odd_hatchの読書ノート

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黒崎緑「しゃべくり探偵の四季」(創元推理文庫)

 「和戸君一家に降って湧いた騒動を見事収拾、保住君の新学期は好調な滑り出し。歌って踊れる名探偵とばかりギター片手に謎を解き、夏休みは珊瑚礁で魚と戯れ、また上高地の涼風に吹かれつつ事件の真相を看破する。馴染みの床屋や大学祭の模擬店で推理を聞かせたり、屋台の客から解決代をせしめたり。かくもバラエティに富んだ学生生活を謳歌する、なにわのホームズ保住君の事件簿。」

 例によってインターネットの梗概を使用。このままだとよくわからないところがあるので補足すると、2編が保住くんと和戸くんの会話だけ(掛け合い漫才風でここから「しゃべくり探偵」の名が付いている)、1編が床屋の親父の一人語り(落語ふう)。こういうナラティブに対して挑戦したミステリになる。骨格になるミステリそのものは、特別に優れたものというわけではない。
「騒々しい幽霊」
「奇妙なロック歌手」
「海の誘い」
「高原の輝き」
「注文の多い理髪店」
「戸惑う婚約者」
「怪しいアルバイト」
 雑感になると、ミステリで「神のような語り手」というのはありうるかということ。もしもそのような語り手を想定するとなると、犯行状況そのものもストーリーの中で叙述することになるし、尋問中の心理にも言及することになる。となると、ミステリ(謎)がなくなってしまうことになる。
 そうすると、ミステリにおいて誰かの視線・語りであることは前提になる(だれか特定の人物の視線・語りであるから事実の収集に限界があり、個個人の心理は読み取りがたいものであり、何かのバイアスや予断、思い込みが発生する)。そのような特定の語り手を小説の記述に持ち込むとなると、なかなか難しく、今までのところは「ワトソン役」という読者より頭の悪いが正確な叙述のできる人物を語り手とすることが一般的な解決方法。しかしそのやり方を徹底すると、ワトソン役が見ていないものは叙述できなくなる。ときには3人称の語りによって、複数の人物の行動が並行して語られることがあるが、それは事件が終わってから、ワトソン役が聞いたことを3人称で叙述しているということになる。だからすべてのミステリは事件の関係者の中の誰か(任意であるが恣意的な選択が行われている)による一人称でもって語られることになる(こういう語りの制限について意識的なのは法月綸太郎かな)。
 「しゃべくり」というダイアログによるミステリというのは、こういう限定された語り手の枠を破る試みということになるのかな。この作品の成果はまだまだだけど、もう少し実験がなされてもいいかもね。(追記 思いだした。ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」は、探偵と友人の二人の会話だけで謎の提示、推理、実証が行われたのだった。地の文で状況が語られるが、それは事件とは関係ない。これが「しゃべくり」探偵のはしりになるのかなあ。2009/11/27)(再追記 あと都筑道夫「退職刑事」シリーズも。てゆーか、ポー「マリー・ロージェの謎」がそうだったなあ。2010/11/04)
 どこかの漫才師が、これを完全上演してくれないものかなあ。短編とはいえ上演すると40分くらいかかりそうだから、ちょいとつらいかな。