odd_hatchの読書ノート

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エラリー・クイーン「フォックス家の殺人」(ハヤカワ文庫)

 それはまだ、英語の学習意欲が旺盛だった19歳(大学一年生)のこと。新宿・紀伊国屋書店の3階でペンギンブックスの「The murder is a fox」を買った。歯が立たなかった。3週間ほどかけて2章まで読んだところで挫折。その直後に、この文庫本がでて一度読んでいる。すっかり内容を忘れていた。ところが、途中まで読み進めたところで、フラッシュバックのようにトリックと犯人を思い出した。記憶とはそういうものだ。モノと結びついたとき、記憶は見事によみがえる。

 時代は1945年。第2次世界大戦が終了し、中国戦線の英雄パイロットがアメリカ東部の田舎町ライツヴィルに帰還する。町中こぞって彼の帰還を祝い、若い美しい妻が待っているのだが、彼の心は晴れない。彼はふたつの秘密を持っている。ひとつは、「英雄」とされるが、その行為(負傷した戦友といっしょに日本軍の包囲から離脱したこと)が間違った行為ではないかと思っていること(戦友はすぐさま死にたがっていた)。しかも日本軍との執拗な戦闘により、彼の精神は深い傷を負っていること(彼は数名の日本軍を殺している)。もうひとつの秘密は、彼の父が妻を殺害していること。この二つがトラウマになっている。自分は、この町で英雄でいることはできない、美しい妻の夫であることはできない、と。そして、彼は妻に向かう殺人衝動があることがわかる。ある嵐の夜、彼は妻の首をしめてしまう。彼を理解しようとする妻は、かつて田舎町の殺人事件を解決した探偵に12年前の父の殺人事件を再調査することを提案する。父の無実が証明されれば、彼のトラウマ(「自分は殺人者の息子だ」)から解放されるだろう。エラリーは、刑務所に収監されている父=終身犯といっしょにライツヴィルを訪れる。
 主要な登場人物は6人。初老の兄弟とその妻、息子と養子の娘(息子が英雄、養子の娘がその妻)。登場人物は凡庸な、ごく普通のひとたち。(たぶん小麦畑に囲まれた)田舎、しかも舞台はふたつの家(片方の家はほぼ廃屋)に限られる。事件は12年前、手がかりや証人はほとんどいない。ストーリー中、事件らしい事件といえば、深夜に廃屋に侵入したコソ泥にエラリーが殴られることくらい。エラリーもいつもの饒舌さを捨てて、家族たちを静かに見ているだけ。およそこれほど平坦なミステリーもめったにない。
 ところが、それでいてじっくりと「読ませる」。そして驚愕の結末。どこかで「静かな傑作」と称していたがそのとおりで、これほど読みでのある小説というのも珍しい。むしろ華々しい活劇と饒舌で売っていたクィーンがこのような小説を書いたということに驚く。
 なんでこんなに読ませるのだろうと考えていたら、この話の構造がギリシャ悲劇やギリシャ神話をそっくりいただいていることに気がついた。英雄が長い冒険から帰還する。その間に、英雄の所属していた共同体に歪みが生じてしまう。歪みは共同体の豊穣さが失われることに現れる(「フォックス家の殺人」では、英雄が妻との結婚を解消する=子孫繁栄の機会が失われる、という形で現れる)。多くの証言、手がかりが集められ、不幸の原因が判明し、最後に神託が下る。そして過去におきた事件の真相が明らかにされ、浄化とともに共同体の豊穣さが回復される。たしかオイディプスオデュッセイアアガメムノンも、ヘラクレスもこういう物語であったのではなかったか。
 クィーンのこの小説の場合、共同体はそのまま二つの家族に限られ、過去の二つの結婚と一つの不倫が明らかにされる。一見平穏な共同体に、英雄(前節では若い方がそれにあたると思っていたが、実は監獄に収容されていた「殺人犯」の初老の父こそが「英雄」の役割にふさわしいのだった)が帰還するともに、共同体が激しく揺り動かされ、過去がきしみだす。ひとつの不倫がおきたことが夫や妻たちを動揺させていくさまは、なんにも起きていないのに、非常にサスペンスフルだった。
 こういう状態(小説の主人公はシチュエーションそのものなのだろう)において、エラリーの役割は観察者に徹することに他ならない。共同体の間で軋みや歪みが起きているとき、外部の介入は避けるべきであり、彼ら自身によって真相を探り当てなければならない。多くのシーンでエラリーは、家族の会話の背後に隠れ、じっと聞いているだけなのだ。この点、エラリーとたとえばリュー・アーチャーはほとんど同じなのだ。
 いいミステリーだった。ところで、ペンギンブックス版の表紙は、大きなQの文字からイギリス風書斎が覗いているというイラストだった。内容からはずいぶん乖離していて、別の先入観をもってしまったではないか。