、公害を発生させた)。
(大正時代に日本の公害防止技術の基本的な問題は出そろっていた。自治体、企業、警察も公害防止や対策に協力的だった。戦争のために公害問題は逮捕した。たった十数年とはいえ、日本が全体主義・強力な監視社会になったことで、自治や抵抗権の意識が薄れてしまい、政府と企業の権力が強化拡大して住民、大衆に戻らなかった。)


昭和期の公害問題
石狩川 ・・・ 1939年に旭川に国策パルプができる。排水で汚染が深刻化。1943年に企業と土地改良区で協定。戦後1958年に水質二法ができたが、調査期間中に水質汚染が進行。石狩川の漁業が壊滅。1953年からの水制度部会で水質汚染の議論が出尽くしているが、企業・行政・御用学者はなにもしない。これらが強力な連合を組み、被害者に一歩も譲らないというやり方が定着した。


本州製紙江戸川工場事件 ・・・ 1958年に本州製紙江戸川工場でセミケミカルパルプの製造を開始。排水による汚染に漁民が抗議。同年6月20日に漁民が工場に乱入。漁労などの切り崩しが行われてうやむやに。
(1960年までは行政が住民側の判断をすることがあったが、それ以後の高度経済成長期には企業の側にまわり、なにをやってもおかまいなしになった。法や政令がないと規制できないという口実で数年の時間を稼げる。法は世論操作のために作られる。)


富山イタイイタイ病 ・・・ 三井金属鉱業株式会社神岡鉱山の排水被害は大正時代からあり、1945年ころからイタイイタイ病が報告されている。調査が始まったのは昭和30年代。カドミウムが原因であることは1965年ころにはっきりしたが、御用学者と県と調査委員会が潰す。1967年に公明党の議員が国会質問をして、マスコミに乗るようになり、1968年にカドミウムが主因であるという政府見解が出る。
イタイイタイ病の特長的なところは、地元で被害者による抵抗運動が起こらなかったこと。被害が大きくなると、賠償金支払いを求める集団訴訟が起こり、公害訴訟としては最初の勝訴になった(1971年)。神岡鉱山カドミウムが排出されない装置を作って操業を継続したが、2001年に閉山。その跡地にニュートリノ観測装置のカミオカンデが建設される。装置やノーベル賞の話題にイタイイタイ病がでてくることはまずない。)

 

 昭和40年代。日本の公害というと、水俣病イタイイタイ病、田子の裏のヘドロ(による汚染)、川崎と四日市の喘息だった。ほぼ連日、どれかの話題がテレビや新聞に載っていたと記憶する。

 

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2019/10/03 宇井純「公害原論 II」(亜紀書房)-2 1971年に続く