odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

加藤浩子「バッハ」(平凡社新書) 宗教と生活を一体化していたバッハの音楽は近代以降の価値観では評価しきれない。

 バッハを聞きだしたときの導きの糸にしたのは、吉田秀和「LP300選」や皆川達夫「バロック音楽」など。そこには勤勉で努力家が神に奉仕する精神性が高い音楽を作曲した人とあった。真面目に聞いて襟を正すような音楽である。彼らが推薦するのは受難曲とミサ曲ロ短調をのぞくとほとんどが器楽曲。それをリヒターやヴァルヒャのような謹厳な演奏で聞くものだった。続く世代の評論家は磯山雅で「J.S.バッハ」では家庭人や職業科としてのバッハ像を立てようとする。今読み返すと、磯山も勤勉で努力家が神に奉仕する精神性が高い音楽を作曲した人とみている。真面目さ、勤勉さを徳目とする音楽として聞こうとする。


 本書は2018年にでた。著者は彼等の孫や子の世代にあたる「。ドイツの「バッハツアー」のガイドをしていた人で、バッハゆかりの土地や建物を何度も×n訪問している。そこで行われるコンサート(中規模以上の都市ではバッハだけを演奏するフェスティバルが毎年開かれ、世界の演奏家が招待される)を聞いている。聴取体験が列島在住の評論家や学者とは桁違いに多い。長年ドイツに居住しているので、ドイツの生活や歴史を実体験として知っている。そうすると、バッハの特長を勤勉、神への奉仕などに見るのは同じとしても、評論家や学者とは違うところから発想している。また21世紀になって進んだ研究成果を参照できる。彼等よりももっと生活に近いバッハ像を提示している。

 本書で知ったことをメモ。
・バッハが生まれたところや仕事をしたところはルター派の地域。ルター派の教えを遵守している人たちが住んでいるので、バッハの生活や思考もルター派の影響を受けている。どころかルター派の教えを守るように生活と仕事をしている。バッハにとっては宗教は生活および仕事と一致。啓蒙主義が出る前なので、個人の権利や自我の重要などの考えは彼にはない。
ドイツのプロテスタンティズムは以下のエントリーを参照。
2022/03/30 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-1 2017年
2022/03/29 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-2 2017年

・バッハは数代前から音楽家を職業とする職人の一族。音楽家といっても近代のように創作で食べるのではない。主な仕事は演奏と教育、そして楽器の製造や修理。創作は任務の一部ではあるが、主要なことではない。職人なので、徒弟としての修行→遍歴→親方という過程を経る。バッハが若いころに学校に行ったり、生地の周辺で職を点々としたのは、徒弟と遍歴という職人修行の一環。そこに近代のような自分探しの物語を見てはならないだろう。親方になるのはいくつか条件があり、教会や宮廷や市などの音楽職に就くことと結婚すること。バッハも最初の結婚をしたときに一人前の親方になったのだ。以後は職務を全うしながら、弟子をとり、教育を行う。これも親方の任務の一つ。そんな具合に、バッハは中世以来の職人生活をその通りに送った。

・親方になったあとは、よりよい生活と条件を求めて仕事先を変える。バッハはつねによい条件を獲得していった。だからといって、J.S.バッハは職人生活で最も成功した人ではない。当時のドイツは学歴社会であって、大学を卒業していないJ.S.バッハは一流どころの職にはつけなかった。テレマンの方が人気も収入も職格も上だった。
(音楽家が職人でなくなるのは、バッハの没後。教会や宮廷が音楽職を維持できなくなり、ブルジョアが音楽のパトロンになったのがきっかけ。バッハの息子たちやハイドンモーツァルトらは職人でない方法で生きていくことを様々に試みた。)

