odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ウィリアム・アイリッシュ「夜は千の目を持つ」(創元推理文庫) タイトルは抜群なんだが、オカルトはサスペンスと相性が悪い。

 大富豪で資産家に最近雇われたメイドがおかしなことを口にした。「主人が飛行機に乗るのをやめるように」。実際に予約していた飛行機が墜落した(当時はさまざまな技術不足などで、墜落事故が頻発していた)。しかし、搭乗直前にとどいた電報で思いとどまったので、大富豪は一難を避けられた。以来、資産家の男はメイドの知り合いの予言者にあい、彼の予言通りにしてビジネスを成功させた。いつもは娘といっしょに会うのだが、その夜だけは一人で会い、顔面蒼白で帰ってくる。6月14日が15日に変わる夜、ライオンの口で死を迎えると予言されたのだ。家はその日から陰鬱で、荒涼としたものになる。資産家は死を恐れて、家から一歩もでなくなったのだ。娘もまた憔悴し、身投げしようとしたところを警官に救われる。

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 本書が出た1945年はオカルトが流行ったのだっけ? アイリッシュブードゥー教を登場させた短編を書いているから、知識はあったのだろう。とはいえ、彼の書く犯罪小説とサスペンスはリアリズムであって、読者の物理現実と大きく違わないのに、この一編はとても奇妙に思える。とまれ、本書はオカルトがあり得る世界のできごとであるのだ、と思いたい。なので、上の話を聞いただけで、警察は予想される犯罪の防止のために数名の警官に捜査を命じ、娘を救った警官をボディーガードとして資産家の家に派遣する。すると、予言者は警察の盗聴をあててしまい、恐喝者に警告する(恐喝者の銃撃に応酬したら射殺してしまうというショッキングなできごとがある)。資産家の家の半径500マイル内にいるライオンを洗い出している最中に、サーカスのライオンが逃げ出し、田舎者を殺してしまう。捜査ははかばかしくなく、予言者のトリックもあきらかにならない。
 捜査と警備の様子が交互に描かれ、どちらもはかばかしくない(死を予言された資産家は鬱とパニックでほとんど寝たきり)。資産家の気を引くために、ルーレットをすることになったら、資産家はすべて負け、ついには娘を掛け金の代わりにすると言い出す。
 という具合に、細部はリアルなのだが、荒唐無稽な状況が出来して、どうもねえ。とりわけ読書の熱が冷めるのは、予言におびえる理由がよくわからないこと。最初の節の物語は娘の一人称で語られる。予言を聞いてからまず娘がパニックになる。予言を信じていないのに。でも恐怖に陥る。そうなるのは、結局アイリッシュの文体がそう向かわせているからに他ならないと思える。

<それとも>と、あたしは考えた。<あたしたちの眼前には、はたしてあたしたちが見ているような世界があるのだろうか。ほんとは内側に、目の奥にあって、外にはなにもないのではないかしら。ただ無辺の空白があるだけなのでは?>だが、その先へ踏みこめば狂気が待っているだけだから、いそいで脇へはなれた。(P96)

 こういう気分がまず現れ、その気分にとらわれると、世界が変わる。

とつぜん、室内はしんとしずまり返った。いまのいままで、あたしたちの声であんなに騒々しかったのに。まるで室内に急に毛布がおちてきて部屋をおおい、すべての音を消してしまったみたいだった(P172)

 こういう気分の落ち込みと世界の冷却が同時に進行する。ネガティブな状況を書くのにうってつけの文体。どこにも難しいことばはないのに、日常でだれもが使うことばといいまわしだけなのに。若いころの都筑道夫アイリッシュのファンだった。引用部分をタイプしていると、都筑道夫センセーはこの文体にひかれて積極的に模倣し、独自の文体を作っていったのだとよくわかった。
 以上は前半の娘のモノローグについて。後半は捜査と待機(ボディーガード)はデッドラインが近づくにつれての焦燥。「暁の死線」「幻の女」のデッドラインには感情移入できたのに、こちらのデッドラインは親近感を持てない。死の予言に恐怖を感じないから(作中にあるように、予言よりもガン治療中のほうが恐怖や不安はおおきいだろう)。資産家の大人げない態度(往生際の悪さ)にも共感がわかない。

 

  

 

 ただ一つすごいと思えるのはタイトル。「夜は千の目を持つ」からとても詩的な想像力を喚起される。アイリッシュすごいと1979年翻訳のときからおもっていた。でも、どうやら19世紀の詩人の一節だという
 コルトレーンが同タイトルの曲を作っていた。
 John Coltrane Quartet - The Night Has A Thousand Eyes

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パーシヴァル・ワイルド「探偵術教えます」(ちくま文庫)

 ワイルドが1940年代に書いた連作短編集。「エラリー・クイーン」の片割れダネイの寄与もあったという(エラリー・クイーン「クイーン談話室」(国書刊行会) で言及されていたと解説にあったが、全然記憶にないや)。単行本になったのは1947年。

