odd_hatchの読書ノート

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田辺保「シモーヌ・ヴェイユ」(講談社現代新書)

 「シモーヌ・ヴェイユ」は20代前半に読んでいた哲学概論みたいなものには一切名が出ていなかった(と思う)ので、この新書を読んで驚愕したと思う。初読時自分は24歳で、シモーヌの年齢でいえば工場の女工の一人に志願して苦痛な労働に参加していたのだから。一方、自分は、都内の中小企業に就職してとりあえず彼女のような過酷で単調な肉体労働には無縁だった(それから20年以上たって、大卒の人で就職できない人が生まれるという状況を考慮することなどできなかった。このあたり無神経であることを認識している)。工場日記にしろ、この評伝にしろ、自分にとっては、どこか遠くで倫理を徹底しようとしている奇特な、奇矯な人であったと思う。それでいて、妙にこの人のことが気になって仕方がない、しかし知ることの困難さに放擲してきたということになる。
 もしかしたら、極限状況における強さの具現者とみるべきかもしれず、そうするとアジェンデ「精霊たちの家」の4代目の女性とか、ソ連の英雄ゾーヤ(コスモデミヤンスカヤ「ゾーヤとシューラ」(青木文庫)とか、性の異なるフチーク(ユリウス・フチーク「絞首台からのレポート」(青木文庫))だとか、そういうフィクションの人物を思うことができる。とはいえ、彼女から自分は遠いところにいて、いつまでも認識できないというのが続くのだった。

 いくつか。
・この人によると、人は低俗とか堕落とか隷従とか自分を無にすることに向けた力に抗うことができない。それを彼女は「重力」という。たぶん、この重力は人間の本性とか本能とかに関係していなくて(その点では性善説とか性悪説とかの決定論とは無縁)、状況におちいったときに、いやおうなく引きずられてしまう。これが「重力」。
・にもかからわず(といっていいのだろうか)、そのような悲惨や貧窮のきわみにあっても、この生を「しかり」と受け止め、肯定に変換する力(といっていいのだろうか)が生まれる、というか降り注ぐ、というか備えられている、というかなんだろう、抗うことができて、それはやはり「神」が我々人間に何かの視線を向けていて、手(というにはか細く、弱弱しいのだろう)が差し伸べられているらしい。それを認識できる人もいて、認識できる力は誰にもありそうだが、それが確実になるには自己の滅却、限りない他者への奉仕のすえにありえるようなものであるらしい。そこまでいたって神はようやく「私」の声というか倫理に触れ、返事をするものらしい。
 「らしい」がつづいたが、しかたがない。神は求めても答えず、待ち望むすえにあらわれる(と期待する)のであるかしら。

シモーヌ・ヴェイユ「工場日記」(講談社文庫) - odd_hatchの読書ノート
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コスモデミヤンスカヤ「ゾーヤとシューラ」(青木文庫) - odd_hatchの読書ノート