odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

ロナルド・ノックス「陸橋殺人事件」(創元推理文庫)

 「こんなじめじめした日の午後は、気分転換のために人殺しでもやってみたくなるものだが─剣呑な台詞を契機にした推理談義がもたらしたか、雨上がりのゴルフ場で男の死体を発見した四人組。すわこそ実践躬行とばかり、不法侵入に証拠隠匿、抵触行為もなんのその、いささか脱線転覆ぎみの素人探偵根性を発揮するが……。 迷走する推理も一興、究竟の真相に喫驚の、古典的名作決定版!」
陸橋殺人事件 - ロナルド・A・ノックス/宇野利泰 訳|東京創元社

 前回は大学卒業直後に読んでいる。春休みで閑だったのだろう(いわゆる新卒の就職に失敗して、このころは研究生みたいな名目で残っていた。うーん、冷や汗のでてくるような状況だな)。そのとき、ミステリーの体裁は保っているものの、捜査や証言の過程はほとんど描かれず、素人探偵の論理的思考を読まされて、いったいどこが面白いのかといぶかったはずだ。なにしろ20年を超えての再読によって、かつて読んだことがあるという記憶がちっともよみがえらなかったのだから。
 さて、ロンドンの近郊にあるゴルフのクラブハウス。閑をもてあます独身男たちがミステリー談義をしている中、ハウスの一員の死体を発見する。それは鉄道橋に近い道でだった(英語では、水の上の橋:bridgeと道の上の橋:viaductを区別しているとは知らなかった。原題はTHE VIADUCT MURDER)。警察の捜査に飽き足らない四人組は殺人事件と見て、素人捜査を開始する。
 という具合で、この小説は、ひとつの事件を複数に解釈することのできるメタ・ミステリーとか、ミステリーという形式の極北とか、そんな感じで紹介されていた。だから、犯人当てを主題とするいわゆる本格派と思われてきたのだった。そういう視点では、とてもではないがこの小説を面白がることはできない。同じ作者の「サイロの死体(国書刊行会)」のあとがきにあるように、これはユーモア小説なのだ。探偵気取りの素人が冒頭でホームズばりの観察と推理を披露するが、まったくの的外れ、事実は全然別のところにあるというエピソードが語られる。殺人事件の捜査に入っても、この素人探偵の自信満々の推理はことごとくはずれてしまう。だから、ここに描かれているのは四者四様の推理披露、それによる理性の勝利なのではなく(中井英夫「虚無への供物」とは大違い)、観察と推理もまたドクサに蝕まれた誤謬にあるのだよという理性へのたしなめなのだ。そんなに頭がいいことを自慢しても思い込みや偏見によるミスは発生するのだ。そんなメッセージを探偵小説という理性の勝利の形式にこめているから、この本は誤読されているのだろう。しかも、細部の表現はそこらの探偵小説にはなしえないような正確さをもって書かれているのだから、まことに手ごわい。まあ、ノックス大僧正のユーモアセンスはちょっとハイブロウなものなので、文学素養がないとここでも手ごわい。

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