・バッハの時代は、音楽をきくことができるのは教会の行事か宮廷のコンサートだけ。市民が金を払って音楽を聴くコンサートができたのはロンドンとパリくらい。ドイツにはオペラハウスがほぼなかった。バッハが革新的だったのは、ライプツィヒ時代にコーヒーハウスで野外コンサートを行ったこと。楽員十数名がハウスの中庭などで演奏会をしていた。そこで演奏されたのが、協奏曲や管弦楽曲世俗カンタータ。ときにはバッハの父子共演があった。音楽がどのように聴かれていたか、どう変わっていったかがわかる重要情報。
(補足。17世紀フランスオペラはバレエ場面を入れなければならない。そのうちオペラのバレエ音楽だけを抜粋した曲が求められる。貴族の屋敷などでのパーティでダンスするため。それが「組曲(シート)」という名前をつけられた。フランス音楽の趣味はドイツにも伝わり、序曲のあと舞踏音楽を並べる管弦楽曲が「組曲」のタイトルで作られた。J.S.バッハテレマンゼレンカなどが作曲した。なので19世紀の歌劇序曲や音楽詩などといっしょにしないように。こういうのがレコード屋CDの解説にないので、ロマン派を聞いた後にバロック音楽を聴くと中身なしの音楽と思ったりするのですよ。)

・受難曲は聖金曜日のある受難週でだけ演奏できる作品。日本みたいに時期を外してきくのはちょっとね、とのこと。二つの受難曲があるが、合唱の大半はコラール。これは合唱団がふだん協会の礼拝で歌っているので難しくない。むしろ身近な音楽だった。

・バッハは晩年に古い音楽と非難されたが、それは啓蒙主義が普及していったから。それにより音楽の趣味が王政時代のポリフォニーと対位法から、古典派時代のモノフォニーと和声に代わった。バッハ晩年の1730-40年代には古典派の様式ができつつあった。なるほどそういう「新音楽」に熱中する若者からすると、バッハは古臭く聞こえる。

・バッハは息子や弟子のネットワークがあったので、死後も作品は伝えられた。メンデルスゾーンのマタイ甦演は重要なきっかけだが、それまで全く忘れられていたわけではない。鍵盤曲はピアノの練習曲としてひろくつかわれていた。19世紀にはアマチュア合唱運動がおこり、そこでマタイがよく歌われた。ヘンデルテレマンには弟子のネットワークはなかった。それで死後忘れられ、再評価は200年後になった。バッハが残ったのは作品がよいからだけではなかった。

 そういえば、1802年にはバッハの評伝と作品解説が出版されていた。

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西原稔「バロック音楽と国際政治」(講談社学術文庫)をみると、イギリスではヘンデルは生前も没後も評価と賞讃がつづく。18世紀末にはヘンデル生誕100年記念演奏会もあったとのこと。ヘンデルはイギリスに帰化したので、ドイツでは忘れられた(意図的に無視した)ということなのだろう。)
(19世紀の合唱運動はフランスでも日本でもあったなあ。上流文化が下に向かっていったのだなと、ナショナリズムと合唱はよく合うのだなという感想。)

 

 

 J.S.バッハが生きたのは近世。そのあと社会の仕組みがすっかり変わってしまった。近代以降、バッハのように宗教と生活を一体化する生き方をしない。できない。だからバッハの生き方がわからない。近代以降の思想をバッハに当てはめようとすると、失敗する。モーツァルトベートーヴェンの評価軸を当てはめようとしてもうまくいかない。
(ことに噴飯物なのは小林秀雄の「バッハ」1942にある「バッハは常に死を憧憬し、死こそ全生活の完成であると確信していた」というやつ。)
 あと、近代の教養主義は、バロック音楽はバッハに集まってそこから未来の音楽に広がっていったと主張しているが、それは誤り。生前のバッハの影響はケーテンやライプツィヒなどからドイツまで。フランスやフランドルやイタリアでは知られていない。没後に、ドイツ以外の地域でバッハが知られるようになったのは、ベートーヴェンワーグナーなどの音楽を受容したところから。
 J.S.バッハの説明にはこんな歴史的遠近法の誤謬やドイツ中心主義なんかがまだ入っている。いずれ入れ替わるだろうが、それまではかなり時間がかかりそうだ。それまでは本書を読んで、古い見方を相対化する作業をしたほうがよい。

 

西原稔「バロック音楽と国際政治」(講談社学術文庫) → https://amzn.to/3ZrHN2X
磯山雅「J.S.バッハ」(講談社現代新書) → https://amzn.to/3FS9QSu
加藤浩子「バッハ」(平凡社新書) → https://amzn.to/4l0dGYE

 

