odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

江戸川乱歩「世界短編傑作集 1」(創元推理文庫) 19世紀の短編探偵小説アンソロジー。古典こそ探偵小説の醍醐味。

「短編は推理小説の粋である。その中から珠玉の傑作を年代順に集成したアンソロジー。1には、巻頭に編者江戸川乱歩の「序」を配し、まず1860年のコリンズ「人を呪わば」に始まり、チエホフ「安全マッチ」、モリスン「レントン館盗難事件」、グリーン「医師とその妻と時計」、オルツィ「ダブリン事件」、フットレル「十三号独房の問題」そして今世紀初頭のバー「放心家組合」までの7編。全編に江戸川乱歩の解説、全巻末には中島河太郎の短編推理小説史を付した。」

http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488100018

コリンズ「人を呪わば」1860年 ・・・ 町の小商店で現金が盗まれた。雇い人も含めて嫌疑のある人は誰もいない。そこに、自称探偵の青年がしゃしゃりでて、捜査をかく乱する。結果は、というと、読みなれた読者にはすぐにわかる。まあ、19世紀のイギリス風俗を知るのに便利な掌編。日本初の探偵小説である黒岩涙香「無惨」と比較するがよろし。それにしてもコリンズはストーリーテリングと人物描写がうまいなあ。
2018/02/27 ウィルキー・コリンズ「白衣の女 上」(岩波文庫) 1860年
2018/02/26 ウィルキー・コリンズ「白衣の女 中」(岩波文庫) 1860年
2018/02/23 ウィルキー・コリンズ「白衣の女 下」(岩波文庫) 1860年
2018/02/22 ウィルキー・コリンズ「月長石」(創元推理文庫)-1 1868年
2018/02/20 ウィルキー・コリンズ「月長石」(創元推理文庫)-2 1868年
2018/02/19 ウィルキー・コリンズ「月長石」(創元推理文庫)-3 1868年

チエホフ「安全マッチ」 ・・・ 帝政ロシアの田舎領主の館で起きた殺人事件。ドストエフスキーの世界でミステリを描いた感じ。ここでも血気にはやる若者の暴走が描かれる。捜査のやり方、物証からの推論など探偵小説の技法を忠実にたどっている。しかし、たどりついた結論は・・・? 探偵小説が創始されて数十年しかたっていないのに、もうその文法を脱臼させる一編が書かれているとは。ユーモアと皮肉に溢れた風俗小説。さすがチェホフだけあって(これを書いたのは20代? 信じられない文章力)、文章のうまさは特筆もの。ここに収録されたどの短編よりもすぐれている。ブラボー。

モリスン「レントン館盗難事件」1894年 ・・・ 「意外な犯人」の古典例。1960−70年代のミステリ入門(少年向け)には必ず書かれていたトリック。イギリスの田舎館でおきた貴金属の連続盗難事件。ポイントは、イギリス(に限らず)旧家では多人数が住んでいて、プライバシーなんてものはなく、誰かに監視されているのだった。そこで暮らす事のストレスが、さまざまな問題を起こす。別の探偵小説の感想でも書いたが、19世紀の探偵小説とフロイドの無意識とヒステリは似ている。

グリーン「医師とその妻と時計」1895年 ・・・ イギリスの資産家の家でおきた深夜の殺人事件。迷宮入りになりそうなのを若い警官が後を継ぐ。ここから主題は隣家にうつる。盲目で猜疑心の強い中年の医師、そして貞節な若い妻。医師は犯人であることを主張するが誰も聞かない。殺人が可能であることを実証するために射撃の実験を行うがそこで起こる悲劇。高校生のときにこの本を読んだが最も印象的だったもの。ゴシックロマンスの重厚な文体で、夫婦の葛藤を第三者の客観的な視点で描く。傍目には理想的な夫婦であるが、心理的な葛藤の深いものはあった。やはりこれもフロイド的なヒステリーの問題を扱っている。探偵小説の持つ意外性にはかけているものの、心理小説として読ませるなあ。ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」の悲劇だし、マーラーとアルマの関係を想起した。

オルツィ「ダブリン事件」1902年 ・・・ ダブリンで起きた富豪の死。その直後に彼の弁護士が殺害され、奇妙な遺言書が公開される。富豪には息子兄弟がいて、兄は放蕩者、弟は親思い。しかし財産は兄に贈られ、弟はないがしろにされる。遺言書は偽造と判断され、弟に財産が委譲される。問題はそれだけだったのか? 隅の老人が語る驚くべき真相。トリックよりもストーリーの面白さ。

フットレル「十三号独房の問題」1905年 ・・・ 脱獄トリックの最高作。ポイントはそのトリックよりも、思考機械が運んだ一見脈絡のない品物の意外な用途にある。PKDもそんな感じの短編(「報酬」 Paycheck)を書いていた。単独では脱獄に使えない品物を組み合わせるといかに奇想天外なことができるか。そのあたりの面白さ。

バー「放心家組合」1906年 ・・・ 乱歩の言う「奇妙な味」の代表作。イギリスで贋造銀貨が出回る事件がおきた。警部が探偵に事件の解決を依頼したところ、別の事件が発覚する。探偵は自信満々に調査を進め、一味を懲らしめようとした。最初の事件が別の事件に転換して、それが意外な決着を迎える。ネタばれをすると探偵の見つけた「事件」は空想のものであって、思い込みの強さが失敗にいたったということ。探偵小説の作法を脱臼させた、というところが新しいのだろうな。


 こういう古典こそ探偵小説の醍醐味、というかエッセンスがあると思う。やはり、探偵小説はガス灯と馬車の走る資本主義前期の時代に起こるのがよいのだ。人権も科学も無視して、どれだけおもしろく、かつ論理的なストーリーをつむげるか、これに挑戦した先人たちの心意気、あっぱれ。その裏側には、個人の不安とか死の恐怖、それに対するゴシップ興味など、近代の病理、とりわけ心理に関する、があることになる。そこまで読まないと、面白くない。

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〈参考エントリー〉
2010/11/05 江戸川乱歩「世界短編傑作集 2」(創元推理文庫)
2010/11/06 江戸川乱歩「世界短編傑作集 3」(創元推理文庫)
2010/11/07 江戸川乱歩「世界短編傑作集 4」(創元推理文庫)
2010/11/08 江戸川乱歩「世界短編傑作集 5」(創元推理文庫)