odd_hatchの読書ノート

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モーリス・ルブラン「虎の牙」(創元推理文庫)

2億フランの遺産をめぐって殺された父子。その怪死の秘密の一端をつかんだ刑事は無残にも毒殺され、その手には“虎の牙”に似た歯形のついたチョコレートが握られていた。遺産相続をめぐって奸策緻密な犯人の驚嘆すべき犯罪計画の前に、窮地に立たされる不死身の男アルセーヌ・リュパン。殺人鬼との鎬を削る凄絶な対決!
虎の牙 - モーリス・ルブラン/井上勇 訳|東京創元社

 リュパンは「813」事件でなにかあったのか死亡したことになっている。もちろんそれは偽装で、彼はアフリカあたりで活躍していた(フランスはアルジェリアを長い間植民地にしていた)。そのときの活躍で軍隊や資産家に知り合いを持った。第1次大戦後、帰国すると上記のようにある資産家の遺言執行人かつ制限付きの相続人になってしまった。上記のように正当な相続人を探そうとすると、彼の面前には死体が現れ、彼に疑いがかかるようになる。その疑いを晴らすために(かつ彼が見初めた女性の愛を獲得するために)、リュパンは超人的な活躍をしなければならない。
 この設定は、同時期の作「金三角」に似ている。こちらも怪死者の正当な相続人を探す話。遺産の相続先は「金三角」では他人であったが、「虎の牙」ではリュパン本人となる。前作では窮地に陥るのは、別の主人公であるが、こちらではリュパン本人。見初めた女性に疑いを抱きながら離れらなくなるのも前作は別の主人公で、こちらはリュパン。ほとんど同じ話を読んでいるよう。
 資産家の遺産相続をめぐる問題であったのが、途中からはなしのポイントがずれていき、最後にはリュパンと極悪殺人鬼との対決に終わるというのは、江戸川乱歩の通俗長編(たとえば「吸血鬼」とか「白髪鬼」とか「大暗室」とか。あっているかな)に似ている。というか乱歩が積極的に模倣したのか、それとも雑誌や新聞の連載というのはいつもこうしたものなのか。殺人鬼も小説中に姿を現すわけではないので、彼の妄執というのは理解しがたいし、ヒロインの心情にも共感を持てないし。という具合に、彼の最長長編ではあるものの、長いというところしか評価できないなあ。
 おもしろかったのは、最後の大捕り物でリュパン連座の複葉飛行機をチャーターしたところ。1921年作なので、第1次大戦で飛行機の有効性は認められたものの、まだ商業化も国家の管理も行き届いていなかった時代。連座複葉機の操縦士も個人で飛行機を所有していて、たぶん曲乗りなどの興業に参加していたのではないかしら。これからほぼ10年後のクイーン「エジプト十字架の謎」ではクイーンは民間の定期航空便を使って州をまたぐ大冒険をおこなっているのだから、1920年代というのは民間航空業が急速に発展していった時代なのであった。その一方で、飛行士は冒険家の側面をもっていたのであって(なにしろ第1次大戦中の戦闘機乗りは貴族の出であって、飛行機は騎馬の代わりというメンタリティだった。戦闘も一騎打ちであった。だから撃墜数を競うことに誇りを持ったのだった。)、彼らの誇りと勇気をみることができる。そういう一人がアントワーヌ・サン=テグジェベリだ。