odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

田中宏「在日外国人(第3版)」(岩波新書)-1

 2013年にでた第三版を読む。前の「新版」が出たのは1995年。およそ20年後との大きな違いは、日本社会に排外主義やレイシズムが蔓延するようになり、路上やネットでヘイトスピーチがおおっぴらに発せられるようになったこと。アジア諸国が経済発展する一方、日本の経済は沈滞し、少子化が進んで労働力が減少している。外国人労働者を奴隷のように使う行為が横行する。とくに中近東で難民が出て、日本を目指す人がいるが、日本の行政と社会は受け入れないでいること。それらの状況を反映して、本文が大幅に書き換えられた。

 1995年初出の新版の感想はこちらで。

odd-hatch.hatenablog.jp

アジア人留学生との出会い     ・・・ 個人的な述懐。1960年代からある外国人留学生や労働者、在日朝鮮人への差別の横行。特に行政において。伊藤博文の顔が印刷された紙幣を使うことへの嫌悪感。

在日外国人はいま ・・・ 2012年外国人登録法廃止(日本人と同じ住民基本台帳法が適用される)。2009年入管法が改訂され、技能実習生制度ができる(これが奴隷労働的な酷い実情になっている)。20世紀の在留外国人は数十万人だったが、2019年には210万人。訪日外国人も2011年に544万人だったのが、2019年には3188万人。国内の多くの観光地・商業地は外国人観光客を当てにするようになった(日本人は金がないので購買力がない。一方外国人からすると日本の物価は割安)。

「帝国臣民」から「外国人」へ ・・・ 20世紀日本による朝鮮人政策のまとめ。詳細は下記まとめなど。
海野福寿「韓国併合」(岩波新書) 1995年
2017/05/24 高崎宗司「植民地朝鮮の日本」(岩波新書) 2002年
2020/03/05 徐京植(ソ・キョンシク)「在日朝鮮人ってどんなひと? (中学生の質問箱)」(平凡社) 2012年
 簡単に言うと、朝鮮を植民地にしてから日本は朝鮮人を「帝国臣民」としたが人権を保護しなかった。敗戦から講和条約までの間に朝鮮人日本国籍を喪失させられ「外国人」とされた。日本の都合に合わせて、「帝国臣民」「外国人」扱いされ、常に人権は保護されず社会保障の外に置かれた。

指紋の押捺 ・・・ 1952年外国人登録法施行から外国人の指紋押印をとるようになった(罰則付き)。もともとは植民地下朝鮮での日本企業が地元労働者管理に使いだしたもの。反対運動が起き、1990年に在日朝鮮人の指紋押印が廃止。199年に全廃(911以降、入出国に際して全員の左右親指の指紋が記録されるようになった)。(前の章の関連でいうと、在日朝鮮人を「外国人」扱い、かつ犯罪者と同等の管理をする人権侵害行為だ。)

援護から除かれた戦争犠牲者 ・・・ 1952年の講和の処理によって、朝鮮人日本国籍を喪失した。その結果、日本政府は軍人への恩給などの支払いを拒否してきた。理由は国籍が異なる/ないから。帰化しても支払い対象にならない。そのような差別政策と日本政府は続けている。今でも原爆被災者への生活支援などの支払いを拒否している。

 

 どの章もそのテーマで複数の本で勉強しないといけない。なかなか手が回らないけど、本書などですこしずつ知るようにしていこう。

 

 

2022/05/20 田中宏「在日外国人(第3版)」(岩波新書)-2 2003年に続く

田中宏「在日外国人(第3版)」(岩波新書)-2

2022/05/23 田中宏「在日外国人(第3版)」(岩波新書)-1 2003年の続き

 

 前回は1エントリーで終わった感想が今回の再読では2エントリーに増えた。最近の動向をすこしは知るようになったので、メモしておくべき事柄が増えたのだ。

差別撤廃への挑戦 ・・・ 1970年の日立就職裁判などの就職差別。自治体、士業の国籍条項撤廃運動。ほかに入居差別、「Japanese Only」表記による入店拒否など。
(就職時の差別はある程度なくなってきたが、21世紀には就職後の勤務における差別が問題になっている。フジ住宅差別裁判など。サッカーサポーターによる「Japanese Only」ダンマクは掲示者がスタジアム出禁処分をうけた。スポーツ界とサポーターの差別も問題になっている。差別撤廃法の必要性が訴えられている。)

