odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

日本文学

野間宏「真空地帯」(新潮文庫)-1 1944年1月の本土残留の日本陸軍。軍隊内部の強力な上意外達のピラミッドの構造。そして上から下へのいじめ・パワハラ。および炊事や経理における日常的な横領に背任、収賄が横行していた。

あれから2年、木谷上等兵が原隊に復帰した。その空白の2年間を知るものは数少ない。時期は1944年1月。イタリアがファシスト政権を倒して連合軍に降伏し、バジリオ政権が樹立したころだ。この国の戦争は各所で膠着状態。その間、この国の戦力はどんどん消耗し…

遠藤周作「沈黙」(新潮社) 西洋人が戦国時代の日本に来て、日本的なものに挫折していく。日本に幻滅・憎悪を感じる人もいる。

これも約30年ぶりの再読(2007年当時)。かつては、フェレーリに導かれて、踏絵を行うロドリゴに痛切なほどの感情移入があって、文字とおり体が震えるほどの感動を得たものだった。とりわけ、深夜の踏み絵のシーン。ロドリゴが「痛い」というとき、その痛みを…

金子光晴「マレー蘭印紀行」(中公文庫) 1930年前後のマレー半島、日本を背負えば文無し根無し草でも安全で傲慢な旅ができる。

これは昭和15年(1940年)に出版された紀行文。もとになった東南アジアの渡航体験は、「どくろ杯」「西ひがし」に書かれた1928-31年のときのこと。行きの話もあれば、帰りの話もあって、それはこの本だけではわからない。どの場所の話がいつごろのものかは、…

金子光晴「西ひがし」(中公文庫) 西洋では都市を歴史と知識で観察できるが、シンガポールやマレー半島ではエロスに誘惑される。

巴里について2年たち、根なし草の生活が板につくようになってきて、詩想も消えていく。それに若くない。妻・三千代は父に預けた子供のことが気になって仕方がない。それにかの国では日本の評判は下がる一方であり、不況はますます肩身を狭くする。ベルギーの…

金子光晴「ねむれ巴里」(中公文庫) 世界不況下のパリを下から覗くと、輝きすら幻滅にみえ、栄光は恥辱にまみれ、非凡が凡庸のきわみにみえる。

前作「どくろ杯」では、森三千代と巴里に抜けようというところ、上海にカウランプールほかで道草を食うところまで書かれていた。ここでは、先に送り出した森三千代を追って、シンガポールからインド洋にでる貨物船に乗船するところから始まる。そして約2年間…

小川洋子「博士の愛した数式」(新潮文庫) 家族に対して過剰な愛情や関係を持つことを禁じられ、しかし良好な人間関係を持たなければならない家政婦は探偵になれる。

とても平明な小説であるが、ここにはいくつかの物語がある。大状況にあたるのが、数論とそこから見出される数への愛情と思想。これがミステリーの書き手であれば、数学史まで持ち出して、事件への伏線にするような、意図的で恣意的な博学を持ち出すのであろ…

山口瞳「居酒屋兆治」(新潮社) 団塊の世代が中年の危機を脱サラで乗り切ろうとする。まだ子どもの養育や親の世話が問題にならなかった時代。

プロ野球球団ロッテに村田兆治というピッチャーがいて、めっぽう速球が早かった。先発して9回になっても時速150kmの速球を投げられるのが自慢だった。彼とか、山田久志とか東尾修とか鈴木啓示とか1970年代のパシフィック・リーグにはよい投手がいてもTV放送…

渡辺淳一「白い宴」(角川文庫) この国の最初の心臓移植手術をモデルにした小説。バイオエティクスのない時代なので問題は深堀されていない。

1968年8月8日にこの国の最初の心臓移植手術が行われた。その日は、東海村の実験用原子炉が稼働を開始した日だった。ガキだったので、これらの出来事は未来を明るくすると信じていた。のちに、いずれもそう単純ではない、多くの人の批判にさらされた忌まわし…

「立原道造詩集」(角川文庫) ある種の欺瞞、あるいは仮面である一人称でしか書けなかった早世の詩人。

これは学生時代に読んだな。記録を見ると、購入したのは1979年の学園祭の前日だ。うーん、何を感じて購入したのだろうか。個人的な追憶で甘さと苦さを感じてしまう。 それはさておき、なるほど25歳で亡くなったこともあり、詩作活動がごく若いうちに行われて…

「西脇順三郎詩集」(新潮文庫) フランス風ギリシャ趣味から中国の文人風飄々さへ。

高校時代に読んだときはもっとも難解な詩集だったな。そのころは詩集を読むと、気に入った(というより不遜であるが「ぼくが考えたさいきょうの」)詩にチェックを入れていた。たいてい3分の1くらいにチェックが入ることになるのだが、この詩人の場合最初…

