作者の長編では、なぜか人気のない一編。理由を考えると、「義経」の脱神話化を目指しているから。ここに描かれた義経は、英雄的なところがまったくない。義経に「ヒーロー」を期待する読者を裏切っている。
上巻では、四条河原での弁慶との劇的な出会いがない、鞍馬寺に稚児であったときに男色を強要された記述がある、奥州藤原家での生活が生殖活動であった、などなど。山田風太郎「神曲崩壊」(朝日文庫)には愛欲の地獄の住人として、義経が登場している。
下巻になると、ようやく平家物語にあるような合戦の描写がでてくる。そこでは、軍事的には天才。日常生活では、甘ったれで傲岸不遜で政治的な思考のできない欠陥人間。この小説に書かれたのは、そういう義経。京都を追放されてからはほとんど記述がない。安宅関の勧進帳もないし、衣川館の攻防戦も、弁慶の立往生もなし。
まあ、歌舞伎やさまざまな映画に大河ドラマ、川原正敏「修羅の刻」や木下順二「子午線の祀り」に描かれたカッコいい義経ではないんだな、これが。また、義経=成吉思汗伝説は一顧だに触れず。
中国の古代世界やローマ社会では、軍事と政治に辣腕をふるった巨大な人間がたくさんいるのだが、この国ではどちらにも優れた成果を発揮した人というのは、ほとんどいないみたい。