odd_hatchの読書ノート

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ジョナサン・スウィフト「ガリバー旅行記」(新潮文庫)

 かつては新潮文庫中野好夫訳で読んだが、今回は青空文庫の原民喜訳。後者は小学高学年か中学生向けに作られた簡略版と見える。スウィフトの細かい社会や政治の描写はかなり省略されている。たしかに大人の読者であっても18世紀のイギリス統治の状況がのみこめて、風刺の対象がすぐにわかるというわけではない。原民喜の訳は、その種の情報のないものにも人間や社会の風刺がわかるようにうまく刈り込んでいるのではないかしら。あと、ラピュタとフウイヌムの物語は刈り込みが多いようだ。
 ガリバーは小人国で住民から皮膚についての特別な感慨や意見を聞くことになる。美しい、すべすべしている肌も拡大してみると、しみや汚れ、細菌で見るも無残な様相にあるということ。逆に大人国にいくと美しい乙女の拡大された肌の汚さを嫌悪する。これはある優れた物事も見方を変えれば価値がなくなるという皮肉な相対主義の提案である。ペシミスト・スウィフトの面目躍如というところ。
 ところで、ガリバーの皮膚を小人たちが見たり、巨人の肌をガリバーが見たりしてそこに何かを発見するという着想は、顕微鏡による微細な世界の観察に似ている。調べてみるとレーヴェンフックが顕微鏡を作り、微生物を発見したのは1674年とこのこと。アントニー・レーヴェンフックは1632年生1723年没、スウィフトは1667年生1745年没。ガリバー旅行記は1726年。と、スウィフトがこの機器の観察結果に興味を持っていたのは確かでしょうね。ついでにいえば、レーヴェンフックはガラス研磨職人としても有名で、そこにはスピノザが出入りしていたとか、画家フェルメールの遺産管財人になったとか、オランダの知識人の交流にも一役買った人物。画家フェルメールが書いたソフトフォーカスの絵が焦点のぼけたレンズ越しの画面にインスピレーションを覚えたという話もあって、もしかしたらレーヴェンフック経由でスピノザが磨いたレンズを使っていたのかと妄想するのも楽しい。さらにずれると、当時のオランダは、チューリップ投機とバブルの崩壊という資本主義の危機を最初に経験したのでもあった。オランダという西洋の交通の拠点で、知がどのように行き来したかをみるのもおもしろいだろう。
 ガリバー旅行記からずれたな。ちなみにラピュタ編には、火星に二つの月があるという話がある。実際に発見される150年前に記述していた。これもある種の人々にはスウィフトの神格化に使われるけど、どうやらケプラーがその説を唱えていて、それを知っていたらしい。
 ラピュタはおかしな科学者が統治する奇妙な国だが、たぶんこれは当時の科学革命の混乱であったのだろう。コペルニクスケプラーらによって地動説は打ち消しがたいとしても、なぜ天体は移動するのか、その動因は何かについて百家争鳴の状態であった。それはニュートンユリウス暦:1642年12月25日 - 1727年3月20日)の力学で決着がつくのであるが、書かれた当時であってはまだ人々を納得させる力はなかったのだね。
 ここらへんはバターフィールド「近代科学の誕生」(講談社学術文庫)に詳しくて、18世紀には思想的・科学的な混乱があり、われわれが思うほどすんなりと科学革命が進んだわけではないということなのだ。
 ひどく科学史よりな読み方になってしまった。まあ、文学を文学の文脈だけで読む必要もないので、こういうもときにはよいでしょう。おそまつさま。

      

 ああ、重要な本を忘れていた。中野好夫「スウィフト考」(岩波新書)で著者の人生を鳥瞰しよう。夏目漱石「文学評論」(講談社学術文庫、今は岩波文庫)。一章を割いてスウィフトを紹介。もっとまじめに社会批評とか滑稽とかパロディなどの視点で書いています。自分にはそこよりも17-8世紀のイギリス都市の描写がおもしろい。ミルクホールやカフェ、雑誌が作られたのがこのころで、ジェントルマンはこれらの新い風俗店に集まり政治談議にふけったのだった。あと当時、コーヒーはカップから飲むものではなく、しき皿に少量ずつ入れて冷ましながら飲んでいたのだってさ。