odd_hatchの読書ノート

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フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-2 チェルヌイシェフスキーの「宮殿の人」に対するド氏の「地下室」の住人。

2020/01/23 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-1 1864年


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 「ぼく」が普通の部屋住まいであるにもかかわらず、「地下室」の住人、「地下生活者」であると自認するのは、チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」の革命家ラフメートフが「宮殿」の人であるとされるから。ラフメートフは、社会変革を志す「地面の人」からひょっこりと生まれた英雄であるとされるから。この英雄を支持する「地面の人」は英雄を目指すと同時に、かれらがそれまでいた「地下室の人」を抜け出すように促す。あるいは地面の様子を啓蒙する。
 そのことが「地下室」の住人であるドスト氏の「ぼく」には気に入らない。なるほど、共同体の紐帯に締め付けられて、無知な状態に置かされていて、社会の矛盾を意識しないような存在であるかもしれないが、しゃべることができる。そこでは自分の内面の複雑さ、多様さがあり、関心と興味は多方面にわたっていて、外見からは予想できないことが起きている。そこは不可侵なところであって、だれも介入できない。とはいえ、その内面は奇妙なところがあって、論理的な整合性も合理的な経済性もないことがある。すなわち、美を意識するときに見苦しい行為をしでかす(第2部「ぼた雪にちなんで」のテーマが先取りされている)し、苦痛は快楽になるし、なにより破壊や混沌を愛している。歴史に目的があると考えるのは見当違い(社会の進化も認めない)。永遠に崩れることのない水晶宮よりも、雨に濡れないなら掘っ立て小屋でよい。こういう具合に、内面の混沌や無意識を精神分析の起こる前に発見する。ほぼ同時期にポオが「天邪鬼」「告げ口心臓」などで描いたテーマがここにもあった。
 そのような混沌や矛盾のある自意識は、論理や合理の権化ともいうべき科学(その背景にある理性や知識も)を嫌う。科学が人間の行動の一覧表を作ってその通りに行動せよと命令するから。そんな一覧表に人間が使われるのがいやだ。たとえば、2+2=4であるのが気にくわない。なぜ5や6ではないのか。そのように考える自由はないのか。科学と常識の要求に照らして人間を叩き直そうとしている。これもドスト氏の「ぼく」がいっているのは言いがかりだよなあ。科学や理性は「~~しろ」とは命令しない(疑似科学やニセ医療では「~~しろ」といってくるけど)。むしろ哲学といっしょで「~~するな」とお願いする(そういえば、ソクラテスの「~~するな」が不愉快であったニーチェもこの世紀の人だった)。まあ、この時代の科学では十分に現象を説明できなかったので、アドホックな説明や飛躍した概念で説明したり、オカルトめいた生気論や宇宙の意思などを持ち込んだりする例があったからなあ。
 なるほど、チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」では、啓蒙された各人が合理的な行動をとる(そこには利他的な行動をとることが期待されている)ことによって、社会は合理的に構成されるようになり、男女同権が実現すると構想されている。しかし、ドスト氏の「ぼく」はそのような合理的思考や合理的行動には収斂されない不合理で衝動的な行動があり、社会が合理的に構成されることはないと考える(まあ第2部の「ぼく」は不合理どころか社会を混乱させる行動しかしていないのだ)。チェルヌイシェフスキーの楽天主義はさまざまな自主管理の共同体の運営の失敗で反証されている。成功している自主管理の共同体も宗教やイデオロギーの権威で統制されたものくらいしか思い当たらないのが現状。とはいえ、人間の実験の失敗があるからといって、ドスト氏の「ぼく」のように社会はばらばらで会ってよいとも思えない(このあとのドスト氏がロシア正教で統合される社会を構想したが、それは特殊なケースにしか通用しないだろう)。その間の道は、たぶん「正義」「社会的公正」を実現しようとする運動にあるだろう。アマルティア・セン「人間の安全保障」概念がその道筋のひとつ。
(19世紀なかばのロシアにいる「ぼく」は2+2=4が不愉快であるが、20世紀半ばのイギリス人が暗鬱な未来を構想したとき2+2=4と考えるのは自由であると感じる。そのような監視社会、全体主義社会では2+2は都合によって3にも5にもなり、共生する社会や国家の介入で答えを変えなければならない。そのとき科学的・論理的に2+2=4であると考えるのは社会や国家の圧力からフリーであることの象徴になる。ドスト氏の時代には、全体主義国家や監視社会はなかったのが大きな違い。なにしろ監獄の記録である「死の家の記録」もアウシュビッツ収容所群島や日本軍の強制連行を経験したわれわれには牧歌的にみえるくらい。)
 「ぼく」の理屈に納得するのは難しいが、自分の内面に介入するのはおかしいという主張には賛成する。でも、そこで「ぼく」が要求するのは、愚行権。自分が損すること、身体を損壊することも、自分が選択したのだから、本人の思うままにやらせろという主張。それはまあ、いいんじゃない。ただたいていの愚行は他人の権利を侵害することになるので、社会や国家が介入せざるを得ないのだけど(ホメオパシー信者が子供を治療させなかったり、カルト宗教信者が輸血を拒んだり)。ドスト氏の時代には居住や職業や結婚の自由が制限されていたので、このようなかなり強い主張が基本的人権を拡張する力になったのだろう(と信じたい)。
 とはいえ、「ぼく」は何もはじめないし、何もやり遂げない人間であるので、以上の理屈も何もしないこと(チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」の問いに対する「ぼく」の答え)のいいわけ。なるほど、小金をもって屋根裏部屋に引きこもる独身男の心情がよく表れている。ここらもネトウヨや冷笑に似ているなあ。
 あれえ、「地下生活者の手記(地下室の手記)」第1部「地下室」の悪口ばかりになってしまった。主張の一つ一つを吟味すると20世紀の社会主義の歴史や21世紀の人権とそぐわないところがあって批判的にならざるを得ない。でも、読んでいる間は異様な迫力を感じて、ページを繰る手が止まらない。おかしいと思いながら「ぼく」の繰り出す言葉を聞き続ける。ときに「こいつはおれだあ(@菊千代by七人の侍)」という発見に驚きながら。そういう文章を読む快感がある。驚くべきテキスト。  