北原白秋詩集(新潮文庫) フランス象徴詩や印象派の影響を強烈に受けた詩から日本の古い詩を懐古する詩風に転向したとても日本的な創作家。

なんとなく遠ざけていた詩人であったが、高校生のころには「邪宗門」のような人工的技巧的な言葉の彩にあこがれたこともあった。この詩集の半分を読んで、詩人初期の作品を読んでの感想は、この人の発想は先行する書物によって得たイメージから自分のイメー…

開高健「渚から来るもの」(角川文庫) 東南アジアの架空の国アゴネシアを舞台にした「ベトナム戦記」の小説版。

もとは1966年1月から10か月間朝日ジャーナルに連載された小説。ずっと単行本化されなかったので、1970年代に新潮社が出した「全仕事」には収録されていない。単行本になったのは1980年で、1983年に文庫化。 東南アジアの架空の国アゴネシア。1940年までフラ…

開高健「歩く影たち」(新潮文庫) ベトナム戦争体験の小説化。ノンフィクションやエッセイの切実さはここにはない。

兵士の報酬 ・・・ ベトナムのCゾーンで大隊ほぼ全滅の戦いから生還した日本人記者の3日間の休暇。アメリカの曹長と食い、飲み、買う。休暇が終えていないのに、曹長は戦場に戻るという。「渚から来るもの」の終わったところから始まるノヴェル。ストーリー…

遠藤周作「海と毒薬」(新潮文庫) 日本人エリートの〈凡庸な悪〉が起こした米軍捕虜虐待事件。

「戦争末期の恐るべき出来事――九州の大学付属病院における米軍捕虜の生体解剖事件を小説化、著者の念頭から絶えて離れることのない問い「日本人とはいかなる人間か」を追究する。解剖に参加した者は単なる異常者だったのか? どんな倫理的真空がこのような残…

峠三吉「原爆詩集」(青木文庫) ここに書かれた事実は、ダンテの想像する地獄よりもさらに陰惨で凶悪で悲惨な世界。目を背けたいが読まなければならない。

たしかにその日に何が起きたのか、その後の世界をどのように生きたのか、町がどのように復興したかは知識として知っている。それでも、その場所にいた人の体験を聞かされるとなると、そのすさまじさに圧倒され、頭を下げることになってしまう。 ここに書かれ…

松下竜一「砦に拠る」(講談社文庫) 1960年代、下筌(しもうけ)ダム建設にひとりで「蜂の巣城」を作って抗った奇想天外な運動。

1958年、大分県と県境にある小国町の集落にダム建設(下筌(しもうけ)ダム)の話が起きた。なんとなればその前年の未曾有の大雨が筑後川を氾濫させ、久留米市などで死者150名余をだす大災害となり、治水のために上流のダム建設が必要とされたからだった。こ…

横光利一「上海」(岩波文庫) 1925年の上海騒乱に遭遇した日本の高等遊民は、外国に鈍感で、軽蔑と無視を露骨に示す。

この小説は、横光利一の最初の長編。1925年の上海騒乱に触発されて、1929年から2年ほど改造に連載されたとの由。この作家は、この20年ほど品切れ状態になっていて、ほとんど入手不可能になっていた。これも2000年の岩波文庫復刊で出版された…

武田泰淳「司馬遷」(講談社文庫) 昭和19年「言論の自由」がないとき、知識人は古典と歴史から現実を批判する。

中国の古典を読むときによくある失敗は、本の中に入り込みすぎ、しかも「神」のような超越的な場所から人物評をするということ。そうなると、項羽はどうこう、劉表はあれこれ、呂后はなんだかんだ、という具合に読者の身の丈を超えて、彼らを評価し、現代の…

大岡昇平「最初の目撃者」(集英社文庫) 探偵小説好きな作家は必ずしも創作が得意なわけではない。

良かれ悪しかれ、自分の探偵小説の知識は九鬼紫郎「探偵小説百科」(金園社)に基づくのであって、そこには1975年までの出来事までしか書いていないから(その年に初版出版)、それ以後のことは良く知らない。 イギリスでは本格小説の書き手や大学教授が余技…

永井路子「雲と風と」(中公文庫) 最澄は愚直で求道者で政治音痴な桓武天皇の意図を達成したいと願って、ついに成果を生み出せなかった宗教家。

渡辺照宏/宮坂宥勝「沙門空海」を読んでいたので、平衡を取るために最澄を読みたいと思って入手したのがこれ。 「けわしい求法の道をたどり、苦悩する桓武帝を支えた最澄の生涯を、遠い歳月をこえて追跡する。北叡山開創一千二百余年、不滅の光芒を放つ宗祖…

