odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

網野善彦「日本中世の民衆像」(岩波新書)

 自分の実家は武蔵野台地の北のはずれ。入間川によって削られた河岸段丘(おお、中学生以来初めて使った)が見える。台地には川が流れていないので、周辺は畑ばかりだった(いまはベッドタウンに開発されてこのような光景はみられない)。電車はこの台地の上を走っているが、おそらく走行中に田んぼをみることはできないだろう。だもんで、自分にとって「瑞穂の国」というのは原風景ではない。武蔵野大地の南のはずれを舞台にした「となりのトトロ」のゆたかな水田風景は、自分の原風景とは一致しない。
 この新書の主張するのは、「弥生時代いらい水稲を中心に生きてきた単一の民族という日本人像は近世以降の通念にしばられた虚像ではないだろうか.本書は,中世民衆が負っていた年貢・公事の実態とその意味を問い直し,さらに遍歴する職人集団の活動に光を当てることにより,その虚像をくつがえす.日本中世の多様な姿とゆたかな可能性が描き出される.」ということ。その主題をめぐって注目したところは以下の通り。
・中世のころに言葉の意味が転換したものがある。現代の用例、意味で当時の言葉を理解しようとすると間違えることがある。例として「自然」「職人」「平民」「自由」「芸能」などなど。
・江戸では税の支払いは米であったが、中世には絹・綿・鉄・金・塩など多様な形態があった。いろいろな形態があっても、地方ごとにある程度の統一性(農民が勝手に品を選べないとか、毎年ころころ変えないとか)は保たれていた。一方、税の支払いの根拠は「田」の面積(計算はいい加減だったらしい)に基づき、塩田などのコメ以外の生産場所は支払の対象外。
・コメ以外の税金支払いが求められていたということは、貨幣経済が発達していたと思われる(貨幣の供給過剰によるインフレが起きていたという記録がある)。
・開墾、開拓した土地は開墾者自身の所有になった。そのとき、人は土地との間に呪術的な関係性を意識していたらしい。徳政一揆は、借金のかたに奪われた土地を奪還する方法で、そこには経済的な理由といっしょに呪術的な理由もあった。ということは、土地を中心にした地縁共同体があった。
・職人(とくに工業品生産に携わる者)は、のちのように専業で飯を食っていたわけではなく、農業といっしょにそれを行っていた。武士も専業ではなく、農業を行っていた(この時代は農民も槍・刀・弓矢などの武器を持っていて(「七人の侍」か?)、抵抗権を行使することがあった)。貝塚茂樹「中国のあけぼの」では、秦までに農工の分離が行われていたというから、この島国との差異は大きい。
・東国と西国は、風習・政治制度・経済体制などなどの差異が大きい。別の国家(そう意識されていたかは別として)であったのではないか。
・たぶん多くの平民(農作業従事者)はその土地から出ることはなかったが(ここは自分の感想)、職人・芸能などは全国を移動・交通していた。関東と四国、九州などに意外なつながりを見いだせる。さらには、中国からの渡来人が多く存在して、行商を行っていた(宋銭の膨大な流入とあわせて考えること)。「倭寇」による海賊行為は有名ではあるが、そうではない穏やかな交通・交易も同時に行われていた。このあたりの交通・交易には注意。
・中世の大きな変化は、南北朝の分裂時代に起こる(南北朝時代は1336-1392年とされる)。大きな変化は土地所有制の変化(荘園公領制の崩壊。決定打は太閤検地)。このころに大規模な人口の移動があったと考えられる。(中国の歴史でも、ローマ帝国の解体でも、政権が交代する時には大きな「民族移動」があったと思う。これは重要。20世紀における日本の変化も人口の移動で説明できることが多いから)。
 このような中世像がどの程度、学会の共通認識になっているかは知らないけど、この見方のほうが想像力が膨らむ。