odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ほらふき男爵の冒険」(岩波文庫)

 ほらふき男爵、ミュンヒハウゼン男爵の愉快な冒険は、子供のころから読んでいて詳細は良く知っているに違いない。あるいはテリー・ギリアム監督の映画「バロン」を見ているに違いない。なので、サマリーを書くこともないだろう。老年を迎えての読み直しをして気づいたことを箇条書きに。

・この種のほら話には中世の「ティル・オイレンシュピーゲル」「クラーベルト滑稽譚」などがある。こちらは18世紀にできたもの(その製作過程もブッキシュな興味もあるけど今回は素通りしておく)なので、まず違いをいくつか。まず主人公の活動範囲が広がった。「クラーベルト滑稽譚」は村の中の話だし、「ティル」はせいぜいドイツ語の通じる範囲の中。それにたいしほらふき男爵はペテルスブルグ、コンスタンチノーブル、ローマ、ウィーン、イギリスをと西欧中を動き回る。ときには大西洋を渡りアメリカにも(月にもいくし、地球の中心も通るのだが)。この背景には、大冒険や地中海貿易の発展とか、馬車による都市の交通網ができていることがある。同じ世紀のスターン「センチメンタル・ジャーニー」は坊さんの旅行記。彼もまたイギリスからフランス、ローマへと旅をしたのだった。そんな具合に西洋中を駆け巡る旅行はできたのだった。あるいは「旅の日のモーツァルト」も同時代の旅のお話。クシシトフ・ポミアン「ヨーロッパとは何か」(平凡社ライブラリ)を読むと、ルネサンスからフランス革命までは国境の概念がなく、ひとは自由に行き来できた。国民国家ができてから人の移動に制限がくわえられ、パスポートやビザが必要になってきたとのこと。
・ときに男爵はトルコにも向かう。このころオスマン・トルコ帝国は最大の版図を抱え、黒海カスピ海を越えて西欧にちょっかいを出していたのだった。ときにハンガリーオーストリアやロシアが衝突していたけど、ときには歓待と貿易も行われていた。そのあたりの国際情勢も反映しているはず。で、トルコの文物、文明は西欧の興味を引いた。なので、この冒険譚のBGMはモーツァルトベートーヴェンシューベルトトルコ行進曲モーツァルトの「後宮からの逃走」、バイオリン協奏曲第4番 第5番「トルコ風」など。いずれもトルコのリズムに太鼓の響きが反映しているので。
・ちょっと脱線するけど、男爵はトルコのサルタンとトカイワインの賭けをする。1時間以内にウィーンから取り寄せられなかったら命を差し出すというもの。みなが知るように異能の持ち主のおかげで解決する(映画「バロン」ではパイソンズのエリック・アイドルが足早人役。ちょっと役に会わないなあ)。それはそれとしてこの賭けは人頼み。なので、太宰治走れメロス」と比較してみよう。どちらが「人間的」かモラリッシュなのか。
・前半は動物の滑稽譚。熊に狐にライオンにワニにという具合。西欧にはいない動物も登場。その背景には、大冒険と博物学の時代があること。荒俣弘「目玉と脳の大冒険」「帯をとくフクスケ」その他にあるように、博物学図鑑が出版されるわ、博物館が巡回するわ、宮廷の中に植物園ができるわなど。もちろんライオンやワニの実物をみることはかなわないにしても、どういう姿なのか、どういう食性をもっているのか、獰猛なのか温厚なのかなど基本情報を読み手や聞き手がもっているということ。その背景には、上記のような大博物学時代があるわけ。
・戦争に関する話がよくでてくるし、銃についても薀蓄が語られる。当時の戦争は雇い兵を使った王国同士の戦い。死んだり不具になったりすると困るので、なあなあの戦いをしていた。だからかどうかはわからないけど、銃器その他の軍事知識がインテリ(という言葉は無かったはずだが)には不可欠だったというのかな。ま、要するにスターン「トリストラム・シャンディ」には築城学に熱心なヨリックおじさんというのがいたなあ、というのを思い出したわけ。またスウィフト「ガリバー旅行記」が引合いに出される。この種の本の情報も互いに影響しあっているのだなあ。
・そんな具合に、このほらふき譚の背後に西欧社会のさまざまな諸相があるわけで、それを発見するのが面白かった。