企業や組合の私的経営をいかに超克して、民主経営にするかという議論。通常、企業の経営は出資者がオーナーになり、業務の責任者を集めて経営陣という組織を作る。ときに、出資者が経営に参加しないで、経営責任者を別に調達してくることもある。この組織ではほとんどの雇用人は経営に参加することができない。そのため最大資本を持つ者や借入金の出資者が雇用人の利害や価値を損なう経営をすることもある。また雇用人は経営者や人事部主導の高度管理システムで、息を詰まらせていて、仕事のモチベーションを持つことが難しい。「民主経営」はこのような弊害をなくすために、雇用人も経営に参加できるようにしようというアイデア。雇用人も資本に出資させる場合が基本になるのかな。その結果、会社の構成員=出資者(株主)であり、経営会議=株主総会となり、そうなれば民主的な経営になるだろうという議論。およびその実践のためのアドバイス。
この本は、ベンチャー企業を想定していない。むしろ労働組合活動の延長で民主経営を勝ち取ろうという方法で書かれている。参考になるのは、破産した企業の資産を雇用人が買い取って、事業継承する場合かな。
「民主経営」というとき、「民」はだれかというの問いが気になった。自分は、出資者=経営者であることで、民主経営は成立するのではないかと妄想していたけど、組合には出資の形態がいろいろあるので、ことは単純にいかない。たとえば、自分が生協に加入したとき、すぐさま経営者、従業員になるわけではなく、一購入者であるわけだが、そのような利用者は「民主」化の対象になるのかは判断が分かれるだろう。あとは、このような民主経営企業はどこまで企業の規模を拡大できるかというのも気になる。実のところこの種の民主経営は、チトー時代のユーゴスラビアとかソヴェト解体後のロシアとか大不況時代の中南米とかスペイン(市民戦争時代)などによく実験されていたのである。たいてい生産性と効率化で他の企業に負けてしまったのだ。
経営における民主、という難問。民主とは、どこを指すのか。意思決定か、経営参画か、給与や利益の分配か。ステークホルダーをどこまで含めるのか。私企業とは異なる教育のコストをだれが、どこまで負担するのか。組織の規模はどのくらいが適正なのか(ルソーは民主主義は小国でしか成り立たないといっている)。民主とは、理念なのか、規則なのか、運用なのか、成果なのか。
また、民主経営の基礎として、ディスクロージャーの重要性がうたわれている。書かれたのが1997年というのを差し引いても、私企業よりも遅れている。会社法や証券取引法の改訂によって、私企業の方がはるかに厳格なディスクロージャーを求められていて、実現している。同じことはコンプライアンス(企業の法令遵守)にもある。それらに遅れていると、民主経営は理念は優れていても、成果とパフォーマンスでダメという判断になりかねない。
この本では、主に会計や監査などの運営に関する項目が書かれている。内容はごく普通の経営とマネジメントとアカウンティングのこと。これを力説しないといけないのが、戦後左翼の組合活動や労働運動の問題だ。理念・観念の研究と経営の活動は別、ということがわかっていなかったのだ。今のNPOやNGOは最初から経営とマネジメントのことを考えるようにしているはず。
あと、漏れていると思ったのは、教育と組織論。
現代経営学や会計学、最新会社法などの成果を取り入れていないので、実践の参考にはならない。
一方、成功例があるらしい。こちらはトップダウン型で行った全員参加経営とのこと。
セムラーイズム 全員参加の経営革命 (ソフトバンク文庫)