odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

鴨長明「方丈記」(講談社文庫)

 鴨長明は「かものちょうめい」と記憶していたのだが、解説をみると「かものながあきら」としている。いつのどこの新聞記事かは忘れたが、「ちょうめい」は漢学者の読み方。当時の人びとは「ながあきら」と和名(という呼び方でいいのかな)で呼んでいたのだった。なぜ「ちょうめい」の漢文読みが広まったかというと、同時代の記録者とその後の歴史学の研究者はたいてい漢学者であったから、という。
 こんな具合に、現在の常識で持って古典(とりわけ現在から500年以上前)を読むとなるときには慎重にならないといけない。思い込みが読みを限定してしまうから。鴨長明は50歳を過ぎてから、京を離れて庵を編んで一人暮らしをした。ここには明白に、「世をそむけり」と書いてあるので、後の「清貧の思想」とか、自然と一体化したエコロジーな暮らしを実践したのだ、みたいなことがよく言われる。実際のところ、賀茂神社禰宜の息子で、父と兄が若いときに死んでしまったために、禰宜職を継げなかった、その挫折が京を離脱する理由になったのだが、では収入なしで自力更生の生活をしていたかというとそうではなく、一人が暮らしていくには当面問題のないくらいの収入を荘園から食むことができたのであった。そして、方丈(まあだいたい四畳半程度)の庵に住むとはいえ、近くに寺院もあり、彼の和歌の実力を慕って訪れる人もいるなど、仙人のごとく世俗と断ち切れた生活をしているわけではない。このあたりはしっかり押さえておかないと、この書籍(とりわけ前半の4つの自然災害、火事、竜巻、飢饉、大地震、と福原遷都による京の混乱)を理解するのはむずかしくなるのではないか。
 鴨長明はだいたい1155年に生まれて、1216年に亡くなっているので、平安の終わりから鎌倉幕府の成立までにあたる。まあ、8世紀に成立した荘園制度と天皇を中心とする政治体制が混乱してきて、東国のむさくるしい武士が俺たちに権力をよこせと言い出して、ついに東国に武家政府を作るまでにあたる動乱の時代だ。長明は没落していく側の貴族の末端の末端にあたるので、当然、武士たちにはたぶん共感を持っていないし(福原遷都に対する婉曲な非難が書いてある)、といって固定された階級制度の中で栄達の望みがないという立場にいる。生活の不自由を埋める分として、精神の貴族になっていったのだった。そのような「知識人」のみる末世とそこからの離脱(の希望)あたりがこの本の主題であろう。
 とはいえ、こんなことを自分が記載するのはまったく不要。なにはともあれ、いっしょに堀田善衛方丈記私記」を読むべし。さらに同じ作者の「定家明月記私抄」を読もう。そうすると、中世の宮廷、貴族の生活がわかる。貴族といえども、かならずしものんきで優雅な生活をしていたわけではないのだ

    

参考エントリー:
堀田善衛「方丈記私記」(新潮文庫) 1971年
堀田善衛「定家明月記私抄」(ちくま学芸文庫) 1986年
堀田善衛「定家明月記私抄 続編」(ちくま学芸文庫) 1988年