odd_hatchの読書ノート

エントリーは3400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2025/9/26

岡田暁生「オペラの運命」(中公新書)-2 ドイツ中心ではない西洋音楽の歴史はオペラを語ることでわかる。

 笠原潔「改訂版 西洋音楽の歴史」(放送大学教材)のように、音楽の歴史を表現の形式でみていくと、どうしてもJ.S.バッハ以降はドイツの作曲家に系譜をみることになってしまう。でも、バロック時代以降のヨーロッパでは音楽が作られ聞かれる中心地はイタリアとフランスだった。その事実が前掲書のような音楽の歴史の記述からはもれてしまう。なぜそうなるのか。イタリアとフランスではオペラが音楽の中心だったから。前掲書の感想を書いたときに、18世紀の古典派以降は各国史が必要とメモを書いた。それはオペラの歴史を記述することで達成できてしまう。そういう目論見で、本書を再読した。前回の感想は以下の通り。

odd-hatch.hatenablog.jp


 本書から簡単なオペラの歴史を箇条書きにしてみる。
・16世紀イタリア宮中で幕間劇インテルメディオという歌と踊りのレビューが上演される。直後に生まれたモンテヴェルディらのギリシャ演劇を復興したと称される音楽劇がオペラの先駆。
・17世紀の絶対王政時にバロック宮廷がオペラを上演する。昼食会から夜会まで延々と続く宮廷祝典の出し物のひとつで、王侯貴族のための機会音楽だった。中心はイタリア。以後、イタリア出身の作曲家や演奏家はヨーロッパ各地の王侯や歌劇場に就職して、オペラを広めた。各地の音楽の権威になった。

・18世紀の啓蒙君主時代はカストラートショー。メスタージオの台本に何人もが曲をつけた。このころからフランスオペラが隆盛。イタリアオペラの歌よりも詩文の朗唱に重きを置く。バレエと合唱が重視。グルックの「改革」は歌手のショーになっていたのと、フランス古典悲劇をモデルに筋と旋律をすっきりさせた。

フランス革命で市民、大衆向けの祝典、軍隊行進が盛んにおこなわれ、救出オペラが流行った。ベートーヴェンウェーバーなどに影響。

・ナポレオン没落後のウィーン会議(1814-15)以後の王政復古で、フランスではグランドオペラが流行る。見ればわかる筋と歌手の妙技、スペクタクルを楽しむ。

・19世紀半ばころからドイツ、イタリア、東欧などの非民主化国家で国民オペラが作られる(よその国で流行った国民オペラはイタリアやフランス様式。自国の民謡を使ったものは他国ではウケない)。フランスやイタリアでは異国オペラが流行(これもイタリアやフランスの様式で作られ、異国の旋律は色付け程度)。

・ドイツではワーグナーが君臨。王侯貴族の祝典や市民の社交だったオペラを芸術作品化し、静かに聴く鑑賞スタイルを作った。

・19世紀後半からの大衆社会になると、観客は王侯貴族やブルジョアの真似をするオペラを楽しまない。似たようなスペクタクルをテンポよく見せる映画に熱中する(無声時代はオーケストラの伴奏付きで、オペラやバレエと鑑賞の仕方は変わらない)。

国民国家になると、金を喰い、国威発揚にはならないオペラを国家は支援しなくなる。政治的な利用目的がなくなり、オペラは自治体の文化施策によって補助金を出さないと成立しない(オペラを政治利用した最後がナチスドイツ)。
 あと18世紀のオペラセリア(悲劇、正調)とオペラブッファの違いがおもしろかったのでメモ。
セリア: ギリシャやローマの古典を題材、カストラートやソプラノの高音域、荒唐無稽で予定調和的、華美な演出と装置、アリアを歌う歌唱力、決まり事に従うパターン化。典型例はヘンデル
ブッファ: 〈現在〉のできごと、バリトンやバスの中低音域、キャラが劇中で変化するリアリズム、低コストな装置、重唱ができる演技力、変化にとんだ感情表現。典型例はペルゴレージ

 ギリシャ悲劇の復興(という勘違い)から始まったオペラがセリアのワンパターンになり、それにあきると〈人間〉を描くブッファに人気がでる。以後は市民や大衆の好みや政治状況などに影響されて、さまざまなスタイルが生まれていく。大衆化や国際化で生き延びようとしたが、1920年代の映画の革命によって命脈が途切れる。

odd-hatch.hatenablog.jp

odd-hatch.hatenablog.jp

 でもオペラはある程度の観客を見込める文化産業で音楽産業。なので自治体はオペラ上演を支援するし、音楽祭の主催者もオペラを変えていく努力を継続する。WW2が終わってからはオペラの歴史は作曲家や作品を対象にするのではなく、産業や大衆化として語ることになった。観客も自国のディレッタントスノッブから、観光客に代わる。

odd-hatch.hatenablog.jp

 