田舎町のお屋敷付き運転手、P・モーランは通信教育の探偵講座を受講中。気分はすっかり名探偵で、学習した探偵術を試してみたくてたまらない。ところが尾行術の練習相手がたまたま本物の犯罪者だったり、強盗事件に巻き込まれたりと、毎回なぜか大騒ぎに。シロウト迷探偵の活躍を描くユーモアミステリ連作集。新訳「P・モーランの観察術」を追加収録した完全版。
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480435026/

 探偵になりたいけど、観察力にも推理力にも恵まれない(そのうえスペリングがダメ)中年男がすすんで素人探偵を務める。

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P・モーランの尾行術1943 ・・・ 習ったばかりの尾行法を町のイタリア人に試してみたら。相手の勘違いで警官と思われたモーランに、仲間の連中が次々と接触する。モーランはかわいこちゃんにベタぼれ、ついにデートにこぎついたが、いっしょにイタリア人の仲間もついてきた。戦時中なので「イタリア人」を悪にみてしまう。小説でなかったら、ヘイトクライム一歩前。

P・モーランの推理法1944 ・・・ 人間を観察すると職業がわかるという教習でモーランはテキストとおりの屠畜者をみつける。仲良しになったところで、お屋敷が呼んだバンドが演奏できなくなり、モーランは屠畜者がバイオリン弾きだったのを思い出す。大急ぎで呼びに行ったら、銃を突き付けられた。通信講座のつまらないテキストとおりにモーランが動いたら、テキストとおりの出来事が起きたというユーモア編。銃を撃ったことのないモーランがぶっ放したら百発百中というギャグも。

P・モーランと放火犯1945 ・・・ 放火の教程に入ったモーラン、なじみの店で探偵術を使う。深夜に張り込みをすると、なじみの店の女の子がモーランに言い寄ってきた。モーランは女の子といっしょにさらに調査をすることにした。逆さに書かれたホームズの「  」(秘密の日誌に書いておく)。ピント外れの指示を送る通信教育学校の主任警部もおかしいし、事件解決後のモーランの慌てぶりもおかしい。

P・モーランのホテル探偵 ・・・ モーラン、ホテル探偵(ハウス・ディック)になる。すでに探偵であることは有名。見張っていなけえればならない有閑マダムと仲良くなるが、すぐに正体を暴かれ、使命をしゃべりまくる。おかげで通信教育学校から退学されてしまったが・・・。ほのぼの人情譚。

P・モーランと脅迫状1946 ・・・ 銀行の副支配人の口添えで、支配人の困っていることを調べることになった。脅迫状の送り主と探してほしい、期限は一週間。モーランは神父といっしょに探しに行く。珍しく犯人あての探偵小説でした。

P・モーランと消えたダイヤモンド1946 ・・・ あるパーティで資産家のダイヤモンドが11個も盗まれた。招待客の身体検査をしたが出てこない。モーランの友人の女子大生が探偵小説講義の知恵を使って解決する。過去の有名な宝石の隠し場所トリックを試して、モーランは美術品をぶち壊してしまう。最高の笑いどころだけど、撃たれずに済んでよかったね、モーラン。

P・モーラン、指紋の専門家1947 ・・・ モーランは指紋に興味をもった。というのはガールフレンドが漫画の探偵小説に興味をもっているので。デートでドライブにいったとき、彼女は銃をモーランにつきつけた。今までの設定を逆転させる会心の一作。

P・モーランの観察術1951 ・・・ ゴルフ場でゲストの宝石が盗まれた。女性のロッカールームで。モーランは容疑者を観察するために、シャワールームにこもることにする(おいおい)。珍しく犯人あての探偵小説でした。

 

 最後の短編を読んでようやくわかったのだが、モーランは運転手。なので出かけた先では主人が帰るまで閑だから、施設の女の子にちょっかいを出してしきりにデートをしていたんだね。そのときに、モーランは話のついでに探偵術を習っていることを吹聴してテキストを見せびらかし、女の子はそれを読んで探偵をしていたわけだ。なるほど、謎解きの多くがモーランではなく、女の子が行うというのがわかりました。とんだぼんくらでした、俺は。
  書かれた時代には、ハメットとチャンドラーがハードボイルドな探偵を描き、スピレーンのタフガイが町中を駆け回り、ウルフとアーチーも活躍していた。実にマッチョな探偵がたくさんいた時代なのであったが、そこにおいてピーター・モーランは異彩を放つ。成功しているんだか失敗しているんだかよくわからない抜けた探偵、でもほっとけない人情味を感じる。
 こういう小説は上のタフガイや知的エリートが活躍する短編の間に読んだときに、読後の印象が良くなるわけで、こればかりを読むとちょっと飽きるな。もっとゆっくり読めばよかった。
 アメリカは19世紀の終わりごろから通信販売が始まった。分厚いカタログを送付してもらい、図版と説明書きを見て買うものを決め、注文書と代金を郵送すると、商品が届けられる。遠隔すぎて店舗を建てるわけにはいかない地域を市場にするのに、こういうシステムができたのだ。可能になったのは、汽車と自動車の交通網と電信電話に郵便網の整備。多くの場合は物を売っていたわけだが、本書の時代にはサービスまで販売されていたらしい。解説によると1910年代にすでに通信教育の探偵が出てくる小説があり、この後も書かれていたという。21世紀にはアーチー(byレックス・スタウト)みたいな行動派がカメラを身に着けてネット中継し、それを見ているウルフ(同)みたいな安楽椅子探偵が推理するというができそう/ありえそう。そうなると、通信教育探偵小説という趣向は使えなくなるか。