「黒船」となったインドシナ難民 ・・・ 日本は一貫して「外国人」排除の政策をとっていたが、無視できなくなったのはベトナム戦争後のインドシナ難民受け入れ(も当初はしていなかった)から。彼らの受け入れと定住を認めるようになると、歩調を合わせるように国内の「外国人」とされた在日朝鮮人の差別政策も撤廃された。社会保障の国籍条項撤廃など。(21世紀の不況時代になると、排外主義が起こる。そこで上記の政策に対するバックラッシュといえる排外主義が起こる。外国人生活保護反対、移民受け入れ反対など。次の黒船は国連であり、日本に差別撤廃や人身売買撤廃などの勧告が行われるが、日本は無視している。)

国際国家のかけ声のもとで ・・・ 1980年代に留学生を誘致する政策になるが、日本語教育などの支援は不足。外国人労働者の子供への教育支援も不十分。なにより、在日外国人のつくる民族学校だけが支援を受けられない。(2012年の安倍政権になってから外交政策イデオロギーで無償化が除外され、司法も追随している状況がある。また2020年のコロナ禍では、朝鮮学校だけマスクの無償配布から除外された。抗議があってから配布された。)
外国人労働者と日本 ・・・ 在日朝鮮人帰化する人が出ているので、総数は減少。そのかわり戦後に日本に来る人が増えた。2019年には200万人を超えて、在留外国人によるコミュニティもできている。彼らに対する就職と就業差別が横行し、低賃金の奴隷労働が横行している。社会保障も彼らには届かない。
(日本での外国人労働者の就業環境がひどく、ひどい差別にあうのは、すでにアジア諸国に知れ渡り、日本に来るのをためらうようになっている。賃金が高い中国や、差別に不寛容な韓国を選ぶようになっている。)

ともに生きる社会へ     ・・・ 2010年代のトピック。外国人参政権。入管での長期収容・差別・虐待・ネグレクト。路上のヘイトスピーチヘイトクライム頻発など。
外国人参政権の参考エントリー>
宮島喬「ヨーロッパ市民の誕生」(岩波新書) 2004年

 

 極右やネトウヨは、「日本は日本人のもの」「社会保障は国籍保有者のみ対象。それ以外は出身国が負担」とほざくが、2010年代になって登場した屁理屈なのではなく、昭和のころからあるモットーであり、政策なのだった。バカな連中の妄言かだれかが行ったことのコピペかと思っていたが、昔からある「普通」な感覚なのだった。物事や正義をきちんと考えていない人の俗耳にはこれらの「愛国」的な言葉は入りやすいのだろう。
 背景にあるのは、日本が単一民族国民国家であるという戦後に生まれた幻想。実際には、単一民族であるどころか、常に少数民族を抱える多民族国家であった。民族的マイノリティは日本の文化に理解が深いが、マジョリティの日本人もマイノリティの文化に深く影響されている(例えば食文化)。にもかかわらず、単一民族であるという幻想が強いのは、文化的衝突による差異を認めるよりも、同質化・同一化を強要する仕組みが長年日本に根付いているからだろう(おそらく江戸の鎖国政策以来)。結果、外国人はいないものとされるか、同化を強要するものとするか、排除するものとなる。
 そのままではまずいのであって(経済的にも政治的にも道徳的にも)、是正していかないといけない。自分は意識が変えれば社会が変わるとは全く思っていなくて、まず行動を変容させなければならないと考える。そのためには法整備が必要で、行政と司法が法に則った運用をすることで、市民の行動を変える。ではどこの法整備からか、というと本書にあるように問題はどこにでもあってほとんどが手つかずの状況だ。問題のアウトラインを把握して、自分のできるところを見つけていこう(ということで、ヘイトスピーチをなくす運動にかかわっている)。

 

