odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ウィリアム・アイリッシュ「幻の女」(ハヤカワ文庫) 目立つ帽子をかぶった女は見たことがないとなぜ誰もが言うのか。再読できない傑作サスペンス。

 「夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった”暗いムードを湛えた発端……そして街を彷徨ったあと帰宅した彼を待ちうけていたのは、絞殺され無惨に変り果てた妻の姿であった。強烈なスリル、異常なサスペンスを展開し、探偵小説の新しい型を創り出したアイリッシュの最高傑作!(裏表紙サマリ)」


 個人的な記憶から。1976年のハヤカワミステリ文庫の創刊は、ミドルティーンの自分にとっては大事件だった。それまで創元推理文庫で戦前作品は読めるのに、戦中から1960年代の新しい海外ミステリを入手することは難しかった(ポケミスは高いし取扱店舗がほとんどないし、他の文庫では海外ミステリは冷遇されていたし、単行本は高いうえに書評がないのでどれを手にすればわからなかったし)。そこに、乱歩のエッセイや九鬼紫郎「探偵小説百科」でタイトルのみ知っていたものがいっきに手に入るようになったのだった。「野獣死すべし」「帽子から飛び出した死」「消えた玩具屋」「暗い鏡の中で」「細い線」「切断」などなど(以上の作者を答えよ、レトロマニアの初級試験です。どれも品切れが長いんだよね。2010年当時)。
 「幻の女」は、そんな渇えを癒す最大の贈り物のひとつ。写真は文庫版初版の表紙とカバー。新聞で新刊広告を見て、すぐに買いましたよ。すぐに読みましたよ。ラストシーンで驚愕しましたよ(でも、最も印象的なのは訳者解説に載っていた乱歩のこの作への偏愛ぶりと本の入手のための術策だったりして)。中盤で、事件の証人になりそうなバーテンを若い女が尾行する。ただ見つめているだけなのに、バーテンはびくびくしだし、ノイローゼになっていく。威嚇したいが相手が若い女なので、中年男のバーテンのいうことに耳を貸すものは誰もいない。自縄自縛状態になり自己破滅していく様は、強烈な印象を残したものだ。再読すると、この30ページあたりは独立した短編として読むこともできそう(短編にするとなぜ女が尾行するのか理由がわからなくなるだろうが)。
 若い男が結婚したが、じきに妻を愛していないことに気がつく。別の若い女と不倫するうちに、そちらに気が移り、離婚を切り出したが妻は男を嘲笑し応じようとしない。そして上記の事件が起こり、若い男に死刑判決が降りる。死刑執行3週間前になって事件を担当した刑事が、再調査することを切り出した。男は親友のロンバードと恋人のキャロルそして刑事の協力を得て、再調査を開始する。ここまでで小説の三分の一。この物語はハーレクインロマンスが終わったところから始まるのだね。スコットと妻が結婚するまでにいろいろ冒険やどたばたがあって、二人が手に手を取って、愛を交わしあうというシーンがあったはずなのだ。しかし、愛は移ろいやすいもの、愛は永遠ではない、同居すると他人のあらにがまんができなくなる、こんな下世話なことに愛も変貌して敗北するわけだ。
 このあとは協力者たちによる調査の様子。捜査権を持たない素人たちなので、危険があることは当たり前、真犯人の妨害が彼らを邪魔し、けがすることもある。ここらへんのサスペンスの理由は、夫スコット・ヘンダースンの一夜切りの連れになった女、しかも強烈なスタイル(オレンジ色の南瓜のような帽子に羽根を付けている)のうえに目立つ行動を繰り返す(ショーの踊り子を挑発しスポットライトを浴びるなど)、の存在を誰一人として証言しないこと。彼女の突飛なスタイルや奇行には何かの理由がありそうだが、(たぶん)明かされない。しかし、バーテン、ウェイターなど顔を覚えるのが商売の連中がそろっていなかったと証言する。このあたりと処刑までのタイムリミットがあるのが、このサスペンスの理由。スコットも彼に協力する追跡者も都会では孤独である、彼らを知るものは誰もいず、みな「名無し」の無価値・無意味な存在としか思われていない。他者の協力は金を払わなければ得られない資本主義の論理が徹底していて、金のないものは自動的に敗者になってしまう。こういう古い共同体が解体して都市に変貌するときに、人々に起こる不安、不信、孤独、寂寥なんかに読者は共感する。
 「恐怖」の感想でも書いたのだが、アイリッシュの筆と視点はその時のメインキャラクターにきわめて近いところにある。そのため読者はほぼキャラクターの認識でもってしか状況を把握できない。キャラクターが不安や恐れを感じていたら、それにたやすく同化してしまう。ここがアイリッシュの優れたところ。(ただ、そのような主観的な情報から一歩離れる視点を持つと、この「事件」そのもののおかしさに気づいてしまう。たとえば、ロンバードとキャロルはそれぞれが担当するターゲットの事故死や殺人に遭遇するのだけれど、ターゲットが重要な証拠や証言の持ち主であるというのは誰が知っているのかということを考えると、容疑者は二人しかいないのがわかる、など。素人の追跡がサスペンスフルなおかげで、読者は妻の殺人の動機を考えずにいるとか、刑事の挙動の不審なところに気がつかないとか)。
 かつては強烈な魅力を感じて読んだのだが、今回は楽しめなかった(途中でストーリーを思い出したとか、トリックや叙述のあらが気になるとか)。これは再読してはいけない小説、一回限りを楽しむための傑作だった。できるだけ若いうちに、できるだけミステリーを読んでいないうちに読んでくださいな。
 ああ、主題とは関係ないけれど、キャロルが調査を担当したドラマーは仕事がはねた後、どこか倉庫に他のジャズマンと集まって、ジャムセッションを深夜にやっていた。1942年の刊行なので、当時はエリントンとかベイシーなどのビッグバンドのスイングジャズ時代。しかし、若い連中はそんなのに飽き足らず、革新的な試みを(少しばかりの麻薬と一緒に)やっていたのだね。ここから10年後に、ビ・バップの新しいジャズが出てきたことを思い出すと、この小説はジャズ史の一つの証言になっている。

  

 「幻の女」が被っていた帽子には元ネタになる人物がいたという。下記リンクで紹介されているので、ご参考に。
 2011-12-13

 カルメンミランダ(Carmen Miranda)の動画をいくつか貼っておきます。
www.youtube.com

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