池内紀「モーツァルト考」(講談社学術文庫) 印象批評をやめて歴史学や社会学の方法を取り入れて音楽を研究しよう。息苦しく整いすぎたところから市民の場に出よう。

 ずっとフランス革命以後のことばかりを考えている。そうすると、フランス革命以後の変化が社会の前提になっているように思いこんでしまう。それ以前の西欧社会は別なのだ、革命以後の「19世紀」とは異なる社会なのだということを忘れている。そこで、ドイツ文学者による18世紀の素描を読む。文体からすると、少人数の聞き手に向けておしゃべりしたときの記録かしら(あとがきを読んだらそうでした)。講演会や大学の講義のような堅苦しさがなくて、親密な空気が漂う。かわりに話題はいろんなところに飛んでいく。

(前回の感想)

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 章ごとのまとめにはなりにくいので、テーマ別にメモを取る。
モーツァルトの時代はナショナリズム国民国家ができる前の最後の時代。啓蒙君主は制度を形式化・画一化しようとしたが(法、警察、官僚機構など)、まだ運営が緩やかな時代だった。複数言語を知っていれば、ヨーロッパのどこにでも行けた。戦争も傭兵の戦いだったので、庶民にはほぼ関係がない(食糧不足と物価高になるくらい)。敵国の一般人には敵意をもたない。

・とはいえ革命が近づくにつれ、国からの圧力が強まる。身分、規制、忠誠心など。モーツァルトブルジョア層がフリーメーソンに入ったのは、国の規制を逃れ、国の外にある共同体で自由と平等と同胞愛を楽しむため(フリーメーソンが陰謀団扱いされたのは、近代になってから)。

バロック(本書ではマリア・テレジアの時代)は号令と叫び、ロココ(本書ではヨーゼフ2世の時代)はささやきとおしゃべり。カフェができ、市民サロンに集まった(夏目漱石「文芸評論」を見ると、ロンドンはもっと早く18世紀初頭からカフェがあった)。

モーツァルトがいたザルツブルク大司教が領主であった町で、金があるので、イタリアに憧れていて、多民族多言語の街だった(ハプスブルク帝国全体がそう)。一方、狭く息苦しく整いすぎていて、市民の場がない。モーツァルト親子はそこから脱出したがった。

・ヨーゼフ2世は啓蒙君主。彼の出した宗教寛容令はカソリックの優遇撤廃と、ユダヤ教プロテスタント規制撤廃カソリックのロビイ活動をなくすため(おかげでモーツァルト一家はザルツブルグで失業)。さまざまな「改革」を行ったが、慣れたやり方を捨てられない官僚や貴族の妨害で進まない。音楽と文化に関心があったのでモーツァルトは頼った。しかしヨーゼフ2世は1790年に死去。継いだレオポルド3世は音楽に関心がなく、音楽家を解雇したので、モーツァルトは失業状態になった。フランス革命ナポレオン戦争でヨーロッパはインフレになり、ハイドンは貯めた金の価値が5分の1になってしまった。

・18世紀の宮廷がヨーロッパ文化の原型になった。マナー、衣装、スタイル、行事など。「人生は楽しむもの」「快楽を追求するのは善」という文化だった。恋愛は手練手管の応酬。娯楽はびっくりさせること(その伝統はマーラーの千人の交響曲まであったはず)。性は曖昧(かつら、男装、女装、つけぼくろ)。均整・シンメトリーはうとまれ、いびつなものが好まれた。

・18世紀に散文ができて、多くの人が文章を書いた。とくに手紙で。退屈をおそれたのと、自分の感情を伝えるため(この時代の哲学が「感情」をとても重要視し、意義を認めていたのは、感情を表現する方法や文体がなかったせいなのだね。とはいえアダム・スミス道徳感情論」、ロレンス・スターン「センチメンタル・ジャーニー」が出てくるゆえんはまだよくわからない)。

・18世紀半ばには郵便馬車網を整備した旅行網ができていたので、ヨーロッパ中を旅行できた。字を書ける人は手紙を書いたので、郵便事業は儲けがでた。なので国家事業にして君主の収入にした。モーツァルトも手紙を書いたが、人を集めて声を出して読むことを前提にしていた。そこで手紙に仕掛けを施して、朗読が劇になるような工夫を凝らした。カタログ(事物や言葉の羅列)、言葉遊び(音の連なりのリズム、楽しさ)、芝居台本のような文章など。

