odd_hatchの読書ノート

エントリーは2400を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2020/10/13

スウェン・ヘディン「さまよえる湖」(角川文庫)

 砂漠という場所は、なぜかくもわれわれの心を震えださせるのだろうか。そこに住む苦労や苦痛に対して何らの想像力をはたかせることなく、砂漠という場所にあることを夢想し、そこに在ることにあこがれる。
 現実の砂漠に住んではいないわれわれにとって、想像上の砂漠の属性は、乾燥・砂・酷寒と灼熱、不毛、無限などだ。そのような場所にはわれわれは住むことができない。一方砂漠はかつて肥沃であった時代を記憶している。強風が止み、砂が吹き飛ばされた後に、過去の都市や墓所を発見することがある。そして、砂漠は隠者や修行者の行く場所である。他の生命の存在しない、あるいは極めてまれな場所で、情報が遮断されたところでは、内奥の魂が露出し、砂の上に現出する。
 すなわち、砂漠は現在から徹底的に離れた場所なのだ。そこには、個的なものと民族的なものと人類の集合無意識的なものの過去があり、この「私」とわれわれが向かうことになる究極の未来があるのだ。現在がまったくないからこそ、われわれは砂漠にいきたがり、あるいは怖れる。現在が持たない無限が四方八方に走っているからだ。
 いとしくもあり恐ろしくもある砂漠。われわれはそこに手軽にいくことができない。そこで、砂漠に取り憑かれた人の記録を読む。ヘディンはスウェーデン人で、19世紀末から中国奥地のタクラマカン砂漠周辺を探検してきた。かれは史書に存在の記録があるものの所在が不明になっている楼蘭という古代都市の遺跡を発見し、移動する湖「ロプ湖」を発見した。その後、第1次世界大戦、ロシア革命、中国の動乱などによって、40年近くそこに行くことができなくなる。しかし、1920年代末から数年かけて再度同じ砂漠を探検することができた。この本はその記録である。
 1990年前後、バブル経済まっただなかのころ、日本のTV局はさかんに中国奥地の砂漠にでかけ、万里の長城を撮影した。長城の最西端は、タクラマカン砂漠にいたる。目視ではもはや長城と砂漠の区別はつかない(長城といっても漢の時代のころにつくられたそれは、葦と泥を積み重ねた土塀に過ぎない)。にもかかわらず、西に目を凝らすと、一本の道が続いているのが見える。そのはるか先には、かげろうにゆれるウラルの山脈。人間の無限と自然の無限が出会った。
 ヘディンもまた、無限を砂漠に見たのだろうか。

 この本のもとになる調査・探検は1930年前後の数年間をかけて行われた。その前に清王朝は倒れ、中華民国が建っていたものの、中国国内はいくつもの軍閥に分かれ混乱していた。多くの外国が軍隊を派遣し、とくに日本の駐留軍隊は大きく、現地の人との間で衝突することが多かった。満州国がでっち上げられ、中国軍との戦争がおこる。中国共産党が長征に出発する。
 そういう混乱した時代だった。よくもまあ、あれほどの僻地に数年間の調査旅行ができたものだと感心する。
 角川文庫版は訳者の考えで抄訳になっている。岩波文庫版の3分の1程度の量だ。
2008/10/8
 1990年代になってタクラマカン砂漠で石油が発見された。その結果、西安から砂漠に通じる舗装道路ができ、終日石油を満載したトラックが走り、一部には彼らを目当てにした商店町ができているとのこと。

      

2014/04/10 ウラジミール・ナボコフ「賜物 上」(福武文庫)
2014/04/11 ウラジミール・ナボコフ「賜物 下」(福武文庫)