odd_hatchの読書ノート

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松山巌「乱歩と東京」(ちくま学芸文庫)

探偵小説作家・江戸川乱歩登場。彼がその作品の大半を発表した1920年代は、東京の都市文化が成熟し、華開いた年代であった。大都市への予兆をはらんで刻々と変わる街の中で、人々はそれまで経験しなかった感覚を穫得していった。乱歩の視線を方法に、変貌してゆく東京を解読する。
筑摩書房 乱歩と東京 ─1920 都市の貌 / 松山 巖 著


 例によって、章ごとの主題をみておこう。あわせて引用された乱歩の作品名を書いておいた。
1章 感覚の分化と変質
・探偵の目 ・・・ 「D坂の殺人事件」。第1次大戦の好況によって地方生活者が都会に大量に流入した。それにより人間関係が希薄化した。
・目と舌と鼻、そして指 ・・・ 「人間椅子」。希薄な人間関係は商店の陳列方法を変える。常連客を相手にする棚売りから、一見客を引き寄せる陳列方式に変わる。それは商店の「看板建築」の奇抜な建築法とか、消費者のウィンドウショッピングのような新しい行動を生んだ。そこでは視覚が優位である。しかし体性感覚とか共通感覚も求められるのであり、この短編のような皮膚感覚が強調される(それは視覚優位の状況に対するアンチテーゼで、新しい消費行動から落ちこぼれたものの福音みたいな思想)。

2章 大衆社会の快楽と窮乏
高等遊民の恐怖 ・・・ 「屋根裏の散歩者」。都市に流入する地方生活者の受け入れのために新しい住居様式も生まれる。それがアパート。壁で四方を囲まれた状況で初めてこの国のひとは「プライバシー」を発見。この短編はバルビュス「地獄」と同じシチュエーション。探偵小説は人のプライバシーを暴く行為でもあるのだった(クリスティの小説はイギリスの田舎社会でプライバシーを暴くことを主眼にしているね、とこれは自分の感想)。もちろん「覗く」行為は自分の視線を過剰に意識することで、覗きを続けるものは自分の視線に自分が拘束される。
・貧乏書生の快楽 ・・・ 「二銭銅貨」。1920年代は直前の第1次大戦バブルとその破綻、インフレと米騒動関東大震災昭和2年の渡辺銀行取付騒ぎ、金貨解禁とその失敗、と経済の激動期。それを踏まえるとこの短編の主人公は金。価値の浮遊する金に振り回されたこの国の庶民の反映かな。やはりこの時代の経済史は読んでおくべき。

3章 性の解放、抑圧の性
・姦通 ・・・ 「お勢登場」。明治政府は家業をもつ家が家長を中心に仕事をする農民や家内制手工業の家族組織を基にしていたが、1920年代の都市への人口流入は実態としての「家」制度を解体した。しかし観念や規範としての「家」は強固にあり、都市の独身者ほど「家」の桎梏に苦しみ、核家族化や晩婚化を 進めた。そのとき、妻や女の位置は低くされている。
・スワッピング ・・・ 「毒草」「覆面の舞踏者」「一人二役」。都市の夫婦は「家」の制度の中では不信と不安を持ち、その制度から逃れられない。しかし、自分をどこにも所属しないもの(一人二役でどこにもいないものに変装する)ことによって、そこから自由恋愛が可能になる(と観念化できる)。とはいえ、悲劇の「覆面の舞踏者」と喜劇の「一人二役」のどちらが幸福な家庭であるかは判断できない。

4章 追跡する私、逃走する私
・追跡する写真 ・・・ 「押絵と旅する男」。写真が輸入されてからこの国の人びとは写真の幻惑性や窃視(ピーピングだ)性に魅了されてきた。そのような視線の面白さの対象として、浅草の「十二階」が作られる。1920年代からは写真は見るものからとるもの(カメラは高価であったので少数のブルジョアだけだが)に変わった。人々は写真の中に己の欲望を見出していく。押絵と遠眼鏡はそのまま写真とカメラの関係。
・逃走の実験 ・・・ 「鏡地獄」。1920年代は、客観化をこととするメディア(写真、映画)、思想(マルクス主義精神分析)が氾濫していた時代。それに抗してか、自身の内面を問題とする思想もあった。その象徴が鏡。この時代から鏡は大きくなり(輸入品とはいえ)、家庭・工場・銭湯・散髪屋・ホテルなどに巨大な鏡が置かれるようになった。そのようなプライバシーを守る場所で人は自分の姿を見た。あわせてユートピア思想もあり(「パノラマ島綺譚」「鏡地獄」)、私財を投じ、自己を幽閉するような実験も行われた(「新しい村」など)。それは資金難で費えたりする。この時代は、自分の理想とする社会と現実の社会の乖離が激しく、その分裂に人は悩む。解決方法は他人の視線を遮断して自分の姿を鏡に映すこと、社会を思い通りに改造すること。いずれも挫折や混乱を招いた。

