odd_hatchの読書ノート

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植草甚一「ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう」(双葉文庫)

 「ニューヨークから海外ミステリを紹介した「ミステリの原稿は夜中に徹夜で書こう」、背表紙や表紙の写真を集めた「ニューヨークで買ったミステリの本」 、海外ミステリの書評「ミステリ・ガイド」、カルチャーセンターで行われた推理小説講義のテープを起こした「ちいさな教室で10回もやった探偵小説の歴史の講義」を収録。」

 このサマリには初出が書いていないので補足すると、1972-1974年ころにハヤカワミステリマガジンに連載されたものを収録。後半の推理小説講義も、早川書房主催で行われたとのよし(参加者の筆録を収録している)。
 筆者の著作がもっとも流行ったのは、1970年代(それも前半)らしい。もとは「平凡パンチ」あたりで紹介された、サブカル好きでアメリカに詳しく(円が変動為替相場になったら早速ニューヨークにわたり大量の古本を買ってくる)、イキなファッションをまとい、昭和初期のモダンさを残している爺さんという位置づけだったとおもう。吉本隆明埴谷雄高高橋和巳大江健三郎マルクスサルトルだとやっていた60年代の反動(かどうかはわからないけど)で、重いものから軽いものへ思想からファッションへという転換があったときに、モデルになる人物で、かつ手垢がついていなくて、さらにイデオロギッシュではなく、モラルを語ることがなく、若者の好きなフットワークの良さがあるからということになるのだろう。あの時代にそういう人は他にいたかしら(金子光晴だと老年に過ぎ、都筑道夫は地味だった?)。
 さて、当時ミステリや推理小説の評論やエッセイはあまりなかった、と思う。それこそ江戸川乱歩幻影城」(とそれから抜粋した「探偵小説の謎(現代教養文庫)」、福永武彦他の「深夜の散歩」、九鬼紫郎「探偵小説百科」、そんなものではなかったかな(というわけはない、単にあたりの小売店にはおいていなかっただけ)。まえ二つは発表から10年を経過して古かったし、後者は「幻影城」に依存していたので情報は古めだった。そんなところにニューヨークから仕入れた情報を軽妙な文章で書ける人が現れ、たぶんこのあたりから推理小説の評論、エッセイも売れるということが分かって、たくさん書かれるようになった(と見てきたような思い込みをかいてしまう)。
 一番おもしろかったのは、彼がニューヨークに飛んで、ホテル住まいをして、大量の古本を購入したことを語るあたり。どこそこのストリートにはなんとかいう書店があり、そこで数百ドル分買って、向かいのトイショップにもペーパーバックがワゴンセールされていたのを買う、それをタクシーでホテルに送る。ホテルで表3(裏表紙をめくったところ)に購入日・書店・値段を書いておく。一回2週間の滞在で1000冊以上の本を買うから、本そのものの印象と記憶がない、でもそのメモのおかげで記憶をよみがえらせることができる。まあ、そんなあたりの「ブッキッシュ」な「マニア」ぶりがおもしろかった。なんでそんなに買うのか、理由は説明されていないが、まあいいや。荒俣宏さんに聞いても答えは返ってこないでしょう。
 でもこの人のミステリの目はどうかというとちょっと疑問かな。マイケル・ギルバート(「捕虜収容所の死」の作者)を好み、たぶん1930年代の英国ミステリと1950年代のフランスミステリが趣味なのだろうと思う。それは江戸川乱歩の不得意な分野だったので、紹介は遅れた。彼が頑張って紹介した時期(1960年代初頭)にはこの国に読者がいなかったのでほとんどが絶版になった。それから30年たつと、いくつかの出版社から1930-40年代のイギリス探偵小説が出版されるようになった。
 でもこの本で紹介された1960年代後半以降の新作だと、彼のお眼鏡にかかった作者はあまり大成していないようだ。わずかにP.D.ジェイムズとスティーブン・キング(「キャリー」を絶賛)をあの時期に見出したくらいかな。後、この人がミステリを紹介すると、30-50ページくらいまでのサマリが詳しく書かれ、それは饒舌にすぎ、後半どうなるかとか作者の趣味とか意気込みなんかは書かれずしまい。全部読み終わったものについて書けよ、あんたの読書メモを読むのは勘弁してくれ、という感じ。たぶんこの人は目を高める人だったんだ、あんまりたくさん読んだものだから、どれが自分の考えでどれが借り物なのかが判然としていなかったのじゃないか。そのかわり行動力があって(1980年以前に渡航するのは大変だった)、海外の状況がこの国以上に気に入ったのだろう。それを紹介することが楽しかったのだ。そういうところは音楽評論家の三浦淳史に似ている。