odd_hatchの読書ノート

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アンドルー・トマス「太古史の謎」(角川文庫)

 中身は新たな「ヘルメス学」。ヘルメス・トリメギウスの書いた古い書物に世界の謎が記載されていたが、それは失われてしまった。だから、現在の問題(なぞ)の答えは古代に埋もれている、ということらしい。
 十字軍遠征のあと、アラビア語に翻訳されていたプラトンアリストテレスその他の文書がいっせいにヨーロッパに紹介され、ラテン語に翻訳された。そのあたりから上記のような考え、古代のほうが知識と技術豊かで、現在はそれが隠されている、だから我々は古代の文献から叡智を回復しなければならない。(荒俣宏「目玉と脳の冒険」(筑摩書房)博物学をテーマにこのようなルネサンスから近代の移り変わりを記述しているので興味のある方は参照されたい。これくらいのレベルでオカルト者はやってほしいな。やっている人はいても廉価な本にはならないのだろうね)。
 ま、そういう立場を取るのはかまわないが、あまりに知的レベルが低くてつきあっていられない。たとえば錬金術はかつて存在していたが、当時の権力の知るところになり、弾圧があった。その痕跡が歴史文書にあるとしている。問題は2つ。たとえばその証拠は「後漢書」に書かれているというのだが、どこに書かれているのか、どのような文章なのかの記載がない。そのため検証するには全編を読まなければならないのだが、いったいどの読者がそんなことをするのか? 検証の面倒な証拠を持ち出して、持論の根拠にするのは知的誠実さに決定的に欠ける(古代から中世の西欧人が「後漢書」の翻訳を入手できただろうか)。
 もうひとつ。錬金術の禁制令が実際にあったとして(追記:村上陽一郎「ペスト大流行」によると、中世の教皇占星術錬金術の禁止令をだしていた、とのこと)、それが「錬金術」が成果が実現していた証拠とするのだが、別の可能性を検討しない。おそらくそこには、「錬金術」の名前による悪質な詐欺がたくさんあったのだ。彼らのいう錬金術が存在すれば、国家は弾圧するのではなく、独占に向かうはずである。しかし、錬金術による金貨鋳造に成功した国家はなかった。ほとんどすべての中世の国家は、財政悪化により疲弊し、のちの国民国家によって滅亡していった。18世紀後半に書かれたゲーテファウスト」にまさにこの種の詐欺が描かれる。税収が少なくなり国家経費がかさんで貧窮していた王国に悪魔メフィストフェレスは地中の宝物を担保に紙幣を発行しろと提案するのだった。当然、国家収入はあったがインフレが進行し、宝物との兌換要求に答えられず王国は壊滅するまでが書かれている。錬金術の記載はないが、中村勝己「世界経済史」(講談社学術文庫)が、中世の王権が滅んで、絶対王政国家から国民国家に変貌する経済的な説明をしている。
 錬金術師は常に国家の外で、多くは詐欺師として存在した。だから、「錬金術」の成果は存在しなかった、しかし「錬金術」を名にした詐欺師がいた、ということになるはず。
 ヘルメス学をやるなら、ちゃんとプラトングノーシス主義を勉強しなさい。古代から中世の西洋史と西洋思想史を勉強しなさい。それもないのなら、著者らの記述は詐欺である。