odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

ウィリアム・アイリッシュ「短編集4 シルエット」(創元推理文庫)

「毒食わば皿」1940.6 ・・・ 偽装倒産に巻き込まれたペインは臆病者であったが、明日アパートを追い出されるので、雇い主のバロウズに未払賃金を要求しにいった。ドアの前で逡巡する彼の目に、バロウズの金庫と札束が見えた。彼は懇願を強奪に変更する。首尾よく侵入し金庫を開ける琴に成功したが、背後にバロウズが拳銃を持って立っていた。混乱から殺人を犯したペインは恐怖におびえ、さらに殺人を重ねていく。願うのは、妻と約束したモントリオールへの列車に乗ること。しかしいたるところに待ち伏せが。殺人を犯してからペインの世界が転倒する。世界は彼を拒否しだすのだ。見事な描写。そして強烈などんでん返し。裏返えされた「暁の死線」。

「窓の明り」1949.4 ・・・ 戦争で負傷し療養していたミッチはようやく退院し、女友達のコンスタンスを訪れようとしている。なかなか決心のつかない彼は、コンスタンスの部屋の窓の明かりの向こうに誰かいるのを見出す。長い時間のたった後、コンスタンスを訪れるが、その部屋には直前まで誰かいたようだった。ミッチはクイーン「フォックス家の殺人」の帰還兵デイヴィーの双子のような境遇。あいにくミッチには心を許せる友達がいなかった。似たような設定の物語をティム・オブライエン「本当の戦争の話をしよう」か「僕が戦場で死んだら」で読んだ気がするけど、思い違いかな。
「青ひげの七人目の妻」1936.8 ・・・ 猟奇殺人事件が解決してほっとした刑事、妹の結婚式で新郎と初めて会うが様子がおかしい。刑事は職癖で未逮捕の殺人犯を思い出す。妹の新郎、あいつは複数の妻を殺していまだに逮捕されていない「青ひげ」ではないか。ハネムーン旅行に出かけた妹を追いかけて刑事はすぐに出発する。途中で一人称は妹に移り、彼女の疑惑と恐怖を描く。さかさまの「消えた花嫁」。繰り返すけど、アイリッシュでは結婚は凶兆を伝えるものだ。

「死の治療椅子」1934.8 ・・・ 歯医者で治療中の患者が突然、青酸カリで死亡した。たまたま居合わせた友人の刑事、歯医者のために一肌脱ぐ。いや一口開ける。

「殺しのにおいがする」1941.2 ・・・ ルームメイトが彼女を呼ぶからちょっと部屋を出ていてくれといわれたので(いきなり言われるとほんと困るんだ)、夜の雨の中、時間をつぶしてかえる。彼女はもういないし、ルームメイトはおかしなそぶりだし、おまけに彼女の母親からヒステリックな電話が深夜にかかってくる。結局、彼女は死体で発見され、ルームメイトの証言はつじつまがあわない。さて、こういうとき、同居人はどうする。アイリッシュの答えは、彼女の死体を見ろ、真犯人を見つけろ、だ。戦争直前だが、当時の独身男(学生ではない、念のため)はルームシェアをしていたのだね。

「秘密」1945.11 ・・・ 自分の秘密を決して明かすなという約束を結んで結婚したフランシス。世界恐慌の影響を受け、賃金カット。さらに新しい上司とそりが合わない。ついに衝突して解雇される。夫は恨みがましく、自分を抑制することができないのだ。夫は「あいつを殺したい」とつぶやく。そして夫が荒れて深夜出かけた翌朝、上司が殺された。もしかしたら夫が犯人? 疑惑はどんどんふくれあがる。別の容疑者が逮捕され、容疑者にも自分と同じ若い妻がいることを知り、フランシスはある行動を起こす。「いつもと変わらぬ夜だった。月が出ていて、星もでていた。」という文章が少しずつ変わりながら、繰り返される。簡単な言葉しか使っていないのに、恐怖や疑惑が読者に伝わるアイリッシュのマジック・ワード。

「パリの一夜」1936.5 ・・・ フランスの軍港ル・アーブルに停泊した軍艦の乗組員、俺とハンサムは自由時間にパリに出かける。てんでフランス語を話せない二人は、軍艦の誰かに聞いた電話番号に電話をかけた。「鉛筆150本をもってこい」という指示。むこうみずで無鉄砲な二人のドタバタ冒険劇。「踊る大ニューヨーク」の主人公が「TAXI@リュック・ベンソン」をやったようなものかな。痛快でコミカル。

「シルエット」1939.1 ・・・ ブリッジで夜遅くなった中年夫婦がバスを待っているとき、向かいの家の窓越しに女性が考察されているのをみた。数日してその家で奥さんが失踪したのを知り、警察に届け出る。もちろんその家の夫は起訴され、裁判の最終弁論が始まった。2回にわたるどんでん返し。夫に頭の弱いといわれた妻の、女性ならではの観察眼が真相を明らかにする。

「生ける者の墓」1937.5 ・・・ 墓を暴いている青年のおそるべき恐怖譚。戦争神経症をやんだ父、彼は生きながらにして埋葬されたのだった。それは子供に深いトラウマとなった。成人すると、彼は美貌の令嬢と出会う。と同時に、「死の友」なる集団に無理やり加入させられる。その集団は強い結束力を持ち、退団を許さないのであった。青年は彼らから逃げようとするが、どこにいっても監視され、逃亡は妨害される。さて、令嬢を駆け落ちしようとしたとき、集団は彼の身柄を押さえたのだが、不意に彼を逃がした。彼の身代わりを見つけたのだった・・・。令嬢が危ない、というわけで、最後のアタックが行われる。ロジャー・コーマン監督あたりが作っていそうな恐怖映画の題材だな。邪教集団による監視と脅迫、自分以外のだれも信じようとしない孤独と閉塞感。モダンホラーでは珍しくないテーマだが、書かれた時期を見よ。最初期ではないかしら。

 さて、「裏窓」が代表例だが、アイリッシュの作品の多くは「遠くから見る」「覗き見る」というモチーフが繰り返される。ここでも数編がそういう趣向。最後の「生ける者の墓」は逆に遠くから見られていることによる恐怖。どこにあるのかわからない視線、身を隠しての視線というのが、恐怖や神経症の原因になるということ。そこにカメラ、望遠鏡などの観測機器が間にあることでさらに、増幅される。この「視る」「視られる」の関係はなにか哲学的に解釈したいね。バルトやフーコーラカンなんかを持ち出すといいのかしら。