odd_hatchの読書ノート

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今西錦司/柴谷篤弘「進化論も進化する」(リブロポート)

 この本は、1983年夏に、今西錦司柴谷篤弘が「今西進化論」について談論した記録。米本の発案をリブロポートという出版社が企画して実現した。その背景になったのは、柴谷篤弘が「今西進化論批判試論」という本を出版していたから。もう少し背景を説明すると、1970年代後半の「科学批判」「巨大科学プロジェクト批判」があって、近代科学の還元主義に対する批判があった。また分子生物学の研究が進んでセントラルドグマに合致しない現象が見つかった。木村資生、グールドその他によるネオ・ダーウィニズムの批判が現れていた。そのような状況にあって、ダーウィニズムでない進化論であり、かつ日本発の思想である今西進化論に話題が集まっていた。たしかに、このころにはまとまった進化論の教科書はなかったなあ、そのかわりにいまなら「トンデモ」に含まれる進化論の本が自然科学の棚に並んでいた。

 いくつかの科学史的なところからきのついたところ。
・1940年代の日本の科学者の間で、還元主義批判と全体主義ホーリズム)回帰を目指す思想がはやっていた(たとえば中央公論「近代の超克」あたりと符合する動きになるだろう)。
1950年代に「ルイセンコ学説」に民主科学者協会などが飛びついた背景に、近代科学の還元主義に反対する意図もあった。(ルイセンコ学説は反メンデリズムで、かつマルクス主義者らの史的唯物論を背景にもっていた。)
・日本の進化論は、マルクス主義に影響されたものか、科学史学者によるものがほとんどで、現場の生物学研究者やフィールドワークを行うものは発言しなかった。上記のように政治的な動きに巻き込まれるのを怖れたためか。
・その結果、自前の進化論を発表するのは今西錦司だけだった。彼は戦前の山岳部活動や大規模な博物調査のプロジェクトリーダーとして名を知られていて、表立って批判することが難しい雰囲気があった(なにしろ、戦後の重要な生物学研究者はたいてい彼の薫陶を受けていたから。とりわけ彼の指導もあったサル学が世界的な高評価を得たことが大きい。)
 今西が嫌いなのは、自然選択と適応。それは彼の自然観察の結果とすると、納得する話。1983年には今西は81歳で、最新の科学知識はないからどうしても思弁的になる。柴谷が持ち出す最新分子生物学の知見をぶつけると、彼は理解できないし、消化して自分の進化論に取り込むこともできない。そういう点では、彼の進化論は20世紀のものではなく、生物学と自然哲学が同居していた19世紀のものにおさまるのだろう。ヘッケルとかフンボルトと並べるのがちょうどいい。彼の考えはすばらしくとも(京都学派にある「共同体主義」が目に付いて政治的に使われやすいので、自分は納得しないが)、彼の考えは別の研究者に継承することができない。彼一人の一代芸なのだ。これは科学ではない(フロイトの「精神分析」、レヴィ=ストロースの「神話の構造分析」などがそういう批判を浴びている)。