われわれの世界認識の方法はたいてい文書や文字によって作られて(なにしろ子供のころの体験だけでは世界の全体を把握することができず、そのような見取り図が簡単に手に入るのは書物なのだから)、たいてい理想主義的なエートスがあり、現実との葛藤において挫折する。そして世界認識の図式を再検討することになり、修正された少し現実的な世界認識で世界と対峙し、挫折と成功を収め、また認識を修正していく。とまあ、こんな図式がありうるのだろうが、時にまれな人は挫折において間違っているのは世界そのものあるいは事実の側にあり、自分の世界認識の方法に間違いはないと固執することがある。そのような挫折の代わりの反発を繰り返していった結果、奇妙な世界認識をもつようになる。まあ、個人の枠内に納まっていれば、「街の変人」程度の穏やかな一生を過ごすことも可能であるが、ときには妄想とも狂気ともいえるような法外な世界認識を周囲に普及させようとする。多くの陰謀論、ニセ科学なんかがこの範疇にあたる。と、妄想してみた。
この本は主に、20世紀前半の日本の妄想本、トンデモ本の収集からとくに眼に立つもの、それは現実の改革運動になってしまったものでもあるのだが、そのようなものの集大成。いくつか取り上げると(人名は提唱者)、
・源義経=ジンギスカン説。小谷部全一郎。わかい金田一京助が小谷部の知り合いだったのには驚いた。
・世界史の日本起源論。木村鷹太郎。
・日本、ユダヤ共同起源説。酒井勝軍。中山忠直。
・神代文字。竹内文書。大石凝真素美。
・天津教、大本教。竹内巨麿。出口王仁三郎。山根キク。
このような妄想は21世紀初頭にも残っていて、多くの人が多くの影響を受けている。コリン・ウィルソン「賢者の石」に傾倒した経験からすると、誰も知らないが自分だけが世界の謎の鍵を認識しているという自己意識はとても「素敵」なものだ。自分のなにもできないこと、なにかをしっかりと認識した経験のないことを糊塗して、自分がいかに価値があるかということを自分に納得させ満足させることができるから。そのとき、人は「教育者」を求めないで、「指導者」を求めるというマックス・ウェーバーの指摘(「職業としての政治」)を当てはめると、これらの危険というのはよく理解できる。陰謀論やニセ科学は対岸の火事じゃないんだよな。
21世紀のニセ医療、ニセ健康療法の起源は20世紀前半からあった。
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2017/05/16 安田浩一「ネットと愛国」(講談社) 2012年