高校時代を思いだすと、世界史授業の中で英国が出てくるのは、12世紀のマグナ・カルタと17世紀の名誉革命と19世紀の産業革命と20世紀の2つの大戦。途中に大航海時代と東インド株式会社がはいるか。たぶんそれくらい。「時の娘」がテーマにしている薔薇戦争(およびその直前の百年戦争)は何も知らない。のちにシェイクスピアをいくつか読んだが、「リチャード3世」は読まなかった。というわけで背景がよくわからない。
非常に簡単にいうと、百年戦争でフランスと争ったあと、今度は国内で内紛が勃発。王家を継ぐのはこちらだと、ランカスター家とヨーク家が争った。ふたつの家の紋章は薔薇で色違いであることから「薔薇戦争」といわれる。この国だと「応仁の乱」みたいなもんか。「時の娘」には書かれていないので想像だけど、地方貴族や豪族などはどちらの側についても家が残るように、本家はランカスターの味方、分家はヨークの味方、のように両張りした、というかリスクを分散したポートフォリオ型の運営をしていたのではないか、と。なかには家族の中にそれぞれの陣営が同居して、悶着を起こすこともあったようだが。
シェイクスピア「リチャード3世」に書かれたように(wikiあたりを参考に、さも読んだように見せかける)、この人物、暴虐非道、性格不遜、人を人と思わず、自分の利益のためなら親族を殺すこともいとわず、権謀術数にたけて陰謀をめぐらす、という稀代の悪漢とされている。とりわけ二人の甥の少年をロンドン塔に幽閉し、死刑に処したというのが最大の悪事とされる。それは有名な絵画になり、それをみた夏目漱石が「倫敦塔」という小説を書き、その小説そっくりのシーンを宜保愛子が霊視するにいたる。と学会「新・トンデモ超常現象60の真相」を参照してください。
犯人逮捕の追跡中マンホールに転落して入院中のグラント警部、ひまをもてあましているところに、友人の女優からリチャード3世の肖像画を差し入れられる。警部の直観はピンときた。俺の知っている悪人、犯人はこういう顔をしていない、こいつは英知を持って悲しみをたたえた奴だ。というわけで、女優の紹介したアメリカ人(別の女優のおっかけで渡英したというのらくらで、無邪気で無垢な青年。たぶん当時のイギリス人からみたアメリカ人の典型。グリーン「おとなしいアメリカ人」参照)を探偵助手にして歴史の再解釈を試みる。ここらの論証が正しいかどうか、どれくらい史実に立脚しているのかというのはわからない。結論だけを取り出せば、同時代の記録には悪行は書かれていない、リチャード3世の死によって薔薇戦争は終結し、敵対する側が王位を継いだ。そのころからリチャードの悪口が書かれるようになった(その急先鋒が「ユートピア」を書いたトマス・モアだって。ユマリストとしての彼の評価を下げないとイカンかなあ)。そこには王位を継いだヘンリーの意図があったらしいし、陰謀に加担した坊主もいたようだ。で、悪虐王リチャードの印象を決定的にしたのはシェイクスピアだそうだ(死後200年たっていた)。リチャード3世善玉説は定期的に歴史に現れるそうで、ホーレス・ウォルポール(「オトラントの城」の作者)もそういう論文を書いたのだって。
歴史の再解釈としては大問題を取り上げたわけではないし、著者も強く主張しているわけでもない。あくまでもフィクションの範囲内。
女性作家なので、女性の描写が秀逸。グラントを介護する二人の看護師(チビと愛称「アマゾン」の大女)に、有名な舞台女優など彼女らの個性はよく書き分けられている。一方、男性のほうはカリカチュアライズされているというか、紋切り型であるというか、類型化されたキャラクターであるというか、さほど特長があると思わない。まあなんだ、この小説の男性は下半身がないようで、女性が安心して近づけられる連中なんだよな。
〈追記2023/12/27〉
シェイクスピア「リチャード三世」を読みました。
odd-hatch.hatenablog.jp