モーツァルトは孤独を許さない。一方、ロマン派は自分と対話して他人はいらないし、ひとりで気が狂っていけばよいという考え。

モーツァルトが35歳で死んだのは当時の代替平均寿命と同じ(1815年で男は35~40歳、女は40~45歳)。シューベルトの33歳は若干早い。ベートーヴェンの57歳はなかなかの長寿。「夭逝の天才」概念は平均寿命が延びた現代の評価になる。モーツァルトはこじんまりとした会場に向いた音楽を書いた。装飾音のつやが大事。一方、ロマン派は大会場で音がぼけるほうがよい。この違いを演奏で出さないといけない。

・晩年に窮迫したのは、貴族の家でのコンサートがなくなり、収入が減ったから。支出を抑える工夫ができない一家で、モーツァルトは着道楽で家具を大量に買っていた。

モーツァルトの「レクイエム」は近年の研究によると、1771年にミヒャエル・ハイドンが作曲したレクイエムの影響をうけている(というか模倣した)とのこと。とくにKyrie冒頭部分。
ミヒャエル・ハイドン「レクイエム」1771年

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モーツァルトの埋葬は貧窮のゆえの悲惨とみなされるのであるが、実際はヨーゼフ2世の命令によるもの。家族親族は市内まで付き添い可能で墓地に行ってはならない。遺体は身分や階級に関係なく共同墓地に埋葬。これらは当時の普通であった。(逆に市民までの埋葬が儀式化し家族親族の集まりになったのは近代になってからなのだろう。)

モーツァルトのオペラのキャラには社会的な性格や個性はない。単に一個の運動体みたいな人間で、機能や役割を持たされているだけ。(これは18世紀以前の小説の特長。ロビンソン・クルーソーガリヴァーもトリストラム・シャンディも個性はもっていない。運動体としての人間である。個性や内面を発見するのは19世紀の近代文学ができてから。内面と行動が一致しないとか、矛盾をかかえているとかのキャラができてから、個性が発見されたのだろう。オペラではヴェルディワーグナーになってからかな。)

 

 モーツァルトのことはほとんどかかれない(再読して驚いたのは、モーツァルトはちびでデブだったのだって! 映画「アマデウス」のイメージで見てはいけないのだね)。それでも類書よりはるかにモーツァルトが生き生きとして現れてくるのは、彼の生きた時代をリアルにとらえることができるため。サマリーにはいれなかった小さなエピソードと、こうしてわかる当時の社会と政治を重ねることで、モーツァルトが四苦八苦しながら生活し、しかし鼻歌まじりに次々作曲していったのがわかるのだ。同時に、18世紀の他の文芸や芸術の理解になる情報にもなる。
 18世紀のバロックロココの時代はこうやって指南してくれる人がいないとわかりにくい。どうしても近代の価値と文化で見てしまって、大いに誤ってしまうのだ。時代考証がしっかりしているはずの映画「アマデウス」をみても、極東に住むわれわれはコスプレ時代劇にみてしまうのだし。そうならないようにするには、こういう指南書を読まないといけない。
 というかフランス革命がいかにヨーロッパを変えたか、革命以後のヨーロッパの知識と思想でヨーロッパを知ろうとするのはなかなか大変。(ま、それは「明治維新」の前と後でいかに極東の列島が変わってしまい、維新前を知ることが困難になっていることとパラレルになっている。)
 2021年にNHK第二ラジオで放送されたカルチャーラジオ 芸術その魅力「モーツァルトと18世紀」(小宮正安)は、本書の記述に沿ったものだった。音楽研究が小林秀雄のような印象批評から歴史研究や社会学の方法を取り入れたものに変わったのだね。

 

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ルートヴィッヒ・ベートーヴェン「音楽ノート」(岩波文庫)-2 18~19世紀の器楽は性格を描写し詩的プログラムをもつように作曲された。

