odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

ジョン・ディクスン・カー「猫と鼠の殺人」(創元推理文庫) 他人を裁く冷酷な人間が殺人容疑をかけられたらどうなるか? カーの知識人論と倫理の世代間格差論を読もう。

猫が鼠をなぶるように、冷酷に人を裁くことで知られた高等法院の判事の別荘で判事の娘の婚約者が殺された。現場にいたのは判事ただ一人。法の鬼ともいうべき判事自身にふりかかった殺人容疑。判事は黒なのか白なのか? そこへ登場したのが犯罪捜査の天才といわれる友人のフェル博士。意外な真犯人と、驚くべき真相を描くカーの会心作。
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 1941年作。カーの作品としては珍しくオカルト・怪奇趣味はないし、不可能犯罪でもないし、ドタバタ喜劇でもないし、歴史ものでもない。イギリスの地方都市のさらに保養地辺りで起きた事件を扱っている。しかも登場人物は少なくて、容疑者は二人でしかない。ここまでシンプルな設定と構成のミステリーはカーの作品では少ないだろう。たとえばヴァン・ダインではこういう設定になるとひどくつまらない(「ガーデン殺人事件」あたり)のだが、なかなか読ませてくれた。
 ポイントは、事件の中心人物が判事で、きわめて合理的・厳格な思想の持ち主で、猫が鼠をなじるように冷酷に判決を下しているのが、立場が逆になったときにどうなるかということを主題にしているからだ。もちろんこういう人物には感情移入できるものではないが、彼が容疑者として不利な立場に置かれていることにこちらの読者は優越感をもてるのだ。彼は屈服しないし、警察その他に捜査の指導をするようなことまでする。それは彼の思想の発現であるが、問題はそこにとどまらずに、彼の判決と行動がどのように一致するのかというところまで深まっている。ある意味では、これは知識人論であって、物語最後に探偵フェル博士は犯人に問題を投げかけるのだが、それは知識人にとっては重い主題であるのだ。カーの諸作はエンターテイメントに徹していて、文学的余韻に乏しいといわれることがあるが、そんなことはないといえる作品だった(その分、カーに期待するものが乏しいので、カーを読んだという気持ちにはなれない)。
 もうひとつ気付いたことは、この作品には2通りの人物が登場して、それは19世紀生まれのモラリッシュな人々と、20世紀生まれの奔放な若い人々(1942年当時のはやり言葉で言えば、明治生まれとモダンボーイ・モダンガールにあたる)が対立しているということ。カーは19世紀の生まれであるので(たしか)、彼のモラルは前者にある。フェル博士その他が苦々しげに若い恋人たちを眺めているので、それと知れる。ポイントは、カーが世代論を行っていて、この当時のカーの諸作によくでてくる(「緑のカプセルの謎」「九つの答」など)。こういう視点は、クイーンやヴァン・ダインクロフツにはないもので、クリスティももっとあとにならないと登場してこない。この点でも、カーは十分に行き届いた時代の観察者だったと思う。
 1942年の作で、当時イギリスはドイツと制空権をめぐって厳しい戦いをしていたときだが、その様子は微塵もない。1938年のフェラーズ「私が見たと蝿がいう」は戦前であっても不安な時代の雰囲気が描かれているのと好対照。

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