5章 路地から大道へ
・もう一つの実験室 ・・・ 「陰獣」「吸血鬼」。1922年の関東大震災のあと、同潤会アパートが作られる。それはスラムに隣接して作られ、年収2000円以上の高額所得者と対象とするものであり、スラム住民を領道する目的を持っていた。さて、「陰獣」は1928年作で事件の現場はほぼ同潤会アパートのある位置と一致する。それから1930年の「吸血鬼」はこのような新興住宅地を舞台にするが、東京の西だった。それは当時の都市開発の傾向と一致する。同時に明智小五郎もこのころにはアパートに住む小市民と化し、文代と小林少年と擬似家族を営んでいた。
大道芸人たち ・・・ 「目羅博士」「一寸法師」。乱歩の好きなのは浅草、そして江戸趣味、見世物、大道芸人。これらは作品にしばしば登場。しかし、関東大震災により浅草周辺の工場が大森、川崎などに移転することにより、江戸趣味的な見世物、大道芸人を支持してきた職工その他が移動する。そのため、浅草の大人の熟練と見巧者のいる芸が消え、大向こうをうならせるけれんの素人が人気を博した(ブロードウェイの「ジークフリード・フォリーズ」に対するように、安木節を踊る素人娘団ができる。川端康成「浅草紅団」)。不具者、大道芸人が街から消える。それは小路をなくし(これは見世物のあるところでもある)、大道(劇場が隣接するところ)に変わったことと機を一にする。

6章 老人と少年―30年代から60年代へ
・埋葬 ・・・ 「芋虫」。都市への人口流入により変化したことは埋葬方法。土葬から火葬へ、墓地が寺から離れて企業化される。葬儀も簡略化。それにより、老人は生産性のないものとされ、労働人口に加えられず、死を前にするだけのもの。忌避されるのではなく隔離された。この時代に、労働法が整備されたがザル法で、おおくの労働者の労働環境は悪化し、労働時間は長くなった。軍人政権ができてからはさらにいっそう悪化した。「芋虫」は反戦小説とみなされるが、これを労働できなくなったものが生を忌避されている状態であるとみなすことができる。人間として生きたいが生きていけない状況。国家や共同体の支援のない社会で隔離された人びとの悲哀と悲劇。
・少年誘拐 ・・・ 1920年代から教育の競争化が生まれる。それまで父の職業を現場で見て育った少年少女があとを継ぐところを、職住の離れたサラリーマンや官僚を生む仕組みができて、そこに人びとは殺到した。そこでは子供は隔離され学歴社会の勝者になるべき勉学を強要された。子供の読者が乱歩の少年小説「怪人二十面相」などに熱狂したのは、隔離・強制からの解放と同じような閉塞感を共有していたから。戦争が悪化するにつれて、少年は「小国民」にされ生産現場に労働力の担い手となる(もちろんそんな体制で戦争に勝利できるわけはない)。


 いささか理屈に勝った文章(本人談)とはいえ、乱歩の小説からこれだけ多面的な諸相を見出したということに拍手。それぞれの章には10冊以上の参考文献・資料が並べられていて、たんなる思いつきの並びではないことが明らかである(それにくらべて自分の感想の根拠の貧弱なこと)。こういう読み方は楽しいよね、あわせて当時の世相から現代にまで継続する問題をみいだすことができるという(しかも乱歩という、かつて「大人」から蛇蝎視された「低俗」小説から)というのもスカッとする。
 自分が思ったのは、引用された小説とこの本の章が交互に並んだ一冊の書物を作ること。「吸血鬼」のような長編も含まれているから1000ページを超えるかもしれないけど、そういう架空の本を夢想するのも楽しい。で、ここに引用されるような代表作はたいてい1920年代の、乱歩30歳前後に書かれた。作家生活が10年を過ぎ、社会の抑圧が強くなったころから、乱歩は生彩を失っていく。良かれ悪しかれ1920年の好況時代は社会が夢をみていて、そこに乱歩も自分を投影できた。軍の規律を社会に押しつけていく昭和10年代には、社会が政治的・現実的になり、夢を見ることができなくなっていったのだな。
 あと注目するのは、著者自身の腕によるいくたの1920年代建築の写真(プロカメラマンの撮ったものもある)。「路上観察」などという運動もあり、「トマソン」物件探しもあった。まあ、大正の好況期に建てられた建築物はそのころに寿命を向かえて、ほとんどが数年を経ずして取り壊された。乱歩の愛した光景をしのぶよすがはこれらの写真しかないわけで、東京建築探偵団「建築探偵術入門」(文春文庫)や藤森輝信「建築探偵の冒険」(ちくま文庫)、尾辻克彦/赤瀬川源平「東京路上探検記」(新潮文庫)、藤森照信/荒俣宏「東京路上博物誌」(鹿島出版会)なども参照しながら往時を思い出すことにしよう。文庫版は1994年7月初出。

    

<追記>
2015/8/9朝日新聞大島幹雄「サーカス学の誕生」の書評に、この国では1933年にドイツのハーゲンベック・サーカスが来日するまで「曲馬団」と呼ばれていたと記載がある。江戸川乱歩の小説で確認してみたら、「パノラマ島奇譚」1926年、「孤島の鬼」1926年は「曲馬団」だった。
「化人幻戯」1954年はサーカス。興味深いのは「赤い部屋」1925年がサーカスを使っていたこと。転換点になる1933年直後の「黒蜥蜴」1934年、「人間豹」1934年、「怪人二十面相」1936年ではどちらもなかった。乱歩がいつから曲馬団をサーカスに代えたかはよくわからない。
横溝正史だと「嵐の道化師」1934年でサーカスを使用し、「夜光虫」1936年ではサーカスと曲馬団が混在。1933年以前の作品ではサーカスも曲馬団も使った例がみあたらなかったので、意識的な使い分けかどうかはわからない。
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