odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ヴァン・ダイン「僧正殺人事件」(講談社文庫)

この文庫はもう新刊書店の店頭には並んでいない講談社文庫版(一時期は創元推理、講談社、角川、旺文社などいくつもの訳がでていたのだった)。訳者は平井呈一荒俣宏のお師匠さんであり、彼の文章で往時の姿をしのぶことができる。それによると、江戸の戯作者のふうを残した人であって、文章に凝るところがあり、しかも博覧強記の人だった。その人が訳したこの小説は、すこし風変わりなところがある。ファイロ・ヴァンスはアッパークラスのニューヨーカーなのだが、なんと江戸弁でしゃべってしまう。もちろんふだんは意識的にきちんとした言葉使いなのだが、ときどき情に流れるときには地の言葉が出てしまう。それはマーカムやヒースも同じで、どうもニューヨークの真ん中で起こる事件とは思えず、むしろ神田下町あたりの商人屋敷で起きた事件のように思えるのだ。そういう趣向も面白いだろう。

 ヴァン・ダインはペダントリーを小説に使っているという評判になっているが、おそらくもっとも雑学的な知識を持ち込んだと思う「僧正殺人事件」でも、最近のミステリーと比べればさほど多くのことを書いているとは思えない。ここでは主に天文学と物理学(数学者の登場する話であるが純粋数学のことは出てこない)がでてくる。時代を考えてみれば当然で、作中にもあるようにアインシュタイン相対性理論がこの時代に大いにはやっていたのだということ。そして彼の弟子筋にあたる若い物理学者が理論物理学の研究を大いに進めていたのだった。ハイゼンベルクは登場しないにしても、シュレデインガーの名をここでみることになるとは思わなかった。そういう点では、ヴァン・ダインのペダントリーというのは、超時代的な個人の趣味であるわけではなくて、その時代の趣味や流行を色濃く反映しているのだ、と見ていい。それがあきらかになるのは、点描的に描かれるヴァンスたちの休暇のすごし方で、ニューヨーカーである彼らは博物館や美術館の展示をよく見に行くがそれはおそらく実際に公開されたものであるだろう。近くのメトロポリタン歌劇場にいっては、プリマドンナや指揮者のことを話題にだしている。この歌劇場で「マイスタージンガー」をワルターが上演したという記述があってびっくりした。別の作品(たぶん「カナリア殺人事件」)でヴァンスはトスカニーニ(とたぶんニューヨーク・フィル)のモーツァルトを聞いていたりする。そういう細部で、実際の1920年代のニューヨークを思うよすがになると思うと、この作家はペダントリーの人というより、(アッパークラスの)ニューヨークの風俗を描く作家であったと思うのだ。この人は、探偵小説作家は6作くらいしか傑作をかけないといっていて、まさにそのことを実行してしまった作家であるのだが、後期の作品が大恐慌後であり、しかもハードボイルド派が作品を書き出した時期と重なっていることあたりも考慮すると、必ずしも作家能力の枯渇ばかりでなく、時代と作家のずれによってかけなくなっていったと見るべきかもしれない。
2005/02/08
 ヴァン・ダインは探偵小説を形式化を推進する役割をもつ小説を書いたと同時に、1920年代のアメリカ・バブル経済時のニューヨークの風俗を描く小説家でもあったと思っている。このことは過去に、クイーンやカーなども引き合いに出して何度も語ってきたことだ。都市の真ん中にある瀟洒コンドミニアムに住み、コレクションである美術品に囲まれ、有名芸術家の演奏会や展示会を見に行き、高級レストランで食事をする。しかも独身で、常に誰か女性に囲まれている。仕事は弁護士あるいは医師あるいは高級官僚で、肉体労働とは無縁。こういうライフスタイルをもつファイロ・ヴァンスはそのままグレート・ギャツビーになれるはずなのだ。それは、一般読者が決してなれない上流社会なのではなく、努力と運にめぐまれればなれるだろうと思わせるところにある。そういう機会がありうると、当時のバブルの最中にいた人たちは思ったのだ。
 しかし、日本ではそのようにはならなかった。たしかに邦訳はすぐさま行われたのだが、「グリーン家」が1928年、「僧正」が1929年の作であり、1928年には金解禁による日本経済が大打撃を受けていたのだった。1920年代には各種の成金が生まれるなど、アメリカに似たバブルはあったがそれは遠い昔の話。日本に紹介されたときには、すでに深刻な不況の最中にある。もともと国内資本の基盤は脆弱であり、アメリカのような資産家はほとんどいなかった。資産家を目指すような都市生活者もきわめて数が少ない。何よりも、前近代的な家の制度の残されていて、人の流動化が激しくなかった時代において、独身男性が機能的なコンドミニアムに住むような生活がありえなかった。
(ちなみに漱石や鴎外らが批判した「家」の制度が解体したのは、彼らのような知識人の批判や啓蒙によるのではない。人が流動化し、生まれたところと生活するところと死ぬところが別々になるような暮らしをするようになってからだった。それを推進したのは、ひとつは工業化の推進で地方の過剰労働人口を都市に流入したこと、および軍隊を経験させたこと。これにより農業従事者と労働者の流動化が進んだ。また高級官僚や軍の指導者もさかんに移動転勤した。これにより国家レベルの指導者の流動化が進んだ。実は、戦前の日本は「家」制度を強固にする意思をもちながらも、実際の政策はそれを解体する方向に進んだのだといえる。)
 日本の探偵小説作家は一時期、ヴァン・ダインの形式を手本にしようとした。その形式を受け継ぐことはできても、風俗小説家としてのヴァン・ダインは模倣できなかった。ニューヨークの高等遊民が生活できる環境が日本になかったのだ。

平井呈一訳の感想
2016/11/17 エラリー・クイーン「Yの悲劇」(講談社文庫)-1 1932年
2016/11/16 エラリー・クイーン「Yの悲劇」(講談社文庫)-2 1932年