odd_hatchの読書ノート

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石原俊「いい音が聴きたい」(岩波アクティブ文庫) いい音で聴きたい欲望は他人にしゃべりまくりたい欲望の裏返し

 万人に認められる欲望もある境を越えるようになるとそれは狂気に変わる。周囲は不可解に思うが、当人だけは正常と思っているので、説得もできずにあきれるしかない。不思議なことにそういう人生を棒に振りかねないほどの欲望を持つのは、男の方が多い。
 ここで語られるのはいい音を聞きたいという欲望であって、最初は数千円のラジカセ(死語かな)から出発して、数万円のコンポになり、ついで十数万円の単品オーディオになり、ついには数百万円の高級輸入製品にいたるという次第になる。それこそ家一軒に相当する額の資金を投入しながら、それでも欲望は満足することはなく、あれやこれやの期待と絶望にのた打ち回るのである。そこまでいってしまう心意気を書いているのは五味康祐(「オーディオ遍歴」新潮文庫)であって、五味の語る執着は壮絶なものだ。
 この作者は五味に比べればまだ現実と妥協をしているのであって、予算数万円のセットでもいい音になりますよ、定期収入があるときは月収の3倍以内に抑えておこう(いい音が聞けるからというより生活を苦しくすることなく返済可能であるからという理由)などと、学生あるいは薄給生活者にも期待をもたせるような物言いをしている。それでも彼には「もっともっと」という欲望があることは散見できるのであり、こどものような無邪気さがかわいらしいやら、苦笑いを誘うやら。

 この本を読んで、自分の部屋にある一本20万円のスピーカーの位置を変えたり、スピーカーコードを1メートル5000円のものにしたり、CDプレーヤーの置き場所を変えたり(木の板の上におくとたしかに音がまろやかになる)、一個30万円のアンプで音質を調整したり、ノイズカットの電源ケーブルを買ったりと、自分もいろいろ工夫をしてみたものだ。たしかに音はよくなった、その通り。でももっとも自分を満足させたのは、これだけ金と時間と情熱をつぎ込んだということを他人に告白するときである。以上の文章がその証明。いったい何回キャバクラその他でこの話をしたことか、やれやれ。
2002/08/24

 と書いてから8年が経過。どうなったかというと、上記のオーディオ機器はまだあるのです。しかし、ほとんど電源をいれることはなく、WindowsMediaPlayerで再生したMP3音源をPCにつないだ安物のスピーカーで流しているのだ。一度、セットすると長時間放置しておける(それこそ3日間流しっぱなしも可能)。これは便利。というわけで、「書籍を所有したい」という欲望同様に、「いい音が聴きたい」という欲望も委縮してしまったのだ。鴨長明「方丈記」にますます親近感をもつようになってきた。
 とはいうものの、自分より若いものたちは、一度はできる限りいい音のでる装置を購入して、期待と絶望、葛藤と呻吟は経験しておくべきだよ、とアドバイス
2011/3/31