odd_hatchの読書ノート

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松浦寿輝「エッフェル塔試論」(ちくま学芸文庫) 建物をテキストのようにテクノロジー・政治的文脈・思想的文脈から「読む」。

 かなり前に読了したものだが、タイトルを見て思い出したことなど。

「古典的な「表象」の崩壊に代わって「イメージ」の出現という出来事が成立する時点において、恐らくエッフェル塔とは、西欧の表象空間に起きたこの地の竣工の日付をこの認識論的断層の上に重ね合わせることが可能であるように思える。エッフェル塔の伝記を辿ってゆくとき、こうした「近代」的な「イメージ」の生成過程と、それを可能ならしめた文化的・社会的・政治的力学の諸条件が、或る模範的な姿で浮かび上がってくる。近代と表象とをめぐるさまざまな問題を体現した特権的な塔を透徹した論理と輝かしくも華麗なエクリチュールで徹底的に読み解く記念碑的力作。」
筑摩書房 エッフェル塔試論 / 松浦 寿輝 著

 エッフェル塔について、テクノロジー・政治的文脈・思想的文脈など多面的な読み取りをしたもの。この高名な建物が、1889年のパリ博覧会にあわせて作られたものであること(そこに政治的経済的な意図を読み取るのは容易なことだ)、鉄骨による高層建築の最初の例であること、エレベーターなど最新テクノロジーを集積していること。おりからの写真ブームのおかげで建築中の様子が逐一撮影されている稀有な存在であること(周囲がたんなる広場、原っぱ、空き地であるところに、植物のようなオブジェが伸びていく様を見るのは快感)。高い建築物のほとんどなかった時代であったので、パリの景観を一変させるできごとであり、その是非が文化人・政治家など多様な人によって議論されたこと(モーパンサンは大嫌い、印象派の画家は大好き、みたいに、彼らの対応は好悪がスペクトルのように分布する)。エッフェル塔管理会社は過去数回の破産を経験しているが、まあとりあえずは存続している(らしい)こと。
 最後には、エッフェル塔の最もエッフェル塔らしさが現れているのは、その設計図である(数百枚の設計図は販売されていたと描いてあったと記憶するが確かかな?)という意表をついた結末。非常に読みでのある面白い書物だった。
 この本にも参照されていたが、ロラン・バルトも「エッフェル塔」というタイトルの本を書いていて(ちくま学芸文庫)、この建築物に寄せる関心は内外ともに高い。二人して、エッフェル塔をテキストのように多層的に読むことを行っているのだった。
 では、翻って、この国の建築物でこれほどの偏愛を寄せたものは存在したであるのか。東京タワーは「プロジェクトX」にはなり、技術者と工夫の「感動的な」物語になっても、その政治的心理的象徴と読み取ることは行われていない。昭和30年代ということで、その意図があからさまになってしまうから。それは他の20世紀建築物でも同じであるだろう(せいぜいトウキョー・ディズニーランドくらいか)。
 逆に、法隆寺やら東大寺、安土桃山城、大阪城なんかはたくさん語られていて、いったいなぜかと少し興味深くなる。建物そのものではなくて、なぜ人は歴史的建築物を繰り返し見て、語るのかということを。