odd_hatchの読書ノート

エントリーは2600を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2021/9/25

ゲルハルト・ハウプトマン「織工」(岩波文庫)

 1844年に起きた機械破戒運動を参照して1892年にハウプトマンが作った戯曲。この国では1933年に築地小劇場で上演された(訳者久保栄はこの劇場の関係者)。
 簡単に背景のおさらい。西欧の綿織物はインドの綿花をオランダ・ベルギーあたりが輸入し綿糸に加工。それを周辺諸国の農民が輸入し手工業で綿織物に加工していた。まず、綿糸の品質が一定でなく、安定した品質の綿織物が作れない(そのためインドの綿織物は貴重品)。その時に、18世紀前半にイギリスの技術者たちが蒸気機関と紡績機と自動織機を発明した。これによって安価で一定品質の綿織物ができるようになり、西洋中の市場を席巻したのだった。困ったのはそれまで家内制手工業で綿織物を生産していた農家たち。彼らにとっては作物を作れない冬の産業であり、貨幣を獲得する手段であった。そこにイギリスの安価な製品が来て、しかも資本を投下すれば利益が見込めるということで商業資本から工業資本に転嫁する起業家が続出したのだった。彼らは農民を自工場の下請けとして使い、廉価な賃金と劣悪な労働環境においたのだった。そのため、農民は12-14時間労働/日、12歳から労働開始、劣悪な環境(綿糸の埃で気管支疾患にかかるもの多数)におかれた。このあたりの事情は、マルクス資本論」やディケンズの小説に書かれているので、参照してください。しかも、地主が高い税金や無償の労働奉仕を課したので、さらに農民は困窮したのであった(あと、農民の共同作業場であり、燃料その他の取得のできた森が地主その他の権力によって農民から奪われている)。そのために、「おらの仕事を奪うな」というスローガンで、機械打ち壊しの一揆が散発的に起きたのである。たいていは敗北し、困窮した農民は都市難民となりスラムに住んで工場労働者その他の低賃金労働につく。働き手のいなくなった田舎の土地は放牧地になり、農民がまた放逐されたのである。まあ、こういう農民・低賃金労働者の搾取と棄民化が進んだのであった。これが背景にあったので、社会主義運動がおこり、権力者をターゲットにしたテロリズムもあったわけ。

 さて、「織工」にもどろう。
第1幕 ・・・ 工場の賃金支払い日。高飛車な事務員に品質に文句をつけられ、前借りを断られて、農民たちは困惑。経営者が出てくるものの、賃金のことは事務員に聞けと逃げる。
第2幕 ・・・ 農民の家。子だくさんの貧乏、少年少女の長時間労働、インフレ、長雨と洪水によるじゃがいもの不作など農民はつかい つらいことばっかりと女たちがなげく。そこに兵隊になり幸い出世した男が登場。経営者の悪口を織り込んだ民謡を歌うと全員で合唱。もう我慢ならないと農民たちが立ち上がる。
第3幕 ・・・ とある酒屋。賃金を切り下げられた織工たちが愚痴をこぼす。ここでは入会地の枯れ枝取りが違反であることを嘆く。そこに第2幕で気勢をあげた連中がやってくる。経営者や事務官の悪口で盛り上がり(これまでタブー)、民謡は革命歌の役割を果たし、老人を除いて全員が出発する。
第4幕 ・・・ 経営者の家。牧師と事務員が詰めかけていて、農民蜂起に怯えている。農民の騒乱が自宅周辺に押し寄せてきたとき、彼らは家を捨てて逃亡する。
第5幕 ・・・ 蜂起に参加しなかった農民の家。爺さんと婆さんはキリスト教の意図からすると、暴力はよくないねえと話をしている。第2幕で意気をあげた元兵隊が来て、略奪した肉や酒をふるまう。そこに軍隊登場。一部で「逃げろ」の声。そうはさせじと元兵隊が路上に戻る。どこかからの流れ弾が爺さんに命中。家族が爺さんの下に集まる中、幕。
 とくに社会改革のビジョンを持っているわけでもなく、資本家打倒の後の経営をどうするかという方法をもっているわけでもなく、闘争の戦略や戦術をもっているわけではない。あくまで「お上」に力を持って訴え出て、「悪い」資本家やその手先を懲らしめてくれ、ついでに彼らに集中している富を自分らに配分してくれという運動。なので、これは革命でも運動でもなく、暴動や一揆とみなすべき騒擾事件。19世紀になると、ブルジョアは支配層(王族、貴族、宗教組織など)と持ちつ持たれつの関係を作ることに成功している(税金や贈賄で富の一部を差し出す代わりに、彼らの利権と資本の保護を要請していた)。だから一時期の熱狂も軍隊の出動によって、一気に蹴散らされてしまったのだろう。という具合に、いま資本や権力によって不遇な状態にあるものを意気軒昂させる力はありそうだが、これをベースに現実の運動を作るのは難しい。この芝居をみたあとに、演出家と俳優と観客でディスカッションが起こり、ではこれに代わるべき運動形態はどうあるべきかなどと話し合わせたのだろうか。
 もうひとつ、経営者の側も悩みを持っていて、とりあえず地域の産業でリーダーにはなったものの、市場は不安定(購入可能な階級や人口が少ないから)で海外資本が大規模に参入してくると太刀打ちできず、定期的な不況はそれまでの儲けを吹っ飛ばしてしまうし、当時の機械では不断に新規購入していかねばならず、その資金を供給する金融資本も弱体であって、というような遅れた資本主義の問題に直面しているわけだ。あと、イギリスを除くと、起業して富を蓄積したものは社会に還元するという思想に乏しかった。困窮している階層の不満をそらす政策というのもなかった。社会民主主義の発想は19世紀末に現れ、政策への反映は1930年以降から(と先駆的な試みはこのころで、自由主義経済諸国が実施するのは1950年以降なのだろうな)。
 こうしてみると、労働者の搾取というのは、まず国内で始まる。不満の解消と品質向上のために賃金を上げていくと、国内の労働争議は少なくなるが、高コスト体質になり国際競争力が低下し、次は賃金の安い後進地域に生産部門を移転して同じことを繰り返す、というのが、この200年間の歴史かな。
 さて、理想的には地球全体の賃金水準は一定になるはずだが、そのとき(いつになるのかわからないが)どのように生産性を上げる仕組みができるのであろうか。そのとき労働者の搾取は消失しているだろうか。今この国にあるように、失業者を生み出すことによって一企業は解決するのだろうが、今度は国のセイフティネットの負担が増えて、企業の税金や福祉などが増えるはず、うーん。という具合に一企業の最適化は全体の最適化にはつながらないということになるわけで難しいなあ。(久保栄の解説1954年版とは全然別の内容になってしまった。もちろん久保のは、労働者を解放しよう、賃金奴隷の廃止を求めよう、資本家はそれに抵抗している、という内容になっている)