odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

角田喜久雄「奇蹟のボレロ」(春陽文庫)

 「旅行帰りの加賀美捜査一課長は、乗船中の汽船「伊勢丸」で楽団「新太陽」のメンバーたちと出会う。楽団長の三田村の話によれば、楽団の広告が新聞を飾るたび、その横に黒枠広告で「楽団の死」を案内する広告が出るという。「なにか不吉なことが怒るのではないか?」と危惧する三田村だが、彼の不安が的中してしまう。メンバーの一人、神尾の飲んだぶどう酒の中にモルヒネが混入されており、あわや中毒死という事件がおこったのだ。辛くも一命は取り留めた神尾だが、劇団を更に悲劇が襲う。深夜、劇団が公演を行うキャバレー・エンゼルの楽師室で同じくメンバーの篠井が、匕首で刺され、更に鋼線で首を絞められて殺されたのだ。そして他のメンバーはすべて意識を失った状態で拘束されていた。他に守衛が一人いるがこちらも部屋でモルヒネを盛られ昏倒していた。偶然事件現場の前にいた少年たちの証言では、事件当夜、建物から出た者は誰もいないと言う。そうすると楽団のメンバーのうちの誰かが犯人と考えられるが、意識を失い拘束されていた彼らに殺人を犯せたはずがない。加賀美はこの事件の謎を解けるのか?」

 書誌が書いていないので発表時がわからないのだが、だぶん昭和25年前後。軽音楽団というのも、ピアノ、ベース、サックス、ギター、トランペットあたりなので、ジャズかラテンか。いずれにしろグランドキャバレーの最初期の模様が描かれている(昭和30年代の日活映画あたりでよく見られるものだ)。登場人物たちも戦争を経験していて、満州や南方からの引揚者。食糧事情は改善されてきているかな。社会の余裕が生まれているころ。こうしてみると、いい風俗史料になる。一時期忘れさられていた作品だが、こうして60年たってから読むと、もともとの意図とは違った楽しみを見いだせる(とはいえ1974年初版を古本屋でみつけたものだから、現在入手可能というわけではない)。
 ミステリとしてみると、不備がいろいろ。登場人物が少ないので犯人の見込みがはやくたってしまうこと。ページ数が少ないので、枝葉のエピソードが少なく、小説としての面白さが足りないこと。この不満は同時期の横溝正史の「本陣」「獄門島」「八墓村」にはないから、ここらへんがミステリ作家の力量の差かしら。もうひとつ、主人公加賀美警部の風采がすぐれないことで、魅力が全然ない。クロフツ的な感じだが、実のところはホームズのような観察者・部外者として推理するというところが人物造形の齟齬かな。なにしろ中年の加賀美警部はいつも疲れていて、たばこを吸ってばかりだしね。

 でもこの作家(非常に長命)にはストーリーテリングの力はあるので、のちに伝奇小説に転向。それはたぶん成功した選択でした。(後で確認したら、伝奇小説「妖棋伝」でデビューしたとのこと。)春陽文庫版はAmazon古書にないので、次善作として次のをあげます。