 


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2020/01/20 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-3 1864年
2020/01/17 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-4 1864年

フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-3 第2部は「美を意識するときに見苦しい行動をしでかす」男のドタバタ騒ぎ。いやストーカー的嫌がらせとセクハラの告白。

2020/01/23 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-1 1864年
2020/01/21 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-2 1864年


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 第2部「ぼた雪にちなんで(米川訳では「べた雪の連想から」:米川はべた雪という造語にしたことをどこかのエッセイにほこらしげに書いていた。追記:河出文芸読本「ドストエーフスキイ」1976年所収の「翻訳の苦心を通じて」)。
 書き手の「ぼく」が24歳(この年齢は重要)の時のできごとを回想する。「美を意識するときに見苦しい行動をしでかす」男のドタバタ騒ぎ。いやストーカー的嫌がらせとセクハラの告白。これは気分の良い読み物ではない。知的には発達していて虚栄心と他者への軽蔑心を持っている男が、他人に無視されている・無関心にされている・バカにされていると思い込んで、交流をしないでいる。それが虚栄心と軽蔑心が高じて、他人を軽蔑し、軽はずみな行為をする。その結果は女性や下男などへのハラスメントになるという次第。かつての「貧しい人々」「白夜」もそんな感じであったが、まだ純情であった。ここでは差別とハラスメントが爆発する。いやな話だ。
 「ぼく」のうっくつは止まることがない。下男の目つきが気にくわないと給料の支払いを故意に遅らせたり、ペテルブルクの娼館を経めぐっての女遊びをしたり。しかし、役所では卑屈に悶々としている。さて、レストランで学校時代の知り合いが出世頭の歓送会を開くのを聞く。招待されていないし、なにより彼らに嫌われているのに、無理やり参加する。案の定、歓送会では彼らに無視され、バカにされ、腹を立てたのに借金するという体たらく。女遊びに行くというので、別に向かったらはぐれて、一人で娼館にはいる。そこでついた嬢は20歳の見るからに疲れた女。軽蔑と哀れみがいっしょになって長時間の説教をする(こういう客は嫌がられるのに)。なぜか嬢のリーザは感激し、かつてもらった恋文を見せる(彼女の誇りの象徴であり、「ぼく」への信頼の証)。リーザに住所を教えたので訪問するかもしれないと待つがなかなか来ない(感情の浮き沈みの描写はみごと)。下男アポロンに八つ当たり。それをリーザにみられ、釈明するうちに自分の本心を告白していた。それに気づくと泣きながらリーザを罵倒する。ようやくしゃべり終えた後、リーザは「恐怖と屈辱が悲しげな驚愕に」になる。「ぼく」は「善良な人間になれない」といいながら、リーザに情欲を感じる。15分後リーザは別室で泣いている(「ぼく」がレイプしたことが暗示されている)。「さようなら」といった出て行ったあと、渡したはずの5ルーブリ紙幣が椅子に残されている(拒絶のシンボル)。追いかけたがリーザはペテルブルクの雑踏でみつからない。
 「ぼく」はひどいやつだ、というしかない。自分をみじめな存在だ、何もしでかしたことのない男だと卑下しながら、実際にはマイノリティへのマウントとハラスメントを止めない。これは読者のロールモデルにはならない。
 しかし不快な気持ちになりながら、ページを繰る手が止まらないのは、このどうしようもない男が読んでいる本人(男性読者の場合)にほかならないと、「ぼく」の心理と行動を克明に記述しているから。自分の感じる不快さは、まさに自分がこれまでにしでかした行為によって不快にされた人たちの感じていたものであると、心が寒くなるからだ。しかも小説の最後のように、謝罪する方法がないとすると(どこにいるのかわからないのだし)、自分への嫌悪となって帰ってくるのである。この小説で示した文章の力は、これまでのドスト氏の小説にはなかったもので、なるほどシェストフのいうように作家の転換点を示すものであろう。