 ベートーヴェン交響曲を分析する本をいくつか読んで面白かったので、本人のノートを再読する。前回の感想はこちら。

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 前回の感想を覆すような読み方にはならなかった。より強くいいたいのは、ベートーヴェン本人のテキストを読むと、教養主義の影響下にあるベートーヴェン像は成り立たないなあということ。克己と勤勉で苦悩を乗り越えて、人類愛や市民の政治参加を歌い上げ人というのはかなりの虚像。この人は20代後半から亡くなるまで、病気と体調不良に悩まされ、使用人への愚痴をいいつのり(当時の中産階級は使用人に家事を任せるのが普通)、甥カールには過干渉であり、恋愛を断念しながら愛を求める。不安定な生活基盤で不安をもち、偏狭な性格は人付き合いがうまくいかず、ウィーン会議以降のロッシーニなどのイタリア音楽の流行で自分が忘れられていくことに戦々恐々としていた。甥カールとうまくいかないことをみても、創作作品の人類愛の理念は実生活では実現できなかったことがわかる。理念通りに生活するような人はいないのに、その人が理念や理想を実行していたとみるのは評者の押し付けなのだ。ロマン・ロランや諸井三郎のような評伝をそのまま鵜呑みにしてはならない。自分がCDや雑誌をよく買っていた2000年までのベートーヴェン解説はこの二人のような教養主義によるものだったが、今はどうなっているかしら。
 メモ
ベートーヴェンがよく読んでいたのは、カント、シラー、シェイクスピアギリシャ古典。このリストのうちカントを自分はこれまで無視していたが、第9を見ると、シラーの詩からカント「永遠平和のために」が見える。彼の時代は啓蒙主義で、普遍主義であった。そうすると人類愛を普遍化した先の社会をカントの構想に重ねることができる(という片山杜秀の指摘は刺激的)。

・そのかたわら、スコットランドの民謡に関心をもった。これはロンドンの出版社から依頼された編曲の仕事に関する。また本書でも「戦争交響曲ウェリントンの勝利”」を駄作としている。これも依頼仕事であり、当時最大のスペクタクルイベントだった野外演奏会の出し物でもあった。ナポレオン戦争勝利をバーチャルで体験する行為でもあり、ナショナリズム高揚の目的もあった。ベートーヴェンは依頼者の意図を組み、ヒットするように工夫した。これらの仕事もベートーヴェンの内面を図るものとして、もっと評価するべき。

ベートーヴェンは「苦悩を経て歓喜に至れ」というモチーフで語られる。忍従や苦悩は彼のノートに現れる言葉。ベートーヴェンが使うくらいに人口に膾炙していた観念なのだ。加えて忍従や苦悩は宗教理念で道徳観念であるともみるべき。これまではベートーヴェンの創意として読んできたが、彼の時代思潮としてみるべきではないかと思った。

・「われわれの政界の歴史は5816年(P50)」「パゴダは9000年前のもの(P58)」という記述がある。この数字は聖書に基づく世界史(普遍史)から出て来たもの。岡崎勝世「聖書vs世界史」(講談社現代新書)によると普遍史は啓蒙時代で終わったとされるが、ベートーヴェンが参照するような通俗本では普遍史が「常識」であったのだろう。彼の半世紀後、19世紀半ばに活躍したランケになると、普遍史は終わっている。
岡崎勝世「聖書vs世界史」(講談社現代新書

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 さて、今回の再読で気になったのは、性格交響曲(sinfonia caracteristica)ということば。田園交響曲のノートで出てきたことば。性格交響曲とはなにか。
 ググってみたら次の論文を見つけた。
ジークハルト・ブランデンブルク
ベートーヴェンの《第九》は “シンフォニア・カラクテリスティカ”(性格的交響曲)か(1999)

http://www.ri.kunitachi.ac.jp/lvb/rep/bran99.pdf


 著者が日本の大学で講演した時の記録で、タイトルに対し「Ja」と言っているが、十分な説明をしているわけではない。その点を留意したうえで、気になることをメモ。
・1990年代からベートーヴェンの第9の構造分析研究が盛んになった(つまり上掲の教養主義解釈は時代遅れ、ってことなのだろう)。第9は初演のときから、聴衆にも専門家にもとらえようがなく、さまざまな解釈が行われてきたのだそう。主観的な解釈だったが、最近の傾向は作曲家のテキストや生涯のできごとと突き合わせた実証主義の説明になっているみたい。

