odd_hatchの読書ノート

エントリーは3000を超えているので、記事一覧よりもカテゴリー「INDEX」をご覧ください。2023/9/21

エリック・エックホルム「失われゆく大地」(蒼樹書房) 加害者と被害者の線引きは不可能であり、原状回復にとほうもない時間と費用がかかるか回復不可能というレポート。それでもやらなければならぬ...

 著者は当時28歳のジャーナリストで、NPO(当時そういう名称はなかった。環境保全を行う非営利団体)に所属。彼が指摘している「失われゆく大地」の現状は、砂漠の拡大、高地の土壌流出、燃料用薪の切り出しによる森林破壊、灌漑による土壌の塩分蓄積と耕地の放棄、海洋汚染、など。レポートに現れる地域は、アフリカ、中央アジア、南アジア、南アメリカなど。東欧諸国は情報が入ってこないのでレポートされていない。
 問題の原因は、人口増加(土地の生産性上昇が追いつかない。収穫逓減による土壌の悪化)と近代化(人口増→家畜増→放牧地の破壊、放牧→農耕→農地の破壊、医療サービス→死亡率現象→食料不足→農地や森林の破壊)にある。起きている現象と問題は複合的でしかもトレードオフの関係にあり、土地の生産性の向上と生態系保存、人口抑制と近代化を両方とも成立するやり方がないのだ(日本があれほど壊滅的な自然破壊を行っても、土地を捨て難民化することがなかったのは、森林が非常に多く土壌が良好であったことと多雨により植物の生産性が高く、塩分を排出する機能を持っていたからだ)。
 1970年代の環境破壊は、工業化とそれによる汚染物質の無法な排出に起因する局地的・地方的なものとして捉えられていた。そのような問題では、個別企業の責任追及を行い、加害者による賠償、そして行政も加わった業務改善によって「解決」することができた(かっこ付きにしたのは、重篤な被害者の補償が充分ではないこと、被害者たちの雇用が解決されなかったこと、責任追及が徹底されなかったことなどを考慮して)。このような状況では、被害者と加害者の線引きは(ある程度)可能であり、責任追及を行いやすかった。そして業務改善その他の処置によってある程度の原状回復をすることができた。
 しかし、この書物で警告されている問題は、加害者と被害者の線引きは不可能であり、原状回復にとほうもない時間と費用がかかるか回復不可能である。また複数国家や複数民族に関係する広範囲な問題であり、多くの場合貧しい国に発生し、解決するための予算が乏しい。しかも加害者である住民が生存可能のボーダーラインにいるという被害を受けている。
 この時期には、これらの森林破壊や耕作地放棄、耕地の砂漠化は広範囲であっても、直面している国の問題として考えられてきた。せいぜいのところ、食料および燃料輸入ができなくなる程度の問題であった。1990年以降はこれらに加えて、オゾン層の破壊や地球温暖化の超国家的な問題が起きていることがわかり、事態の深刻さが判明した。1970年代に指摘されたことに対して、1990年以降にようやく世界規模で組織的な取り組みが行われるようになった。とはいえ、解決を見出すまでには至らない。1970年代にすでに指摘されていたのに、なぜそのとき取り組まなかったのか、われわれに対する考慮はなかったのか、と未来の人から指弾されるとき、その時代から現代に生きている人はどのような申し開きができるのだろうか。