文京洙/水野直樹「在日朝鮮人」(岩波新書)-1

 在日朝鮮人の問題を歴史的にみる。明治政府以降の日本がどのような政策を朝鮮に取ってきたかは以下のエントリーを参考。これらには日本国内の事情はほとんど書かれていないので、本書で補完することになる。
2017/05/25 海野福寿「韓国併合」(岩波新書) 1995年
2017/05/24 高崎宗司「植民地朝鮮の日本」(岩波新書) 2002年
 本書が刊行されたのは2015年。日本国内の民族差別や排外運動がきわめて多数行われている時期。

第1章 定着化と二世の誕生──在日朝鮮人世界の形成 ・・・ 1876年の江華条約から日本は朝鮮に干渉するようになった。しばらくは朝鮮人はほとんど日本にこない(黒岩涙香「無惨」1889年には中国人街ができているのと好対照だが、日清戦争をきっかけに中国人入国は禁止ないし制限)。1897年が最初の多数の労働者を迎えた(九州の炭鉱など)。以後、鉱夫、土建業などに使われた。1910年の併合で朝鮮人日本国籍にされたが、戸籍では区別される。朝鮮では工業の雇用がなく、公務員にもなれないので、中産階級からその下は機会を求めて日本に移動。しかし渡航制限があって、簡単には日本に移住できない。それでも1920年ころから在日朝鮮人が増えた。日本の警察や行政は「朝鮮人危険」のプロパガンダを行っていて、その結果が関東大震災時の虐殺。
アーレント「全体主義の起源」などによると植民地は本国の階級階層などがないので、実験的な制度をつくることができる。それは三権分立を確立するように働くが(アメリカ)、レイシズムを強化して差別と監視の体制をつくる(インドや南アフリカなど)こともある。日本の朝鮮統治は後者にあたる。アーレント帝国主義の官僚制は、政治・法律・公的法的決定に代わって行政・政令・匿名の処分による支配形態というが、これも実践された。すなわち、朝鮮人渡航制限は法的根拠を持たない。現地の官僚による行政や政令で行われたのだった。それを本国は統制せず、官僚制が強化される。列島ではほとんど実施例のなかった治安維持法は朝鮮では実施されたのだった。そして植民地の統治形態は本国の政治や政策に影響を与え、本国のレイシズムを強化する。)

第2章 協和会体制と戦争動員 ・・・ 次第に朝鮮人労働者が増え、失業などの問題が生じる。世界恐慌で渡日は減ったが1933年ころから増加に転じる。強い渡航制限と朝鮮内の皇民化同化政策で対応した。しかし1939年から渡航制限はそのままに、強制連行・強制労働が開始された。この時期の在日朝鮮人は67万人と推定され、徴用が激しくなった1945年敗戦時には200万人強の朝鮮人が渡日していた推測される。徴用工・連行された労働者は居住・職業移転の自由がなく、送金も制限された。おもには炭鉱、金属鉱山、土建、工場などの厳しい労働が強いられ死者が多数でた。
 1930年代には朝鮮人の中からも成功者が出るようになり、集住地区のまとめ役などになり、参政権もあったので一時期は衆議院に議員がいたりもした。日本政府や官憲は官製の組織を作って彼らを監視し、子どもらには民族教育を認めず皇民化同化政策がとられた。集住地区のなかでは階層分化が起こる。
(前の章の感想で書いたとおりのことが起きていた。すなわち、植民地の政策が本国で採用された。またこの政策の一部は現在まで続いている。たとえば顔写真付きの在留カードの形態など。21世紀の極右や排外主義者の主張はこの時代の警察や特高などの公安政策に由来している。例えば通名反対、朝鮮人の土地所有不可など。なお、20世紀前半、植民地朝鮮からの渡日は制限されていたが、条件があえば渡日は可能であった。それを望むものがたくさんいるというのは、植民地で就業や居住の制限が厳しく、機会を得られなかったり、資産を奪われたりした人が多数いたことを意味する。先に渡日した人は生活が安定するば家族を呼び寄せることができたので、これによって在日人口が増えたりもした。)

 最初の二つの章は戦前。

 

2022/05/18 文京洙/水野直樹「在日朝鮮人」(岩波新書)-2 2015年に続く