odd_hatchの読書ノート

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モーリス・ルブラン「水晶の栓」(創元推理文庫)

水晶の栓〉とは何か? 謎は謎を生んで、複雑怪奇な様相を呈するに至る。6か月にわたるリュパンの不運・過失・模索・敗北は何を意味するのか? 運河事件に端を発し、部下の裏切りと謎の人物、剛毅、果断、沈着、明哲、大胆洒脱な怪人との対決が始まる。水晶の栓に隠された汚職の証拠物件をめぐって展開するスリルとサスペンス。
水晶の栓 - モーリス・ルブラン/石川湧 訳|東京創元社

 文庫の奥付では1910年とあり、ウィキぺディアでは1912年となっている。どっちがただしい(ついでにいうと「奇巌城」では記載がさかさまになっている)? とりあえずいうと、この作にはヴィクトアールという老婆が登場しリュパンのために活動するが、彼女は「続・813」でリュパンの乳母として登場した人物。というわけで「水晶の栓」は「813」の後に書かれたことは間違いない(と書いたが、もっと前の「リュパン対ホームズ」に登場していたので、この断定は怪しい。自分の恥を残しておく)。
 リュパンがとある邸宅に忍び込み、家具・美術品その他を盗もうとしたとき(うーん思い返すとセコイな)、部下の裏切りにあい、窮地に陥る。警官等とのどさくさで部下がひとり殺され、最愛の部下は逮捕される。殺人嫌疑、さらにはリュパンの手下ということがわかって、彼は死刑を宣告される。部下を助けるために、その家族に会いに行ったところ、上記の運河汚職事件(ちなみにスエズ運河の開通が1869年、パナマ運河の開通が1914年)の関係者であることが知れる。すなわち20年ほど前の運河開通にあたり会社は多くの代議士その他に現金をばら撒いたと見える。そのリストを入手したある悪漢=ドーブレックが彼らを脅迫し多額の現金・資産を巻き上げていたのだった。この部下ジルベールの母、クラリースはなんとしてもドーブレックに復讐したいと願っていたのであった。ここで美人のクラリース(ジルベールは20歳くらいなので、クラリースは30代後半から40代初めか)に一目ぼれ。そこで、クラリースを助けて、自分もドーブレックに仕返しをしたいと考える。
 そういう復讐念願者は他にもいて、ドーブレックの邸宅に忍び込んだリュパンは彼が誘拐されたことを知る。誘拐先に忍び込み、ドーブレックを救出したものの刃物で刺され、重態になる。さてジルベールの死刑まであと1週間。ようやく息を吹き返したリュパン、クラリースを訪ねると、彼女はドーブレックを追いかけて列車に乗っていたのだった。行く先々でクラリースはリュパンに次に行き先の指示をするが、イタリアに近づいてしまう。このあとも、ドーブリックに何度も裏をかかれ、失意と敗北感におしひしがれることになる。
 このころのリュパンは非常に行動的。最初の盗みのときにも陣頭指揮をとり、後の忍び込みにも、追跡にも部下を従えるもののまずは自分が動き出す。その結果、負傷するわ自動車の追跡で事故を起こしかけるわ(これは「続・813」でだったか)と冒険、また冒険。このアクションの連続が気持ちよい。
 主題はたしかに意外な隠し場所(証拠品とは汚職事件の関係者27人を書きとめたメモで折りたたむと小さくなる。それを「水晶の栓」にいれているところまでわかる。ところがこの「水晶の栓」は本物、ニセモノ、ダミーなど入り乱れ、どれがほんものかよくわからなくなる。本物はどれだ、誰がもっているのかというわけだ。追加されるのは、ジルベール死刑執行まであと何日というタイムリミット。この日までに謎を解決しなければ人の命が失われる。まあ、アイリッシュ「幻の女」ラティーマー「処刑20日前」あたりを嚆矢とするらしいテーマもすでに開発済みであったのだ。さらにはこのドーブリックという悪漢がなかなかに魅力的で、リュパンを何度も出し抜くだけの頭の持ち主でありながら、掌中におさめたクラリースに突然求婚したりとかわいい一面も見せる。悪の源泉が金であり、それを恐喝でもって調達し、自分は代議士として名声を収めるというのも計算高い(それは財政的なもろさを露出することでもあるのだが)。リュパン者の悪役では現代的な強さと弱さをもったとても「人間くさい」やつだ。こういう悪役の魅力も大きい。
 さらには、リュパンの恋心と失恋もある。彼が焦がれるのはクラリースという行動的で情熱的なおばさんだ。他の小説では薄幸で人に頼りがちな深窓のお嬢さんに恋するものなので、どうもこれはリュパンにはあっていないと思う。とはいえ彼女がひとりで列車に乗って、悪漢を追跡するというのはこの時代では斬新な設定だったとおもう。
 ともあれ、このくらいの枚数だと、作者の得意なテーマを十分に描くことができ、しかも物語の進み行きがきっちりしてくるのであって、初期の長編の傑作になった。リュパンを読むなら、400から500枚くらいのサイズのものがよい。