  

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2020/01/17 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-4 1864年

フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-4 チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」では議論(または講義)が行われる。ドスト氏の「地下室の手記」ではひとりごとか説教。

2020/01/23 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-1 1864年
2020/01/21 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-2 1864年
2020/01/20 フョードル・ドストエフスキー「地下生活者の手記(地下室の手記)(河出書房)-3 1864年


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 本書をチェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」の反論の書としてみるとき、いくつか気の付くところがある。
 例えば、リーザへの説教では夫婦の対立があり、子供へのDVがあることを強調する。これはヴェーラの過程ではあまり現れてこなかった事態。ヴェーラと母マーリアは対立していたが、口喧嘩くらいで互いに手は出さなかった。「ぼく」は「自分が学んでから人を責めるべき」というが、これも学ぶことと同時に人へ介入するヴェーラのやり方に対する批判をみてもよいかも。「ぼく」はリーザを「穴倉の一番奥におしこめられている」と指摘する。これはラフマートフを形容する中ででてくる「地下室の人」をさらに細かく見た指摘。「地下室の人」は地下室において一様な存在なのではなく、その中で葛藤や分離、敵対、差別などが起きていることを見ている。また、チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」では議論(または講義)が行われる。双方のやり取りが保証された対等の場がある。ドスト氏の「地下室の手記」ではひとりごとか説教。聞き手の反応を無視した一方的な発信。相手がどう思っているのかかまわずにしゃべりまくるのだが、それでいて聞き手の「高貴な感情をよびおこす」のだと「ぼく」が思い込むのは滑稽。
バフチンはドスト氏の小説をポリフォニーという。それは登場人物の会話において、それぞれが独立した思想を持っていて、たくさんの主張が「交響的」に読めるのであるが、個々人の話は案外と「説教」とひとりごとではなかったかと思い出す。「手記」であるこの小説では、人物のポリフォニーはまだ聞こえない。)
 チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」は平等や公正などが実現されている(あるいは実現を目指している)のに、ドスト氏の「地下生活者の手記(地下室の手記)」ではそれはないし、どころか対等な関係すらない。みじめだと自認している「ぼく」ではあるが、その下(娼婦リーザ、下男アポロン)を見出して、見下しの対象にする。こういう構造は事実。そこをみるドスト氏の冷徹な眼(チェルヌイシェフスキーは見たいものをみるロマンティストの眼)。
 この小説を読み直す前に、後期長編を読んでいたのだが、その記憶を掘り起こすと、本書は後期長編のモチーフの先取りがたくさんある。「ぼく」の年齢は24歳であるが、イワン@カラマーゾフと同い年。リーザへの説教で「ぼくは幼い子供が好き」というとき、大審問官への道がここにあるのがわかる。何しろ、リーザへの長広舌もアリョーシャにむけた大説教の前触れに他ならない。。
 「ぼく」と下男アポロンの関係は、イワンとスメルジャコフか。アポロンは下からのぞきこむように「ぼく」をみて圧迫する。この下男は饒舌ではなかったが、スメルジャコフになると、卑屈さと虚栄心のないまざった複雑な男になり、彼を見下すものを操ったりするようになる。そういう「邪悪」さはこの男にもみられる。
 娼婦リーザと「ぼく」の関係はラスコーリニコフ(彼は23歳だ)とソーニャに重ねることができるか。おとなしく話を聞くリーザに「待ち伏せたり君の前でひざまついたりする」というのは、後にラスコーリニコフがおなじことをした。
 金がないのに歓送会に割り込んで参加し、馬車に乗ってペテルブルクの町中を走り回らせ、娼館に乗り込むというのは、ミーチャ・カラマーゾフと同じ。これには「分身(二重人格)」に先例がある。
 シェストフのように「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」であるかどうかは俺にはわからないが、ドスト氏43歳で書いたこの小さな作品が、のちの大作のモチーフを作っているのはよくわかる。この小説を読んでから、後期長編に挑むと、細部が読み取りやすくなるのではないかな。

  


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