odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ジョン・ディクスン・カー「夜歩く」(ハヤカワ文庫) 怪奇小説の文体で20世紀倫敦に人狼をよみがえらせる。バンコランも吸血鬼じみている。

刑事たちが見張るクラブの中で、新婚初夜の公爵が無惨な首なし死体となって発見された。しかも、現場からは犯人の姿が忽然と消えていた! 夜歩く人狼がパリの街中に出現したかの如きこの怪事件に挑戦するは、パリ警視庁を一手に握る名探偵アンリ・バンコラン。本格派の巨匠ディクスン・カーが自信満々、この一作をさげて登場した処女作。
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488118143

 処女作において、クリスティはイギリスの田舎館を舞台にし、クィーンはニューヨークの百貨店を舞台にし、クロフツはイギリスの海港にある貨物船と倉庫を舞台にした。カーは、パリの社交界を舞台にする。1920年代のパリにはおもに芸術家がたむろしていて(ピカソやディアギレフ、ストラビンスキー、ジョセフィン・ベイカーあたりの名前を思い出す)、モダンで新しい文化様式を誇っていた。
 しかし、カーはそういうものには目もくれない。代わりにあるのは、人狼伝説におびえる貴族やブルジョア、彼らの周囲にいる奇怪な人物たち。カーの立ち位置は明確で、怪奇・恐怖物語(古風なホラー)の文体でミステリを語ることだった。だから登場人物たちは人形のように影の薄いものになる。バンコランなんて吸血鬼のような雰囲気の謎めかしをしているではないか。このあまり有名にならなかった探偵は、それこそオトラントの城に居住する家臣、騎士であるのにふさわしい。文体も古風で大げさな語り口。真似してみれば、「冷気を含んだ風が突然、室内を満たし、一同は粛然とするとともに、恐怖を感じたのであった。」「その女の眼には、この世のものは思えない、どこかぞっとする皮肉で冷静な鈍い輝きがあった。」 下手糞だな。まあ、こんな感じ。M.R.ジェイムズよりも古い怪奇・恐怖小説を思い出そう(とはいえ入手は困難で、創元推理文庫の「怪奇小説傑作選」とポーの諸作くらいか)。
 こういう先祖帰り的な文体と舞台でミステリーを実行するというのはなかなか困難な仕事だったのだろう。バンコランものは6作で終了し、いくつかの習作を書いたのちに、カーは方向転換する。たぶんそれはコンメディア・デ・ラルテのドタバタ劇を取り入れること。これなら怪奇・恐怖小説との相性がよい。フェル博士やH・Mはチェスタトンを模したものなどと言われているけど、コンメディア・デ・ラルテのストックキャラクターの一人である「アルレッキーノ」なのではないか。
 このミステリを読んだ編集者は、必ず犯人を当てて見せると豪語したもののプロットの複雑さを負うことができず、何が書いてあるかわからなかった。ということらしいエピソードが残っているが、自分にも当てはまる。なんだかよくわからなかった。印象的なのは、最初の殺人の場面。豪壮な貴族の館でのパーティ、人の出入りの激しい中、時間がのろくなったようにゆっくりとした叙述が続いていく。(重要な場面になると、叙述する時間がゆっくりするのは、初期のカーに特徴的。「蝋人形館の殺人」でも、蝋人形館に侵入して死体を発見するまでの数分間を1章たっぷりかけて描いたものだった。なにか起こるぞ、という恐怖小説特有の語り口。)

  読んだのはハヤカワ文庫だけど、品切れ中らしい。なので、引用と紹介は創元推理文庫。両社に失礼。