岡田暁生西洋音楽史」(中公新書) → https://amzn.to/43DunDz

岡田暁生「オペラの運命」(中公新書) → https://amzn.to/3ZqYDz2

西原稔「バロック音楽と国際政治」(講談社学術文庫) 音楽が国際政治に直接かかわっていたのはバロック時代だけ。音楽家は意図的にあるいは無意識に政治的に動く。

 16世紀から18世紀の西洋の歴史は把握が難しい。たくさんの参考書があるなかで、成瀬治「近代ヨーロッパへの道」講談社学術文庫の整理はとても便利。すなわち、この時代の大きな出来事はふたつ。ひとつはヨーロッパの中で主権国家ができて、対立と協調のダイナミズムをもつ国際社会(範囲は限定的)ができたこと。もうひとつは新大陸の発見と植民地化で、ヨーロッパによる〈世界システム〉ができたこと。本書が扱うのは前者の国際社会の様子。通常はイギリスの議会と各国の宮廷の政治・外交関係でまとめられるのだが、そこに〈音楽家〉の存在を挿入する。すると、国際社会の外交と対立がよくわかる。それは西洋古典音楽の見方をかえるような視点を発見することになる。


 そこで音楽家が登場する理由はふたつある。
 ひとつはバロック時代の主権国家では、国家の威信や権威を発揚する際にさまざまな祝祭や儀式を必要としていた。王侯貴族は祝祭や儀式に参加する外交の際に、踊り・歌・器楽演奏を披露することは必定。鑑賞や知識を披露することも必須だった。企画する側からすると、国家や王家の存在意義を象徴するような音楽劇を作曲家に依頼した。これに応える作品を作り上げることが職人としての音楽家の腕の見せ所だった。こうした外交儀礼の現場には必ず音楽家がいて、本来職人階級で宮廷の出入りが制限されるような階級の出身であっても、音楽家は王侯貴族と直接話ができた。そんなことができる職業は他にない。身分制が人びとを縛る時代にあって、音楽家は階級の垣根を越えることができたのだった。
 それ以外の音楽の現場でも、作曲したオペラが自分が応援する党の立場を補完するものであったり(ヘンデルやラモー)、カンタータの歌詞が国家の戦争の賛美であったりした(バッハの世俗カンタータ)。政治に関与する意図がなさそうに見えても、彼等は政治姿勢や政治的立場がおのずと作品に反映している。CDやラジオの解説には絶対に書かれていないような背景や人脈を「国際政治」からみいだすことができる。
 もうひとつは交通手段が整備されていない時代に、旅をするのは巡礼者か放浪旅芸人くらい(と本書はあげるが放浪学生とか徒弟修業中の職人も)。でも、徒弟修業の若いころから音楽家は西洋中を移動していた。おかげで就職先や知友関係はとてもひろい。なので音楽家の事蹟を追いかけると、意外な王侯貴族とのつながりが見えてくる。
 本書に出てくる音楽家には、フローベルガー、ステッファニ、ヘンデル、バッハ、ラモー、モーツァルトファリネッリカストラート歌手)など。彼らすべてが国際政治の舞台にでたわけではない。タイトルを主張できるほどの事例があるわけではない。ずいぶん大げさな題名だ。西洋古典音楽と西洋近世近代史に興味がある人には面白い話題がたくさんある。好事家向けの一冊。
〈参考エントリー〉
成瀬治「近代ヨーロッパへの道」(講談社学術文庫

 

 すこし時代を広げてみると、「音楽と国際政治」が直接かかわっていたのは、バロック時代に限ってのことだったのがわかる。それ以前の中世では音楽はとても規模が小さく、中世国家は音楽を政治に使うほどのレベルに達していなかった。フランス革命後の近代になると、議会政治と官僚制ができて、行事を議員と官僚の合議で行うようになる。音楽家は国家行事の一部分しか担当しなくなる。もっとも政治に肉薄できたのはワーグナーだろうが、彼にしても外交や内政に口をはさむことはできない。20世紀になると、音楽家は外交の道具になるか(フルトヴェングラーカラヤンムラヴィンスキーら)、政治に翻弄されるか(バルトークシェーンベルクショスタコーヴィチら)。
 政治と芸術という問題設定をすると、「表現の自由」と国家の規制とか権威社会における芸術の翼賛などになってしまう。それは近代か20世紀以降の見方。時代を少しずらすと、政治と芸術が一体化したバロック時代があった。ロマン主義は芸術が社会問題を解決すると考える流派があったが、それはバロック時代の「政治と芸術」の幸福な結婚時代を想ってのことだったのだね。

 

西原稔「バロック音楽と国際政治」(講談社学術文庫) → https://amzn.to/3ZrHN2X
磯山雅「J.S.バッハ」(講談社現代新書) → https://amzn.to/3FS9QSu
加藤浩子「バッハ」(平凡社新書) → https://amzn.to/4l0dGYE

 

磯山雅「J.S.バッハ」(講談社現代新書) バッハは宗教と生活が一体にして、世俗と宗教を切り離せない人。近代の価値観ではバッハをとらえられない。

 再読した。前回の感想。

2014/02/21 磯山雅「J.S.バッハ」(講談社現代新書)

