odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

朝比奈隆「楽は堂に満ちて」(中公文庫) 聖フロリアン教会の唯一無二の出来事の記録。この人は座談がおもしろい。

 自分が始めてクラシックを聞き始めたころ(1979年9月)、ブルックナーを特集するFM番組があった。その放送をカセットに録音したものを聴くことによってこの作曲家に愛着を持つようになったのだが、番組のゲストにこの指揮者が呼ばれた。70代はじめの指揮者の声はしゃがれてはいるものの、張りのあるもので、演奏によく似合っていた。のちの1990年にNHK市民セミナーという番組で、「マーラー」を講義した。30分×4回(録画して保存している。NHKアーカイブスにもある)。「シェーンベルク」を柴田南雄が担当したので、朝比奈が行ったのかと推測するが、この組み合わせには違和感があったなあ(マーラー交響曲第1番は演奏しないと公言していたし)。
 この指揮者のブルックナー演奏には、小さな伝説がある。1975年指揮者と大阪フィルはオーストリアリンツの聖フロリアン教会を訪れた。この教会はかつてブルックナーオルガニストとして勤めていたところで、彼の遺骸が葬られている。その地で、交響曲第7番1曲だけのの演奏会を開いた。午後4時から始まった演奏は、第2楽章が終わったところで、満堂が静寂に包まれているなか、午後5時を告げる鐘が鳴り響いた。演奏の途中であればオーケストラの響きに埋もれてしまうその音を余韻十分に聞き終えた後、指揮者は第3楽章のタクトを下ろしたのだった。この様子はしっかりと録音され、LPでもCDでも聞くことができる。もっとも非常にか細いので、ボリュームをあげてスピーカーに耳をつけないとよく聞こえない(右のスピーカーの上方の遠くから聞こえる)。
 この本の原著は1980年ころまでに指揮者がつづったいくつもの文章をまとめたもの。ハイライトは、上記の年の欧州演奏旅行であり、クライマックスがまさにこの日の演奏だった。だから、作者も感動をこめてこの日の出来事を語っている。
 あいにく、というか仕方がないというか、この人が書く文章はあまり面白くない。むしろ座談の方が面白い。よい聞き手を得ると、作者の弁と舌はさえて、実に面白い話を聞かせてくれる。
 この指揮者にとって重要なのは、晩年の大量のライブ録音ではなく(オケがもう少しうまければなあという感想にいつもなってしまうのだ)、戦前から2000年までの長い日本オーケストラ史の証人であることだ。戦前の上海やハルピンなどで行われたオーケストラ演奏、戦後の大阪フィル立ち上げ、彼の周りにいた多くの演奏家や作曲者のエピソードなど、彼から聞きだすべき情報は多々あったはずだ。もちろん満州国や上海、香港あたりでなにがあったのかも知らない。あるいは、彼が初演した邦人作曲家のことなど。
 そういう話を朝比奈から聞きたかった。
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 聖フロリアン教会ライブのCDは1987年からずっと販売されている。その間、値段据え置きで1枚3000円以上というのはなんだかもやもやする。あと残念なのは、LPでは演奏後の拍手が10分以上収録されているのが、CDではカットされていること。子供の声のような歓声が聞こえて、よい趣があるのに。


 これは第1楽章終了後の拍手、演奏後の長い拍手も収録されている。
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