odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」(岩波文庫) ルネサンスも宗教改革も遠い先のドイツ中世民衆本。生まれたときに3回の洗礼を受けたトリックスターが死ぬまでにしでかした滑稽の数々。

 この中世民衆本の成立はなかなかおもしろい。もともとは1515年版がもっとも古かったのだが、編集がずさんで低地と高地のドイツ語がごっちゃになっていた。そこで、1515年版のまえに低地ドイツ語の版があったと仮定されていたが、それが1970年代にそれより古い版が複数発見され、成立に関する仮定が正しいことも明らかになった。しかも90から115ある話がある特別な並び方になっている(最初に現れる文字がアルファベット順になっていて、ティルの死を描くところで作者の名前が隠されていた)という仮定も正しいことが明らかになった。
 作者はヘルマン・ボーテという徴税書記。民衆のいるような場所の出生であったが、片足が不自由であることから人の嫌われる税金関係の役人にしかなれない。通常の仕事では手工業者の親方たちにいじめられるし、民衆一揆が起きたときに「ボーテを追放せよ」とスローガンがでて修道院に隠れたりもした(発見されてひどい目にあっている)。ラテン語のような学問の言葉を身につけているわけでもなく(そのため立身出世はあきらめないといけない)、民衆の言葉で語らざるを得ない。しかも日常の業務において人に嫌われ卑しめられることを甘受しなければならなかった。そのために、彼の観察はシニカルであり、人間中心をテーマにするわけにはいかなかった。ここらへんは、モンテーニュとかトマス・モアなどのユマニストとは違う立ち位置にいることに注意。
 さて主人公ティルはクラシック音楽の世界では、リヒャルト・シュトラウス交響詩によって有名であった。音楽ではティルは処刑されるのであるが、これは「ティル」の刊本が多数出る間に生まれたアレンジによるのだろう(日本でも「浦島太郎」など昔話はさまざまなバリエーションが出来ている)。クラシック音楽からこのドイツ民衆本に入るものは注意しておいたほうがよい。
 ティル・オイレンシュピーゲルは生まれたときに3回の洗礼を受けるという特異な出生譚を持つことによって、通常の民衆とは異なることをあらかじめ宿している。子供の頃には尻を出して人々を笑わせ、職人になるかと思うと行く先々で人々をからかい、強烈なにおいの屁と糞をどこでもやってのける(しかも自分の利益になるなら、自分のはおろか他人の糞を喰うことを躊躇しない)。からかいの相手になりひどい目に合わされるのは、職人、親方、宿の亭主に女将、僧侶、旅の商人、貴族、その下男に下女といとまがない。およそあらゆる階級の人々が男女の区別なく笑いの対象になる。このあたりに鬱屈した下級役人ボーデの心境をみることになるだろう(とはいえある未亡人と結婚し、ワインをたらふく飲んだという手紙も残っているようだから、人生に完全に敗北しているわけではない。復讐や妄執の書ではなく、哄笑と失笑の書であることに注意)。そして、描かれた人々、とりわけ手工業職人の姿から15から16世紀の工業、人々の交通、複数の貨幣の乱立する経済の状況などをよみとることができる。「悲惨で暗い中世」という姿はここにはない。もちろん同時代のイタリアやイギリスにあるようなルネサンスはまだまだ先の話であるし、16世紀の半ば(これが書かれた数十年後)に始まるプロテスタント宗教改革運動もまだここには描かれない。それでも現代の読者はそのあたりまで思いをこらしてよい。
 冒頭、写本の所在がよくわからないことを記した。このような古写本がなかなかないというのは、ヨーロッパの苦労している所らしい(修道院に収蔵されていたキリスト教関連本は除いてもいいのだろうが)。一方、この国では本を所蔵することに熱心で、他の国とは桁の異なるほどの古写本が残っているという。ここにこの国の人の収蔵癖あたりをみてもいいのだが(オタク趣味といってもいいかな)、重要なことは文字に関する政治の違いにある。網野善彦「日本の歴史をよみなおす」によると、この国の中世からの地方領主や荘園主は文書によって報告することが義務になっていた。ということは政治の文字である漢文を書くことが必須の条件になる。そのため寺の住職の中には領主や荘園主の依頼によって、文書作成係として雇用され、政治的な権力ももっていたらしい。他の条件もあって、この国では中世から識字率と文字を書く能力は非常に高かったのだった。
 一方、ヨーロッパでは堀田善衛「ミシェル 城館の人」にあるように、文字を読み書きする能力は統治には必要なかった。中世文学にあるように粗野で文盲の城主という存在は珍しいわけではない。むしろ読み書きを嫌う傾向もあった。領主、城主がそうであれば一般市民、手工業者、農民はまず文盲であるわけで、この違いが写本の多寡に関係している。(映画「薔薇の名前」にあるように書物愛を持つ人物は当時では修道院と神学校の中にしかいない。ルネサンスになるとイタリアの貿易商人あたりから文芸に熱心になってくる。)

 リヒャルト・シュトラウス交響詩が有名。フルトヴェングラーカラヤンくらいしか聞いていないや。ジンマンだと新しい解釈で聞けるのかな。ソ連の作曲家カレトニコフがオペラにしているらしいが聞いたことがない。

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