兄と称する黒人が現われた時から、白い肌のダンは、愛する白人の妻を抱けなくなり、傷ついた野獣のように追いつめられていった……黒い血への怯えが生む狂った犯罪をスピーディに描く!
この作品が書かれた背景を簡単に書くと、第2次大戦直後、高尚な文学を出している出版社は売上が伸びないことに苦慮。ハドリー・チェイスが当時売れていたので、アメリカの大衆犯罪小説を翻訳しようとしたが、版権をえられなかった。そこで、ボリス・ヴィアンに誘いがかかり、2週間で書き上げた「墓に唾をかけろ」がヴァーノン・サリバァン名義で出版。ほとんど黙殺されたが、ある評論家がこれは猥褻である、犯罪賛美であると非難。そこから爆発的に売れ、ヴィアンはさらに4冊を書いた。そしていくつかは名誉ある発禁処分を受けた。1920年生まれのヴィアン27歳の時の作品。
上記のサマリを補足すると、舞台はニューヨーク。ダンは酒場の用心棒。毎日のように白人の酔客を殴っている。そこに兄と称する黒人がダンを脅す。お前が黒人であると知られたくなければ百ドルよこせ、と。金もなく、職場を失いたくなく、妻を失いたくないダンは黒人リチャードを訪れ、一緒にいた黒人の売春婦と寝る。ここからダンの崩壊が始まる。彼は自分が黒人であることを知られたくなかった。社会で成功を収めていない彼は、自分が白人であることがほとんど唯一の誇りだった。さらに、彼は売春婦にもてていたが、リチャードの家の出来事のあと不能になってしまう。妻や白人の売春婦と寝ようと試みるが、成功できない。それもまた彼の深いコンプレックスになった(彼は暴力に秀でていることと絶倫であることにも誇りを持っていた)。彼はリチャードを殺し、リチャードの情婦を殺し、いきつけの質屋で店主を殺そうとする(彼は拳銃を強奪しようとしていた)。追い詰められていくダンの焦燥、妻に再開したいという欲望、自分の不能に対する不安、そんな心理がたたきつけられるように短い言葉で書かれる。途中、隠れ家にしたホテルでおかみと寝て不能を克服したことを確認。さらに、妻の寄宿するホテルに侵入し、すでに妻の心がダンに向けられていないことがわかり、さらには自分が黒人であるということが誤りであったことが発覚する。結局、彼は自分で自分の身を処分することで決着をつける。
いろいろと問題のある言葉を使っているが、そのように書かれているので使うことにした。そうしないと、ダンのオブセッションや彼を追い詰める社会状況を理解できないから。了解されたし。書かれたのは1947年であって、まだ公民権運動もなければ、ハリウッドやアメリカプロ野球などでも黒人は忌避されていたし、ここに書かれた以上のひどい差別があったはずだから(参考になるのは、マルカムX自伝)。こういう依頼されて書いた大衆小説では、ヴィアンの差別に対する真意などを推し量るのも無駄なのでやめておく。一応補足すると、彼はジャズトランペッターで、デューク・エリントンやマイルス・デイヴィスのフランスの紹介者。ジャズ評論家でもあって、黒人ジャズこそ本物と論陣を張っている人だった。
視点は主にダンのものとにある。ここでは一人称。「おれ」というがさつな人称を使うことによって、無学で暴力的な男の不安、焦燥、あこがれを描く。ときどき、妻や警官などの視点になってダンをめぐる中状況を描写する。ここでは三人称を使い、妻や警官などの心理は会話であらわされる。こちらは客観的な視点に終始する。読者は全体状況をおおまかに把握することができ、全体状況を把握できないダンの行く末を予感し、感情移入をさらに深める。最後の悲劇的な場面はせいぜい数行で片づけられ、いきなり「end」になり、読者は現実に引き戻される。映画的な作りだった。
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「犬たちと、欲望と、死」。夜間勤務のタクシー運転手が拾ったクラブ歌手の女。彼女はスラックスをはいている(1940年代後半ではきわめてめずらしい)。そして運転を変われと命じる。危険で乱暴な運転で、彼女は犬をはねる。次の夜、同じ歌手をひろい、ふたたび彼女は運転を変わり、動物をはねていく。運転手はそのたびに彼女と寝るのだ。この冒険の行く末は?
古い言い方をすると、魔性の女に出会って、ともに破滅する男の物語。まあ、そんな話にあるようなモラルはおいておくとして(相当にアンモラルなのは指摘しておこう)、ヴィアンの書き方に注目。バラード風のゆったりしたテンポだったのが、トランペットのアドリブに触発されて、ビートが早くなり、狂乱していくジャズ演奏を思い起こすことになる。後味はひどいものだが、この物語の加速感は「戦後」だなあ。マイルス・デイヴィスのスピードとテクを予感させる。
自分のぼやき。「うたかたの日々」早川書房はどうしてもよめなかった。理由不明。訳者の異なる新潮文庫でトライしてみようか。いつになるかはわからないし、やらないかもしれない。