odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

アナイス・ニン「アナイス・ニンの日記」(ちくま文庫) アナイス30歳前後。父と決別し、子供を流産し、愛人のいるアメリカに渡る。

 アナイス・ニンはヨーロッパに住んでいたが、12歳ころに両親が離婚。アメリカに渡ることになる。そのころから日記を書き始めて、生涯途切れることがなかった。全訳すると、600ページ掛ける10巻くらいの巨大なものになるらしい。ここには、1931年から1934年までのパリ在住時、30歳前後の日記が収録されている。日記といっても日付の記載があるわけではなく(出版にあたって削除したのだろう)、また彼女の感想や人物に関するスケッチが主になっているので、当時の風俗や時事の資料にはならない。
 かわりに、多彩な人物が登場する。アナイス・ニンヘンリー・ミラー夫妻と共同生活のような関係にあって、ヘンリーの妻ジューンが夫の作品やその仕事に共感していないことから、ヘンリーの書くものを読んでいろいろと感想を述べたり、示唆を与えたりしている。ヘンリー・ミラーは40歳くらいで「北回帰線」を準備中だった(アナイス・ニンもシュールリアリストたちとの交友関係があり、小説を書いたりしている)。前半はヘンリーとジューンに関する記述が多い。(角川文庫に「ヘンリーとジューン」が同じ作者で出ている。自分は未読。)

2012/05/15 秋山さと子「メタ・セクシュアリティ」(朝日出版社)

 中盤にはアントナン・アルトーが出てくる。このときにはアヘン中毒が進行していて、心身ともにずたぼろだったようだ。気まぐれで癇癪もちで、奇行を起こし、思索をどんどん飛躍させるので言っていることが支離滅裂であったりするような天才舞踏家をアナイスは情愛を持って観察している。ダンス界のスーパースターは時にアナイスを口説こうとする。実際、アナイスはダンサーで生活を立てていたほどに美人だったのだ(本書の写真をみるべし)。そして男の心を誘惑し翻弄することのできる魔女的な人格であったようだ。
 後半には、パデレフスキーカザルスなどの音楽家が登場。これは約20年ぶりに再会した父ホアキン・ニンの関係によるもの。ホアキン・ニンはピアニストにして作曲家。しかし、気取りやで自分ですべてを仕切っていないと満足できない傲慢さを持っている。鼻持ちならない男だが、芸術家としてはそこそこ成功したのだろう。アナイスは日記を父に読ませるために書いた、といっている。日記に現れるアナイスは、母を嫌い父を慕っていたようだ。20年ぶりの再会は、彼女の思慕を満足することにもなり、家族的な関係もできたが、父のスノビッシュな態度に反発したりする。そして父と断絶する。
 さらに彼女は、名を明かさない男の子供を懐妊するが、彼女の体がきゃしゃなためにか、流産してしまう(ここの産室の出来事を記録した数ページの描写は圧巻。もちろん男である自分には、出産することも、また出産に立ち会うこともできないためであるから。女の生理がもたらす苦痛とその後の喜びについて実感を持つことや共感することができないからだ)。
 父と決別し、子供を流産するという経験をし(当時31歳)、精神分析治療を受けていたライス博士を追ってアメリカに旅立つところでこの日記は終わる。時に1934年。隣国ドイツにナチス政権が成立し、ユダヤ人迫害のうわさが聞こえてくるなど、パリの状況が暗然としてきたころだった(ライス博士はフロイトの弟子にして共同研究者。しかし、アードラーその他の一派と仲たがいをして、パリにでて精神分析医を開業していた。生活がくるしかったので、アメリカの大学の要請にこたえて渡米する。ライス博士はアナイスに来てほしいと願い、アナイスはそれに答えようとしてアメリカに渡ることになる)。
 日記という秘匿性の高い所に書かれる文章であるので、ある程度の率直さがここには現れているとみることができるだろう。もちろんわれわれが日記を書くときに、無意識に行うようなフィクション化や演技などが入り込んでいることは当然であるだろう。それでも、これだけ大量の文章が書かれているとなれば、そこに一貫している個性のようなものは実際のものだと思える。そこまで考えてきたとき、アナイスの書いたことは時代を考えると驚くほど、率直であり先進的であり、自立的である。日記が公開出版されたのは、1960年代だが、フェミニズムの運動家に取り上げられたように、「自立」した女性のありうべき姿がそこにあったのだろう。あるいは、日記に書かれた一人の女性像に、自立を見出すことができたのだろう。「私の日記をあなたが書いてくれた」というような内容の当時の読者の反応がそれを明らかにする。
 アナイスは1904年生まれ。私事ではあるが、自分の父方の祖母は1899年生まれ。パリ、ニューヨークと最先端都市を遍歴し、時代を象徴する知性の持ち主と交流し、自身もすぐれた作家であった女性を、貧乏国の田舎から終生外にでることがなく、中等教育程度の学力で、子供を育てることに追われた女性とそのまま比較することはできない。しかし、晩年になった祖母が子供に伝えたかった倫理が儒教あるいは日本の農村の伝統的な規範であったことを思うと、アナイスの考えていたことはあまりに先をいっている。ほとんどの国が女性に参政権も与えず、女性の芸術家という存在が少なかったときに、また女は結婚して男と家庭に尽くすものだという考えが一般的だったときに、アナイスは男と対等であろうとし、彼らの思索を指導するという意思を持っていた。そしてそれを実行した。彼女の知恵や知性は上に現れたあらゆる男の知識人を魅了したのだから(美しいアナイスにみな下心があったという可能性も否定できない。おそらくアナイスはそれを理解していたのではないか。アルトーのところで、そのあたりを自覚している文章が出てくる)。
 21世紀に入ってしまうと、彼女の考えは必ずしも目新しいものではなく、ごく当たり前のあり方のようになっている。それは単にわれわれの世代の前の人たちが獲得し啓蒙してきた結果に過ぎない。彼女の先進性はまだしばらくはわれわれを驚かすことだろう。
 日記という本来は、書き手以外のものが読むことを想定していない文章を読むことは不思議な感じがする。出来事や感想に対する共犯者のような感情をもつからだろう。最初のうちは、出来事が起こらない/散発的におこるがすぐに忘れられることに、退屈な感じもした。それは小説を読むつもりで読んだからで、途中からアナイスの書くことに引き込まれてくるにつれて、彼女のことに共感し、彼女の眼や体を通じて、出来事を見ているように感じてきた。タクシーの中でアルトーは酒とアヘンのにおいをさせながらアナイス=私に迫ってきたのだし、病院の手術台の上で陣痛に苦しみ、しかし、頭の芯は冴えていたのもアナイス=私だったのだ。
ホセ・マリア・コレドール「カザルスとの対話」(白水社) 芸術家は国境を越えられる、芸術は国境を意識する。 - odd_hatchの読書ノート

  

追記 2011/8/8
 父ホアキン・ニンJoaquin NinのCD(日本盤)が販売されている。
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