鴨長明「方丈記」(講談社文庫) ながあきらは世捨て人でも自力更生の人でもなく、荘園収入があり、和歌の実力を慕った人が訪れていた。世俗と切れた仙人ではない。

鴨長明は「かものちょうめい」と記憶していたのだが、解説をみると「かものながあきら」としている。いつのどこの新聞記事かは忘れたが、「ちょうめい」は漢学者の読み方。当時の人びとは「ながあきら」と和名(という呼び方でいいのかな)で呼んでいたのだ…

「竹取物語」(角川文庫) 列島最初の小説はその後の文学カテゴリをすべて網羅する巨大な器を用意していた。

日本で最も古い小説。原文で読むのはつらいので中川与一訳でお茶を濁す。これでは絵本を読むのと変わりないのかな。まあ、いい。戦前の訳出と思われる格調高い文章なのだから。 書かれたのは10世紀最初と目される。たぶんこの時代の原本はなくて、後の写本や…

夏目漱石「文学評論 3」(講談社学術文庫) 技巧家「ポープ」の知的遊戯と汗の臭いがする労働文学者「デフォー」の稚拙な文学。

「第5編 アレキサンダー・ポープといわゆる人工派の詩 1 ポープの詩には知的要素多し/2 ポープの詩に現れたる人事的要素/3 ポープの詩に現れたる感覚的要素/4 超自然の材料/「ダンシアッド」 第6編 ダニエル・デフォーと小説の組立 デフォーの作品/小説の組…

夏目漱石「文学評論 2」(講談社学術文庫) イングランドの常識文学家「アディスンとスティール」とアイルランドの厭世・皮肉の文学者「スウィフト」を対比

続けて第2巻。アディスンとスティールはこの本以外で名前をきいたことがないや。 「第3編 アディソンおよびスティールと常識文学 1 常識/2 訓戒的傾向/3 ヒューモアとウイット 第4編 スウィフトと厭世文学 風刺家としてのスウィフト/スウィフトの伝記研究の…

夏目漱石「文学評論 1」(講談社学術文庫) 18世紀イギリスで文学者は政治の世界から排除され、簡潔な英語で書くようにして、本の出版で食べていけるようになった。

1909年に発刊された講義録。著者の序文には、研究がいたらないがとりあえずまとめたという釈明が書かれていて、いつどこの講義であるのかわからない。著者はしきりに謙遜するが、開国後40年目のこの国で18世紀の英文学を鳥瞰しようというのがどれほど困難で…

夏目漱石「坊ちゃん」(青空文庫) 信頼できない語り手のレポートは不可解なことだらけ。

ボランティアの手によって、著作権の切れた小説をネットで読むことができる。それを携帯電話で読むことができるのだから、世の中の進化はたいしたもの。いずれ書籍という形式はなくなり、デジタルディバイスに変わるのだろう。フェティシズムからすると残念…

椎名麟三「懲役人の告発」(新潮社) 人生は「懲役」であると思う憂鬱で深刻癖のある人たちの悲惨と滑稽。日本のドストエフスキー小説。

ここに登場する人物はみながみな「自由」を求めている。その自由がどういうものなのかはしっかり把握できていない。そのために、イライラし、悶々とし、不満を述べ、ここから出たいといい、お前は馬鹿だと罵り、かみついたり、殴りつけたりする。そういう行…

椎名麟三「椎名麟三集」(新潮日本文学40)「自由の彼方に」「媒酌人」 日本人は降って下りてきた「自由」を持て余し無責任とわがままにしか使えない。

新潮社が1960年代に出版した日本文学全集の一冊。ときにコンディションの良い品が古本屋にでることがあり、一冊100円で文庫本4冊分の小説を読むことができる。全集の中身をみると1970年代の新潮文庫はこの全集に収録された長短編を並べていったものだと知れ…

椎名麟三「重き流れの中に」(新潮文庫)「深夜の酒宴」「深尾正治の手記」 戦時下占領下日本での知識人の受苦。

自分が読んだのは昭和55年(1980年)印刷の新潮文庫版。しばらく絶版ののち、同じ文庫で復刻され、いまはもしかしたら講談社学芸文庫で読める。なにしろ戦後文学はますます入手しにくくなっている(戦前の文学のほうがまだ入手しやすい)。 椎名麟三の小説で…

椎名麟三「永遠なる序章」(新潮文庫) 占領下日本の復員軍人たちのニヒリズムと「終戦」のトラウマ。

昭和23年のベストセラーとのこと。日本は占領下で、ドッジラインの財政均衡政策のおかげで景気は上向かず、農業の生産性もあがっていないので、誰もが貧しく空腹だったという時代。この小説の中でも、食料切符制とか頻発する停電とか、当時の状況が点描的に…