 今回の再読で気になったのはここ。

「罪」というキリスト教的な語葉には、抵抗を感じられる方もあろう。だが、心のうちに高みや理想を思い描くとき、自分の存在そのものに痛みを覚えるという体験は、洋の東西を問わず、広くあるのではないだろうか。私は、これこそ芸術創作の原点であり、芸術に対する感動の原点でもあると思っている。人間の背負う「罪」と、その癒し――音楽においてこの問題をもっとも深く追求したのは、バッハとワーグナーであった(P127)

 ワーグナーもそう? と戸惑うのであるが、続けて「救済へのたえざる渇望を、巨大な楽劇にあふれさせた」「この渇望は人間の罪に根ざしたものであり、そこから人間を救済するのは、女性の献身ということになっている」(同ページ)にあるので、ワーグナーの思想はとてもホモソーシャル。当時のブルジョア社会の影響が濃厚に染まったもので、21世紀にワーグナーの罪と救済の思想を検討するには十分注意しないといけない(というか、彼の救済思想は弾劾の対象でしょう)。
 「自分の存在そのものに痛みを覚える」というのは、この数年の読書ではドストエフスキーのことが浮かぶ。この19世紀の作家も罪と救済を小説の中で何度も繰り返し考えたものだ。では、たとえばドスト氏が想像したキャラのうち罪と救済をもっとも考えているラスコーリニコフとアリョーシャ・カラマーゾフJ.S.バッハの孫筋に当たるかというとそうは言えない。J.S.バッハの生涯や作品から社会変革の希求や人類全体の救済というドスト氏の主題を見出すことはできない。近代の価値観でJ.S.バッハの内面や思想を推測することは困難。というかやると間違える。
 そうするとJ.S.バッハが考える罪と救済をどこを手掛かりにして考えるべきか。一つはプロテスタンティズム。バッハの時代は宗教と生活は一体であって、区別することができない。フランスのように(あるいはイギリスのように)世俗と宗教を切り分けることが受け入れられない。職業を神のおぼしめしとみなす。そこで職業、生活に宗教心が起こり、両者の区別がつかなくなる。
2022/03/30 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-1 2017年
2022/03/29 深井智朗「プロテスタンティズム」(中公新書)-2 2017年
2015/12/10 ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-1
2015/12/11 ヘルムート・プレスナー「ドイツロマン主義とナチズム」(講談社学術文庫)-2
 このような心性は近代人には理解しがたい。近代以降の人間は宗教あるいは神を考えないで、社会や宇宙の在り方を考えているが、J.S.バッハの時代ではそれはありえないからだ。「自分の存在そのものに痛みを覚える」「人間の背負う『罪』と、その癒し」を常に考えるのはJ.S.バッハの時代には常であっても、近代以降の人には難しい(ことにキリスト教の規範を共有しない極東の人間には)。
 同様に、J.S.バッハの考える人間も近代の人たちが考える人間とは一致しない。近代以降の人が考える人間は啓蒙思想と人権思想に基づくのであるが、バッハの時代では人間はもっと狭い。大航海時代以後にヨーロッパの人たちはキリスト教を持たない/知らない人たちとであい、彼らを人間とはみなさなかった。バッハの時代には異端審問はすたれていたが、ルネサンスから近世では異端の人たちも人間とはみなさなかった。宗教で区別されるのと同様に、女や子供も人間扱いされなかった。その時代思潮のなかにJ.S.バッハはいる。
 というわけで、J.S.バッハという人間と近代以降の価値観で推測するとさまざまな誤りを犯しかねない。でもJ.S.バッハの音楽は偉大。近代の聴取者を感動させ、普遍的な人間という観念ともち、平和や自由への希求を聞き取ることができる。その間にはとても深い淵がある。日本で有数のJ.S.バッハ研究者である著者にしても、その謎を明かすまでには至っていない(もちろん俺も)。
 まあ1990年に出た本だから仕方ないか。新しい研究成果を反映した本を探すか。

 

トリビア
2022/08/16放送の古楽の楽しみ「バロック時代の舞曲と舞踏」から。
フランスのオペラには舞曲がつきもの。舞曲だけを演奏して楽しみたいという要望があったので、オペラの舞曲を抜粋した組曲が作られた。オーケストラ用のものが多かったので、それらの組曲は「管弦楽組曲」と呼ばれた。(なるほど、この様式が「ドイツ」にも伝わって、オペラがない舞曲抜粋音楽をバッハやテレマンゼレンカらが作ったのだね。J.S.バッハのさまざまな組曲が舞曲ばかりでできている理由がわかった。)

 

西原稔「バロック音楽と国際政治」(講談社学術文庫) → https://amzn.to/3ZrHN2X
磯山雅「J.S.バッハ」(講談社現代新書) → https://amzn.to/3FS9QSu
加藤浩子「バッハ」(平凡社新書) → https://amzn.to/4l0dGYE