 

 

パーシヴァル・ワイルド「検死審問ふたたび」(創元推理文庫)

 おお、面白かった。さて、感想を書こうかとおもって、前作のエントリーをみてみたら、すでに言いたいことが書いてある。これは困った。
パーシヴァル・ワイルド「検死審問」(創元推理文庫)

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 コネティカットの田舎町トーントンのさらに町はずれにある古い家を都会の三文作家が買った。仕事のためにプライバシーが必要だというのだが、気難しく人嫌いの作家はさっそく隣家といさかいを起こす。しばらくして作家の家で火事が起こる。隣家のものが駆け付けると、燃えさかる炎の中に、作家の姿を見つける。消防隊も来るが、乾季で水がない。家が燃え尽きるのを待つしかない。焼け跡からは一体分の人骨が見つかり、入れ歯の鑑定で作家のもであるのがわかった。
 この事件の検死審問をするのが前回と同じ検死官のスローカム。日当や証言記録を多くとるために、相次ぐ脱線をとめないし、時間額ればすぐに翌日に回すというあこぎな(しかしまっとうな考えを持っている)男。やるきのない陪審員や正義を貫こうとする謹厳実直な陪審長をいろいろなだめたり、はっぱをかけたりしながら検死審問を続ける。
 あきらかになるのは、以前この村では同じような手口の火事が続発していて、そのときに容疑をかけられた少年が成功して隠密にもどり、事件の周囲を探っていたこと。作家は家に保険もかけず、隣人とはいっさいの交流を断とうとしていたこと。離婚した前妻には、小説の売り上げの3分の1を支払う契約をしていて、いくら書いても金が出ていく。最近、別の女性と出会い結婚していたこと。火事現場からは無線の残骸と導線が発見されていたこと。陪審長は家の周囲を探る不審者を求めて、審問中に実地検分にでかけ、証言記録に詳細な注釈をつけている。
 という状況は一度にはわからず、数名の証言者の記録から読み取らなければならない。通常の訊問とは違って、証言では陪審員が途中で口をはさむことがないので、証言は脱線に次ぐ脱線。家のセールスマンは営業の極意を語りたがり、隣人の菌類学者はトーントンに生えるキノコの蘊蓄を延々と語り、作家の前妻は上流階級でちやほやされる自分を誇るのに熱心で、ギリシャ語やラテン語教師だった陪審長は故事や古語の蘊蓄を語ってばかり。証言からうかびあがる作家も、気難しい付き合いにくい男。事件の関係者はそろって、はた目からすると他人に迷惑をかけてばかりだが、まったく気づいていない人たち。付き合うには面倒でしかたがないが、遠目では滑稽で、迷惑を許しても構ないと思わせる。読者のまわりにもそういうひとたちはたくさんいそうで、エキセントリックな証言なのだが、浮かび上がる人間像はリアル。ときにこいつは俺だあと、赤面したくなるようなシーンもある。ファンタジックでほのぼのとした小説なのに、人物は妙になまなましい。そこがよい。前作「検死審問」と併せて読まれたし。もっと読みたいが2作だけ。もったいない。
 真相ではうまく「犯人」を隠していた。この隠れ方はなかなかうまい(火事そのものはシンプル)。凡庸で不熱心にみえるスローカムが、実は公正や正義の実現を目指しているところがアメリカ的。草の根民主主義で、共和主義を実行している。
小林正弥「サンデルの政治哲学」(平凡社新書)-2 

 作家は大量の短編を書いて雑誌に送って売っていた。1920-30年代のパルプマガジンの流行は長編を書かず短編だけで生計を立てられる作家を生むようになった。ハメット、ラブクラフトがその嚆矢で、初出1942年にはアイリッシュ、ブラウン、ハインラインらが若手として活躍中。前妻はコーラスガールでブロードウェイに登場。アメリカ西部では映画よりも舞台のほうが成功のチャンスが大きかったのだろう。アイリッシュ暁の死線」1944、マクロイ「家蠅とカナリア」1942、ちょっと前のクイーン「ローマ帽子の謎」1929など。
 どうも、謎解きより、社会学的な発見をするほうに注意が向いてしまう。