odd_hatchの読書ノート

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二間瀬敏史「ここまでわかった宇宙の謎」(講談社+α文庫)

 自分の天文学に関する知識は1980年で止まっていたので、久しぶりに科学の本を読む。一般向けなので、深くはない。残念なのは、写真(とくにハッブル望遠鏡の写したもの)がほとんどないこと。天文学は「見る」ことの快楽を満たしてくれる学問分野なのに。
 そこは、野本陽代/R・ウィリアムズ「ハッブル望遠鏡が見た宇宙」(岩波新書)で補えばよい。でも絶版かな。

    
であれば、ネットで
HubbleSite - Out of the ordinary...out of this world.
にいけばよい。昔、モノクロでみていたさまざまな写真がカラーでしかも驚くべき解像度で写されていることに驚愕するだろう。iphoneipadには専用アプリがあって、手軽に持ち運べる。なんてありがたい。
 興味を覚えたのは、宇宙の始り=ビッグバン仮説と同じように、宇宙の終焉を検討しているところ。これまではエントロピー増大による熱的死のイメージだったのだが、最近ではこのような均一な状態にはならないとのこと。あるところはブラックホール、あるところは岩石、あるところはガスのようなまま。そしてきわめて遠い(というのは人間のサイズからみて)素粒子間の運動(?)があって、なにかとほうもないサイズのエネルギーの交換が行われるかもしれない。そんな状態にいくのは、1京年(宇宙がうまれて100億〜200億年といわれている)もあとのこと。さらにそこから10の10〜15乗年くらいまでなにかの状態が続くことが想定されている。
 面白いのは、この宇宙自身が何かの宇宙の泡を作り出す可能性があるかもしれないということ。さらには、この宇宙もどこか別の宇宙の泡の一部であるかもしれない。ということで、永遠という言葉ですら短い時間になる永劫の「場所」では、局所的な揺らぎで宇宙が誕生し、別の宇宙を創成し、されているかもしれないということ。ホーキングはそんなことを考えているらしい。
 まるで、埴谷雄高が「死霊」で妄想していた「花火宇宙」みたいだ。彼の妄想と現代宇宙論の最前線が一致しているように見えるというのは愉快。(というより、埴谷雄高がそこまで勉強していたということだな。)
 振り返れば、この「理論」を前にして、宗教の考える来世なんかはどういうことになるのかね。死ぬことは怖いけれど、このパーソナリティを永遠よりも長い永劫を持ち続けるというのは、きわめて憂鬱なことだからね。すっぱりと終わることのほうが、よいと思うのだが。
 さらにいまではM理論というのが提唱されていて、この宇宙というか時空間というか、この宇宙を包含しているのは一つの膜であり、同じような膜が別にあり、ときどき(その数値で表示される時間のとてつもない巨大さ)膜が触れることがあり、膜の同士でエネルギーが交換される。それがビッグバンであるとな。ビッグバンで生じた膜の揺らぎによってエネルギーが1点に集中するが、それは1兆年(!)かけて平準化される(まあ熱的死みたいなこと)。そしていつかまた膜が触れてビッグバンが生じるということだそうだ。一時期は宇宙の始まりと終わりがあることになったが、M理論では始まりも終わりもない。ただ、このちっぽけな生命では体験も想像もできない「時間」があるということになる。やつあたりだけど、既存の宗教の「時間」なんて、これらの最新宇宙論の前ではちいせえちいせえ。