odd_hatchの読書ノート

エントリーは2200を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。

海渡英祐「ベルリン1888年」(講談社文庫)

 「明治21年冬の伯林(ベルリン)。留学中の若き医学徒の森鴎外はドイツ娘との恋に煩悶の日々を送るが、古城でおきた伯爵殺害事件に遭遇、突明にのりだす。二重密室、背景に鉄血宰相ビスマルク。」

 一時期はどの本屋にもころがっていたのに、調べてみると絶版中(それも講談社大衆文庫に収録されてから)。1967年の乱歩賞受賞作がこの冷遇ぶり。
 著者は1934年生まれ。大学卒業と同時にプロ作家になり、6年後に乱歩賞を受賞。その後の創作はやまのよう。結城昌治・佐賀潜・森村誠一ほどの大衆化はしなかったけれど、それなりの中堅作家だった。高木彬光に師事していたことがあるそうで、ペンネームは彼の指導のもとになるのかな。海渡英祐(かいとえいすけ)は読み替えると、海を渡る英祐(えいゆう)。すなわち源義経であるそうだ。そのまま「成吉思汗の秘密」でもあるわけね。
高木彬光「成吉思汗の秘密」(角川文庫) - odd_hatchの読書ノート
 昔、ルートヴィッヒ2世の死と同時期に森鴎外がベルリン留学中であることに気づいたことがあったけど、もとの情報はここにあったわけだ。最初に読んだのが高校3年の秋であっては、記憶になるはずがない。この作の面白さは留学中の日本人を主人公にしたところにある。のちには夏目漱石南方熊楠などの人物が探偵を務めた作が別人のよって書かれている。ときに彼らはホームズに会ったりもしている。
 よく調べている。ビスマルクその他のプロシャの権力者がいて、社会主義運動の活動家がいて、ドイツの貴族社会の人たちがいて、日本の留学生がいて(その中でも軍人と医者と官僚で仲たがいをしていることまで書かれている)、平民がいて、と当時の社会の雰囲気はよく表れている。鴎外が帰国後に書いた文章をいろいろ引用して、彼の青春と挫折、諦めと絡めていたりと、よく調べている。このあたりの感情や思想をしっかりと書き込むことができるのは、1930年代生まれで、ちゃんとした文学の素養をもっていることをうかがわせる(それに比べて、最近のミステリ作家ときたら、と精神の硬直性を暴露してしまおう)。
 それでも書き込みが足りない、社会による恋愛への圧力、権力による圧力ということに収斂してしまうというのが不満、というのは贅沢な願いになるのかな。似たような趣向の 笠井潔「群衆の悪魔」(講談社)で1848年革命がじっくりと書かれているからねえ。