・18世紀は器楽が盛んに作られたのだが、芸術としては認められていなかった。音楽と詩を融合したオペラが芸術の最高形式とされていた。
(でヨーゼフ2世などがドイツ語オペラ制作を支援したが、ろくな作品が生まれなかった。ワーグナーより前で今に残るのはモーツァルト後宮からの誘拐」「魔笛」とベートーヴェンフィデリオ」とウェーバー「魔弾の射手」くらいというていたらく。この事態を前に、シューマンやハンスリックらが純粋器楽優位を主張しだし、ワーグナーの成功以後音楽学の主流になった。といえそう。
2023/03/24 石井宏「反音楽史 さらば、ベートーヴェン」(新潮社)-1 2004年
2023/03/23 石井宏「反音楽史 さらば、ベートーヴェン」(新潮社)-2 2004年

・性格交響曲(sinfonia caracteristica)はベートーヴェンの造語のようだが、器楽は性格(情念とか感情)を表徴するもので、気質(多血質とか憂鬱質などの4つの類型)を表現するというのは18世紀末では一般的な考えだった。

ベートーヴェンはしばしば作品に性格描写と詩的なプログラムを持たせていた。有名なのは「田園」。ほかに作品18-1の弦楽四重奏曲第1番(これにはカール・フィリップ・エマニエル・バッハの影響が認められる)。

・第9でもベートーヴェンが詩的なプログラムで創作した痕跡が認められる。作曲が進むにつれて、その構想はなくなっていった模様(でも第3楽章はそれまでの主人公の死であるという構想があったという指摘は魅力的。そうであるとすると、終楽章の冒頭で前の3つの楽章が否定され、影の薄かった第2主題が「歓喜の歌」に復活するという見方が俄然説得力を持つ)。

・論文の著者ブランデンブルクは第9は性格交響曲(sinfonia caracteristica)であると主張する。ではどのような性格を描写したのか、詩的プログラムであったかは不明。
(その一例は片山杜秀ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」「革命と戦争のクラシック音楽史」なのだろう。もう少し長生きしたらアーノンクールも論文と実演を残したかもしれない。)

 俺が妄想するには性格交響曲(sinfonia caracteristica)はある主人公が人生のさまざまな場面を遍歴する物語がある交響曲なのだ。ここで主人公というのは、個性を持った近代的自我を持つ個人なのではなく、ある種の類型(誰かとは名指せないが誰もがいると思うような性格の持ち主)である。ベルリオーズの「幻想交響曲」の主人公のような個人ではない(逆に言うと、近代的自我をもつ個人の妄想を50分の音楽にしたというのはベルリオーズの天才的な発想:まあバイロンのような破天荒な人生を知っていたからだろうけど)。「田園」の主人公は名前や個性を持たない類としての人間。それが天候の変化でどんなに気分を変えていくかを描写する。「英雄」の主人公は笠原潔「西洋音楽の諸問題」(放送大学教材)によると、自己犠牲で人類を救済する英雄から新たに生まれた人間に変わる。俺はそういう詩的プロブラムを第5と第7にもみたい。で、第9にも私的プログラムがあり、ある性格を表現しているという。さらに、シラーの詩からカント「永遠平和のために」の理想を見ることができる。
(器楽は正確を描写し詩的プログラムをもっていると共通認識は、アーノンクールモーツァルト最後の3曲の交響曲分析や、笠原潔の「英雄」交響曲分析や、片山杜秀の第9分析がでてくる根拠になる。)

 性格交響曲(sinfonia caracteristica)はベートーヴェンの造語のようだが、交響曲は性格を描くものという考えはたぶんドイツ語圏内では18世紀には共有されていた。しかし、19世紀になるとこの考えは急速に廃れている。18世紀生まれのシューベルトには残っているようだが、19世紀生まれの新し物好きシューマンになるともうなさそう(保守派のメンデルスゾーンブラームスにはまだあるかな)。20世紀のショスタコーヴィチにはその意識はあったように思える。作曲家や音楽大学では共有されていたのかも。でもドイツ教養主義ディレッタントに席巻したので、交響曲は純粋音楽とされてしまった。18世紀の伝統は消えてしまった。

(加えると、性格・感情・情念などの概念はロマン主義以降価値の低いものにされたが、アリストテレスデカルトが問題にしているように、西洋哲学ではとても重要で価値の高い概念。21世紀の言葉の使い方で判断すると誤ってしまう。俺はまだ把握していないので、ここは指摘するまで。)

 

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