odd_hatchの読書ノート

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鈴木良一「織田信長」(岩波新書)

 司馬遼太郎国盗り物語」と比べると、どの年齢の信長を書いたかということで大きな違いがある。前者では40歳までを描き、あとはあっさり。こちらの場合は幼少時のエピソードはほぼばっさり。代わりに一向一揆との対決から死までの10年間に半分以上を費やす。
 この本でわかったこと。
・16世紀初頭から農業の生産革命がはじまり、生産力が飛躍的に発展した。それまで山(にある)田のほうが生産性が高かったが、治水事業を行うことで平野の生産性が高くなった。たしかに明智光秀が出た家は、山の中にあった。なるほど戦国以前の時代は山の生産性が高くて、人はそちらに住んでいたのだった。というより平地・湿原を開拓する技術と人口がなかったのだろう。それが農業革命によって、平野に人が集まるようになった。新しい生産拠点は、従来の「惣」や「村」の恩恵をうけられない。新しい権力を待望するようになる。織田家の優位性はそれを背景にしている。
・あわせて貨幣経済の発達。平野部の生産性の向上→土地資産家の誕生→商人資本家への変換→既存の商業特権(寺社を中心に作られた専売権をもつ旧商人)との衝突。こんな推移があった。信長のやったことは、既存利権を取得していたものを破壊し、新興の商人資本を育成すること。関の撤廃や楽市楽座流通革命にあたる。(義父にあたる斉藤道三が既存の商業特権集団に入り、その富をもとにのし上がっていったことと好対照)
・それまでの武士は土地の縛りが強かった(たぶん収穫の一部を収奪する代わりに他の襲撃から守るという契約関係があった)。そのため権力への抵抗は一揆などの土地に根ざしたものしか行えなかった。そのような「惣」に縛られていた武士を信長は破壊。武士と土地の関係を壊し、主君の一存でどこにでも赴任できるようにした。こういう関係の変更が中央集権国家を成立する力になる。この政治は、中国だと始皇帝や漢の高祖などが行ったことだな。すなわち土地の共同体を破壊し、官吏を派遣する仕組みが中央集権国家であるのだが、そのような「革命」を中国は紀元前200年ごろから開始したのだが、日本は遅れること1700年ということになる。そして、中国ほどの中央集権国家を作り得ないまま、明治維新になって民族国家を普請することになった。
部下を支援するためのロジスティックスとマネジメント。だれがどのような思想でシステムを作り、運営したのかは書かれていない。それは信長の発案で、家臣全員にまねさせたのか。あるいは歴史に現れなかった優れた官僚がいたのか。通常は、彼の兵法に気が向いて戦術家として評価が高いのだが、むしろ経営の強さがより重要だったのではないかしら。
 戦略と戦術に優れた勇将、用兵の戦術のイノベーターという信長はここにはいない。そうではなく、一向一揆のような不正規戦で悩まされ、宗教集団の組織力に苦しむ。一方で、構造改革を強引に進める(彼はそれまでの武士の雇用形態を変えた)。日本のシステムの破壊者で創設者、経営の革命家としての信長がいる。1967年初出。