odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

フリーマン・クロフツ「海の秘密」(創元推理文庫) フレンチ警部視点はハードボイルドと同じだが、他人に共感を持たない警官の物語には魅力がない。

 1970年代にはクロフツの小説がたくさん邦訳されていたのだが、そのうちに品切れになり、今では「樽」「クロイドン発11時30分」をのぞくとほとんど入手不可能になってしまった。これは地元の古本屋で購入したもの。クロフツばかりが10冊くらい並んでいて、その中から状態のよさそうなもの4冊を選んで購入した。2週間後にいくと、自分がパスしたものが全部なくなっていたので、セドリ連中が購入したのかもしれない。いずれも70年代の印刷で、古いミステリーファンが手放したものだろう。
 さて、タイトルは「海の秘密」(クロフツはタイトルに「mystery」をつけることが多く、創元推理文庫ではそれを「秘密」に統一している。クイーンでは「謎」でタイトルを統一)であるが、海で起きたのは木箱詰めになった他殺体が発見されたことだけ。秘密そのものは地上で起きている。この話では時刻表はでてこないし、アリバイトリックも出てこない。容疑者も多くはないので、途中からは犯人が割れてしまうことになる。ミステリーとしてはあまりよろしくない。

ウェールズ沿岸で釣りをしていた親子が釣った獲物は、死体をつめた箱だった。 地方警察の要請によってロンドン警視庁から派遣されたフレンチ警部は、この海の秘密と取り組むことになる。 腐乱しかけた下着一枚の男の死体、しかも顔は見分けがつかず、殺害の現場も被害者の身元も不明。 狡猾きわまる犯人は、ほとんど手がかりらしい手がかりを残していなかった。 クロフツ・ファンを堪能させる本格的な犯人探しのミステリ。 本邦初訳
『海の秘密(F・W・クロフツ)』 投票ページ | 復刊ドットコム

 クロフツの書き方は主人公の視点が定まると、描写は彼の眼を通じたものになる。ここではフレンチ警部が主人公で、小説の8割は彼の視点によるものだ。この書き方は、実は同時代のハードボイルドと同じで、向こうはもっと視点が固定されていて全編がスペードやマーロウの視点で書かれている。では、クロフツが読まれなくなり、ハードボイルドがいまだに人気があるとすると、それは主人公の魅力の差というしかない。端的にいえば、フレンチ警部が「職業」としての探偵であるので、謎の解明と犯人逮捕が目的であって、それ以上にはない。したがって、トラブルの起きている家族、企業、人物に共感を持たないし、彼らの心の闇も覗かない。彼が見るものは事件の構図と手がかりだけであって、風俗や時代を観察するわけではない。もちろん、1920-30年代のときに、主に上流階級で起きる事件を扱っている探偵小説にあって、企業や市井で起きる事件を扱ったクロフツは相対的な新しさがあったのだろう。しかし、戦争が終わってしまうと、クロフツのものの見方や人へのまなざしが19世紀的なものであって(彼は1880年生まれ。処女作「樽」を40歳の1920年に発表)、戦後をみるには遅れてしまったということになるのだろう。


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