odd_hatchの読書ノート

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マルグリッド・デュラス「モデラート・カンタービレ」(河出文庫)

 1992年7月の日曜日に古本屋で買って、途中中華料理屋によって夕飯を食いながら読んで、その夜のうちに読み終えたのだった。本の内容は忘れていたが、このときの雰囲気というか場末の料理屋の印象が妙に残っている。まあ、内容とは全然関係ないことだけど。

 「自分の所属している社会からの脱出を漠然と願っている人妻アンヌ。偶然目撃した情痴殺人事件の現場。酒場で知り合った男性ショーヴァンとの会話は事件をなぞって展開し、アンヌは情熱を、脱出への期待をしだいに意識化していく・・・。「フランスの最も美しい古典的作品」「カミュの異邦人やブランショの死の宣告とともに、小説のジャンルに新しい生命を吹き込む」と評された珠玉の名作。」

 1914年生まれのデュラスおばあさんがまだ年増の40代の時に書いた小説。「雨のしのびあい」という映画にもなった、とのこと。
 このあとにマルケスの「予告された殺人の記録」を読むことになると予告しておくのだが、男と女の情痴のもつれ合いでどちらかがどちらかに殺されて、それは殺される側が殺す側を誘導、挑発した結果として起きたという事件に対して、どのような興味をもつのかという違いがこの二つの小説に明確に現れているようで面白かった(と書いたが「予告された殺人の記録」は情痴の殺人ではなく復讐の殺人なので自分の誤り)。デュラスは情痴のもつれあいそのものには興味を持たないで、たんに偶然通りかかったものにあれこれと推測させることに熱中する。主人公二人には情痴のもつれという感情の濃厚な発散や動物的な(というのは人間中心主義かな)熱情というものはなく、事件以後毎夜近くのバーで出会うとはいえ、会話はずれっぱなしであり(女は事件で殺された女の心中を遠くから思うことと自分の鬱屈をだだもれにつぶやくことしかせず、男はかつて女を監視してきたことを述べるのではあるが別に情欲をもっているようにもみえず機械の目の正確さを誇示するばかりのようにみえる)、二人はキスはおろか手を握ることさえもしない。このような希薄な関係であり、物語は事件から十日間二人が夕暮れに15分ほどバーでかみ合わない会話をすることだけしか描写されない。男の欲望はたぶん一夜のベッドであるとしてもそれ以後の未来を期待しているとは思えず、女(上記にあるようにブルジョアなのだ。当地の最大企業の社長の妻で、当地の住民は決して享受できない豪奢な生活を送っている)の欲望は自分の所属する社会(というには狭すぎると20世紀のものは考えるが、まあ16-18世紀のフランス貴族の生活を模倣しているのだ)から脱出したい、しかし将来の展望はなく、たんに逃避したいという曖昧で淡いものである。この状況はたとえばルイ・マル「恋人たち」あたりにみられるブルジョア有閑マダムの不倫願望とか、アルレー「白墨の男」みたいな現状に対する理由のない不満なんかで描かれるものだ。そして通常はなんとなくの解決(手に手をとっての脱出というおとぎ話とか、リスクをとるより現状に満足しなさいほら夫も子供もあなたを愛しているのよという保守的なものなど)を用意する。でもデュラスは異なった。転換点になったのが、女が自分の主催する夜のパーティに遅刻することを決意(ということもできない成り行きの結果であるのだが)したとき。ブルジョアの生活を拘束する時間の束縛を破ることになった。それが彼女の心理の堤を破ることになる。それまでは息子のピアノ練習のように時間の拘束、約束の厳守、あらかじめ定められた表情付けなんかを披露することが彼女の生活であったのだが、これ以降彼女は「ノン」といい、積極的・能動的であろうとする。とはいえ、束縛があってこその美が彼女にあったのか、自由を獲得したときから彼女の目には隈ができそれはおおきくなっていく。そして男も、女に対して急速に冷淡になる。(転換の前は、男が女に話しかける、事件の様相を説明する。転換の後は、女が男に話しかける、女が男に事件で殺された女はどういう気持ちだったのかと話しかける)。解説にあるように、女は死ぬか狂気に陥るしかないな。理性的に狂っていくのがドストエフスキーの人物だとすると、感性的に狂っていくのがデュラスかな。こういう狂い方というのは1950年代(発表は1958年)に新しかった。
 あと、書き方の面白さも。途中、女の会話で句読点がなくなる。会話ではなく発話であること、意味も志向性も無いことを表出する方法。転換の起きた後のしらけたパーティで酔っ払い、息子のベッドに向かい、吐いて寝入るまでを、予測(「・・・だろう」)の文末で書いたこと。この直後に自分が書いた小説で、そっくりそのまま使わせてもらいました(もちろん未発表。誰にも見せられません、絶対に)。書いているときは「こんな方法を見つけて、自分すごい」と思っていたけど、先行者は必ずいるのでした。

  
カトリーヌ・アルレー「白墨の男」(創元推理文庫) - odd_hatchの読書ノート