odd_hatchの読書ノート

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マルグリッド・デュラス「破壊しに、と彼女は言う」(河出文庫) 文章の抽象化をつきつめると、なにかまっしろなほとんど「虚」にいってしまう。

「狂人たちが集うホテルの1室を舞台に4人の登場人物が繰り広げる言葉の極限状況。やがて明らかにされる放浪の民の悲劇、18歳の少女の内に秘められた凶暴な野性の目覚め…。「『破壊しに』には10通りの読みかたがある」とデュラス自身が語るように、本書は小説ともシナリオとも映像作品ともつかぬ一種異様な昂りに満ちた破壊と無秩序への呼びかけである。」


 ホテルと銘打たれているモダンな部屋。近くには森があり、テニスコートがある。ここに宿泊している人達は、何かをまっているようであり、ここから出て行くようであり、そこにいる人たちに関心をもっているようではあるが、それらの欲望というか目的は語られるものの実践されることがない。しかも彼らは会話するのだが、「何」について話をしているのか了解されないままのようなので、ちぐはぐであり、モノローグのようであり、内話のようでもある。彼らは内面を持っていないように思われるが、実のところはなにか重大なトラウマにとらわれていて、それをうまく解決していないようでもある。舞台はフランスのどこかバカンス地域の高級ホテルのようではあるが、どうもこの地上にあるとは思えない。作者は西暦2069年(書かれた年の100年後)のマルクス主義者が登場するといっているのだが、まあ韜晦なのだろう。細部はリアリズム、しかし全体としてはファンタジー、何か思想がありそうであるが、つきつめていくとあいまいでうやむやなところに連れて行かれる。なるほど人物にしろ、会話にしろ、情景描写の地の文にしろ、ここまで抽象化(というか形容詞や副詞をとりのぞいた果て)を行うと、それはなにかまっしろなほとんど「虚」にいってしまうらしい。
 ホテルに女40代目前がいて、彼女は終日なにもしていない。彼女に興味をもつ男二人がいて、それぞれの憶測を述べている。男はそれぞれ彼女に話しかける(ここからかみ合わない会話を聞かされることになる)。さらに、もうひとりの女20歳が登場し、女40代目前に友人であるような批判者であるような医師であるような意図のわからない会話を行う。最初4人は名無しであったが、時間の経過とともに明らかになる。女40代目前はエリザベート、女20歳はアリサ、男はマックス・トルともうひとりはシュタイン(ユダヤ人)。アリサとマックス・トルは夫婦であるらしい。エリザベートの憂愁と狂気は子供を死産させたことにあるらしい。エリザベートは夫を待っていて、連れ立ってホテルを出ることを望んでいる(のかそれとも望んでいないのか)。終盤にエリザベートの夫が登場するが、3人(アリサとマックスとシュタイン)の問いかけにたじたじになる(と思うのだが、こいつも質問にまっすぐ答えないので意思がわからない)。舞台であるホテルの一室では、バッハの平均律のどれかが途切れ途切れに聞こえてくる中、物語は終わる。エリザベートは救われたのか、アリサは登場するなり「私は破壊しにきた」と言ったが何を破壊するつもりだったのか、それは実現できたのか、シュタインはエリザベートを愛しているといったが本当なのか、上のサマリにある「放浪の民の悲劇」とはなにか、どれも答えをみいだせないまま読了。
 こういう断片が無数に浮遊していて、多義的で、内面の描かれない、コミュニケーションの仕方がわれわれのものとは異なる人物たちの登場する作品というのは1960-80年代にたくさんあったが、どうもこれらと自分の親和性は低いようだなあ。デュラスが監督した映画は未見だが、読んでいる最中はゴダールの「探偵」「マリア」という映画を思い出していた。