個人的な思い出から。それまでムーミンとかドリトル先生とかツバメ号などを読んでいたときに、ませたクラスメートに進められたのが、この小説。あまりのおもしろさに、それからミステリーを読み出した。教えてくれた友人に感謝。
「もう探偵はごめん」所収の「バスで帰ろう」をベースに長編に仕上げた(はず)。アイリッシュは全体の構成がたくみ。まずダンサーのブリッキーが同じ故郷の隣の家の男の子クインと出会うまでが第1部で全体の4分の1。もちろん最初はそのことを知らないわけだが、ブリッキーにまとわりつく孤独な男を部屋に引き入れるまでの描写が見事。あわせて、都会の残酷さ(なにしろ1929年から不況は10年たっても解消せず、田舎娘は映画会社や劇場のオーディションを受けてもまったく合格しない)に打ちひしがれている。同類を見つけたのだろうな。しかも隣の家の男の子というわけで、「故郷」のセンチメンタリズムが生まれる。故郷に帰ったとて仕事のある可能性はないのだが、重要なことは社会の変化を認めて自分を変える決意をすることだ。出発の期限を設定することでそれが必然であると思い込むことができる。なのでdeadlineは自分で作った期限であること(今日の朝出発するバスに乗らなければならない、そうでなければ再出発は不可能になる、と自分で決める。だから残りの時間で過去を清算しなければならない)を強調すべきで、「デッドライン」のほうがよい。「死線」では他者や他所が彼らに強いた試練になってしまう。「暁のデッドライン」「デッドラインは朝」。間抜けなタイトルだな。自分にはネームセンスがないのだよなあ。
さて、クインが金持ちの家から出来心で金を盗んだことを告白した。上記の決意をしたブリッキーがもう主導権をもつ。犯罪を背負うことは、変化・再生の邪魔だ。発覚する前に全部返済すればよい。躊躇するクインからやる気を引き出すブリッキーの誘導は見事。そして、金持ちの家で当主の死体を発見し、自力で犯人を挙げるために二手に分かれるところがちょうど半分のところ。ここでもブリッキーは意気阻喪するクインを励まし、行動に移らせ、自ら撤退する意思がないことを表明する(数年すんだアパートを退去するところの描写も見事。思い出、過去を断ち切る葛藤)。
しばらくは間違った跡を追いかけ失敗する。それは「幻の女」でもそうであった。面白いのは、クインやブリッキーが事件に関係者と思われる人物に追いついたとき、彼らの武器になるのは視線。彼らが人を見つめるまなざしが不安にさせたり、事態を変化させる行動を誘発する。この武器としてのまなざしはアイリッシュお得意のテーマ。
推論の最初が誤りだということに気づいて、二人はもう一度金持ちの家に戻り、死体を検討する。このとき死体は単なる物体で、彼らになんらの感情を沸き起こさないものになっていることにも注意。死んでしまうと「霊」の行方は問題になるが、地上に残った物質は意味も価値もない。で、靴下裏に隠されている手紙と浴室の不渡り手形を手がかりに(あれ、「手」が重なった)、再び二人は行動を開始する。彼らのデッドラインまであと3時間もなく、ページも残り4分の1をきっている。ここから先の怒涛の展開は読んでくれ。手に汗握れ、ページをめくる手がとまらなくなる読書の快楽にふけれ。二人とも危うく死にかける苦難に直面する(「死線」はこちらも意味したダブルミーニングだろう)。
最初のような個人的な体験もあるが、自分にとってはアイリッシュの最高傑作。午前1時に物語が始まり、午前6時で終わる。章の代わりに時計の文字盤が表示されデッドラインが迫っていることを意識させられる(都筑道夫「やぶにらみの時計」)。しかも舞台は深夜のニューヨーク。明かりはなくて、深夜営業の店か街灯か時折通るタクシーの明かりしかない(BGMはピアソラ「ブエノスアイレス午前零時」)。
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こういう描写なかせの設定をしていながら、緊迫感は比類がないし、構成は見事(というかフィクションのお手本になる)。そのうえでこのストーリーが胸を打つのは、ほかのアイリッシュと違って、未来とか夢とか将来の明るい生活への脱出がメインテーマであること。そのための破滅を回避するため、過去を清算して再生するための努力であり、奮闘であるところ。ここらへん追い詰められて自己破壊に向かうほかの小説の主人公たちとは異なる。こういう自己破壊とか自己批判などのオブセッションがないのは、彼らが若いこととなにより頼りになる(にしてしまう)恋人がいるためだな。他者は手段ではなくて、目的になっているんだ(それが恋愛というやつか)。
もうひとつは、危機を克服するにあたり、外部の力を借りなかったこと。「幻の女」「黒いカーテン」などだと、警官が彼らの背後で監視して最後にデウス・エキス・マキナよろしく、あるいは窮地を助けるスーパーマンよろしく、「そこまでだ」と姿を現すものだが、そういう人物はいなかった。このあたりの自助努力に徹するところが美しい。
故郷が彼らを歓迎するのか仕事があるのかは不明だけれど。でも、うそをついたり、自分を都会人に見せかけたりすることはいらなくなったわけで(「恐怖」「死者との結婚」の主人公たちと違うところ)、ありのまま(という自分がいるわけではないが)をそのまま受け入れることができるというのは、心にはよいことだな。若い二人に幸あれ、といいたいところだが、1944年初出なので、いま(2011年)は90歳に近いか。孫にかこまれているか、ヤング@ハートで歌っていればいいなあ。
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1946年の映画
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備忘のためのメモ。1970年代前半に創元推理文庫の文庫目録で、初心者のための必読書12冊というのを特集していた。
ルルー「黄色い部屋の謎」
クロフツ「樽」
フィルポッツ「赤毛のレドメイン家」
クリスティ「アクロイド殺害事件」
ヴァン=ダイン「僧正殺人事件」
シムノン「男の首」「黄色い犬」
クイーン「Yの悲劇」
ハル「伯母殺人事件」
チャンドラー「大いなる眠り」
アイリッシュ「暁の死線」
フレミング「ロシアより愛をこめて」
江戸川乱歩編「世界短編傑作集1-5」
「暁の死線」を読んだあと、これと江戸川乱歩の名作30冊のリストをもとに海外ミステリの海に泳ぎだしたのだった。
<追記 2014/6/23>
リストにひどい間違いがあったので、修正しました。カー「皇帝のかぎ煙草入れ」、アイルズ「殺意」は自分の勘違いなので削除。