odd_hatchの読書ノート

エントリーは3200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2024/11/5

ジョルジュ・ローデンバック「死都ブリュージュ」(岩波文庫) 妻を亡くした〈オルフェオ〉は憂鬱な地獄に絡めとられて脱出できない。

沈黙と憂愁にとざされ,教会の鐘の音が悲しみの霧となって降りそそぐ灰色の都ブリュージュ.愛する妻をうしなって悲嘆に沈むユーグ・ヴィアーヌがそこで出会ったのは,亡き妻に瓜二つの女ジャーヌだった.世紀末のほの暗い夢のうちに生きたベルギーの詩人・小説家ローデンバック(一八五五―九八)が,限りない哀惜をこめて描く黄昏の世界.
岩波書店


 妻を亡くして5年が過ぎた。妻を亡くした翌日にユーグはブリュージュに部屋を借りて住んでいる。ユーグは妻を忘れられず、部屋をそのままにしている。最も重要な場所には彼女の髪をガラスの箱に入れて大事にしまっていた。ときどきそれをだしては、妻を思い出すよすがとしている。毎日彼は夕刻に運河沿いに散歩をしている。
 まあ、突然愛する人を失ったとき(ユーグのように先立たれることもあれば、どこかに行ってしまうこともある)、その喪失感はたいていのものではなくて、傍から見れば愚かしく見えても、当人にとっては<世界>が一気に色を失い、灰色にみえてしまう。去った理由が理不尽であり、自分の身に覚えがなければ、哀惜の感は消えることがない。などと、自分の経験に引き寄せて最初の情景に共感をもつ。とはいえ次からは不可解になる。
 散歩の途中、妻にそっくりの女にであう。ユーグはそれまでほぼ引きこもっていたのに、部屋を飛び出し、彼女がだれかを探ろうとする。そして町の劇場の踊り子であることがわかる。そして、彼は妻に似た女ジャーヌを囲うようになる。それはブリュージュの町中に知られることになり、彼は得たいの知れない男から共同体を脅かすものになってしまう。
 若い女は、妻の若いころに似ているということか。ユーグは妻の代替として女を身近に置いたことになる。それが明らかになるのは、小説の中盤で、ジャーヌに妻のドレスを着せようとしたとき。ジャーヌは古すぎるドレスに文句をいい、自分に似合わないという。ジャーヌは哄笑しながらドレスを着て、思い切り媚を売るポーズを見せる。だもので、ジャーヌの若い女としての健康さを下品で、心性低劣であると思い込む。ジャーヌもまた放蕩の生活をするようになり、ユーグを邪険に扱う。それさえもユーグには心地よいものとして、ジャーヌから離れられない。
 ユーグの家にはバルブという家政婦がいて身の回りの世話をしている。もうすぐ体が動かなくなりそうなので、バルブの望みは知り合いのいる修道院に入ること。ユーグとジャーヌの関係は町中の知られるところになり、修道院の尼僧はバルブに家政婦を辞めるように薦める。しかし、家を出たところでいく当てのないバルブは、ユーグを弁解するしかなく、修道院に入る夢は立ち消えてしまうかもしれない。
 町に聖体拝受祭(というかイースター?)の祭りがくる。呼び物は教会から始まるたくさんの行列だ。ユーグの部屋はそれを見るもっともよい位置にある。ジャーヌはしぶるユーグを説き伏せて、初めてユーグの部屋を訪れる。そこで見たのは自分にそっくりな女の肖像画。聖職者の行列や賛美歌にすっかり心を打たれたユーグであったが、ジャーヌは冷笑するだけ。そしてガラスの箱に収められた髪の束を取り出し、もてあそぶ。逆上したユーグはジャーヌの首を絞めた。そのときに、ブリュージュの町も死んでしまう。
 この話はオルフェウス神話の構造をさかさまにしたものなのだろうな。妻を亡くした男は傷心のあまり、ブリュージュにいくがそこは町からして死んでいる場所、地獄にほかならない。妻によく似た女を見つけたものの、女は地獄から出ることを拒み、男はもう一度死ぬことになる。まあ第三者としてこのストーリーをみると、男の側の身勝手さが目に付いて、しらけてしまうんだ。勝手に盛り上がり、一人で傷つき、自分の世界を守るために他者に危害を加えるもの。それはバカというのじゃないか。冒頭の彼の傷心や哀惜は共感できるのであるがね。自分が似たような感情と気分をずっと持っていて、たぶん今でも残り、このユーグがあまりに自分に近いので、馬鹿な所業を憎むのだろう。ここらへんは公平な読みにはなれなかった。
 そういう点では主人公はユーグでなく、なんでも灰色にどんよりと曇らせてしまうブリュージュの町そのものなのだろう。登場人物はほぼ3人ではあるが、彼らの感情、心情などの描写はまずない。そのかわりに町の建物、運河、通り、街路樹、そういうものが細かく描写され、こちらのほうが読者の側に迫るものがある。こういう町が泣いているようで、無性に寂しい。
 初出年がわからない。ローデンバックは1898年に没しているので、1890年代の作だと思う。


 ところで、この小説はのちにコルンゴールドが20代前半の若さで1920年にオペラ化した。古いラインスドルフ指揮のものと、NAXOSのゼーゲルスタム指揮のもの(これだけ所有)とふたつがでている。インバル指揮のDVDも出た。(CDもDVDももっとたくさんでていた、失礼)。カルメンのストーリーをR・シュトラウスの音楽で描いたもののよう。ゴージャスな管弦楽は小説の雰囲気を再現するものではない。独身者の孤独や哀惜はブラームスやペルトの室内楽のほうがあっている。


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